文学鑑賞

ジュール・ルナール「にんじん」児童虐待を受け続けた少年の母親からの脱却

ジュール・ルナール「にんじん」児童虐待を受け続けた少年の母親からの脱却

ジュール・ルナール「にんじん」読了。

本作「にんじん」は、1894年(明治27年)に『メルキュール・ド・フランス』に発表された中篇小説である。

この年、著者は30歳だった。

母親による児童虐待の物語

主人公「にんじん」は、ルピック家の末っ子だ。

にんじんというのは、三番目の男の子だ。髪の毛が赤くて、そばかすだらけなので、みんなからそう呼ばれている。このあだなをつけたのはお母さんだ。(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

にんじんは、このお母さんと折り合いが悪い。

イチャモンとも思われる叱責を受け、理不尽なお仕置きを受ける。

家政婦がニワトリ小屋の扉を閉め忘れたとき、中庭の奥まで行って扉を閉めるよう命じられたのは、姉エルネスティーヌでも、長男フェリックスでもなく、末っ子のにんじんだった。

にんじんはしばらく闇のなかに突っ立っていた。怖くて手足がぶるぶる震えてくる。あたりは真っ暗で、目が見えなくなったのかと思った。(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

この暗闇は、ニワトリ小屋のある中庭の暗闇ではなく、にんじんの心の中にある暗闇だろう。

母親の虐待を受けて、にんじんの人生は、真っ暗闇の中にあったのだ。

狩りの獲物のヤマウズラを殺す役割も、にんじんの仕事だった。

もちろん、鳥を殺す仕事なんて、誰も引き受けたくない。

にんじんが、躊躇しているところを見て、母親は、いつものようににんじんを責める。

「あなたの神経はそんなに細くはないでしょう?」お母さんが言った。「わざとらしいことをするんじゃないの。心のなかでは、喜んでいるくせに……」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

来客があった日は、ベッドが足りないので、にんじんは、お母さんと一緒に寝ることになる。

にんじんがいびきをかくと、お母さんはにんじんのお尻に爪をたてて、血が出るくらいに思いきりつねる。

にんじんが悲鳴をあげると、お父さんが目を覚ます。

「どうしたんだ?」にんじんに尋ねる。「また悪い夢を見たんですよ」お母さんが答えた。(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

にんじんには、まだオネショをする癖があった。

ある朝、お母さんは、シーツの上に溜まったにんじんのおしっこを、朝食のスープに入れて、にんじんに飲ませる。

お姉さんのエルネスティーヌと、お兄さんのフェリックスが、意地悪そうな目つきで、にんじんを見つめている。

家族みんなで、にんじんを笑いものにしようと待ち構えているのだ。

スープを飲み干したとき、お母さんは「ほんとに汚らしい子ね」と、にんじんをなじるが、にんじんは「うん、たぶん、そうじゃないかなって思ったよ」と平然と答える。

でも、お兄さんとお姉さんが期待したようには、顔をしかめなかった。こういうことには慣れてしまったのだ。一度、慣れてしまったら、世の中にはひどいと感じなければいけないことなんか、ひとつもないのだ。(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

にんじんは、自分はお母さんに愛されていると思い込もうとする。

お母さんは、自分を愛しているからこそ、厳しい躾をしてくれるのだと信じ込もうとする。

「あなたの分のメロンはありませんよ」昼食の時に、お母さんが言った。「私と同じで、あなたはメロンが嫌いだから……」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

家族が食べているメロンは、にんじんには当たらない。

お母さんの言葉を聞いて、にんじんは、「そうか、ぼくはメロンが嫌いだったんだ」と思う。

何が好きで、何が嫌いかは、お母さんが決めてくれるのだ。

しかし、家族の食べ残した皮に溜まったメロンの果汁を飲んだとき、その汁は甘くて、上等のワインのようにおいしい。

虐待に継ぐ虐待の毎日を、にんじんは、辛抱強く耐え抜いてみせる。

猫殺しと自尊感情の保持

にんじんは「にんじん」という名前だ。

本名は家族でさえ、とっさに思い出せないことがある。

「どうして、にんじんって呼ぶんですか?」誰かがお母さんに尋ねる。「髪が赤いからですか?」すると、お母さんは答える。「赤く濁っているからよ。髪だけじゃなくて、心根までがね」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

