山川健一『鏡の中のガラスの船』読了。
本作『鏡の中のガラスの船』は、1981年(昭和56年)3月に講談社から刊行された作品集である。
この年、著者は、28歳だった。
山川健一最初の作品集で、