できるだけいじめられないようにするため、にんじんは、自分の意に反してでも、お母さんの期待する言動を取るように努める(自己防衛本能)。

しかし、それが「本当ではない」と分かったときのお母さんは恐ろしい。

「嘘つきだということは知っていたけど、まさかこれほどとは! あなたは何重にも嘘をついたのよ。そのまま嘘を続けなさい。噓つきは泥棒の始まりと言いますからね。いえ、あなたはもう泥棒をしたわ。その次はきっと母親を殺すでしょうよ」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

お母さんは、自分の行動が虐待ではないことを、自分に言い聞かせている(行動の正当化)。

「しかたのない子ね」お母さんが言った。「これじゃいつまでたっても埒があかないじゃないの。外から見たら、お母さんがあなたをいじめているみたいだわ」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

もちろん、こんな子どもが、まともに成長するはずがない。

黒いモグラを見つけたにんじんは、モグラを殺すために、モグラを空高く放り投げる。

何度も何度も放り投げているうちに、血だらけになった石の上で、モグラの体はぐにゃぐにゃになるが、モグラはまだ死んでいるように見えない。

「くそっ!」にんじんは取り憑かれたように叫んだ。「まだ死んでないぞ!」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

猟銃で猫を殺したときも同じだった。

猟銃を放りなげると、にんじんは猫を抱きあげ、猫の爪が食い込むのを感じながら、「ちくしょう! ちくしょう!」と歯を食いしばって、思い切り首を絞めた。(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

いじめられている者は、自分より弱い者をいじめることによって、優位性を保とうとする(自尊感情の保持)。

完全に精神的破綻に陥っているが、それでも、にんじんは生き続ける。

そう、本作「にんじん」は、家族から虐待を受け続けた少年が、最後まで生き抜く物語なのだ。

「ぼくにとっては、家族って、あまり意味のないものなんだ」と、にんじんは言う。

「ぼくたち三人がルピックの姓を持つようになったのは誰かのせいじゃない。お兄ちゃんやお姉ちゃんにも、どうすることもできなかったことなんだ。だから、たまたま兄弟になったからという理由で、ぼくがふたりにありがとうなんて言う必要はない」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

そして、ついにやってくる「抵抗」のとき。

お母さんからバターを買ってくるよう命じられたとき、にんじんは「嫌だよ、ママ」と拒絶する。

何が起きたのか理解できない母親は混乱し、大騒ぎする。

「パパ。もし、パパが行けというなら、バターを一ポンド、水車小屋に買いに行ってもいいよ。パパのためなら行くよ。パパのためにだけならね。でも、ママのために行くのは嫌だ」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

お父さんが、お母さんの虐待に気付いていたのかどうか、それは分からない。

にんじんは、お父さんにすべてを告白して、母親との虐待の日々を清算しようとする。

「ぼくはこれまでずいぶん考えて、迷っていたんだ。でも、もう終わりにしなくっちゃ。本当のことを言うよ。ぼくはママが嫌いなんだ」「そうか。でも、何が原因なんだ? いつからそうなったんだ?」「原因はすべてのことだよ。生まれてからずっとね」(ジュール・ルナール「にんじん」高野優・訳)

「ぼくは絶対に受けた屈辱を忘れない」と父に誓うにんじん。

両親の愛情を受けることなく育った少年の心の歪みが、この物語では綴られている。

訳者あとがきによると、この作品は、作者ルナールの体験に基づくものだという。

『にんじん』は自身の少年の頃の体験をもとにしたもので、おそらくこの体験は大人になっても、ルナールの心に深い傷を残していたと思われる。(ジュール・ルナール『にんじん』「訳者あとがき」高野優・訳)

ルナールの『日記』を読んだ精神科医(クリストフ・アンドレ)は、「ルナールの自己評価は低かっただろう」と指摘しているらしいが、こんな少年時代を送っていたら、自己評価も何もあったもんじゃない。

はっきり言って、かなり気分が悪くなる小説なので、児童虐待にトラウマのある人は、気を付けた方がいいと思う。

母親の束縛から抜け出す少年の成長物語と言えないこともないが、そこまで物語は爽やかじゃないから。

書名:にんじん
著者:ジュール・ルナール
訳者:高野優
発行:2014/10/01
出版社:新潮文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。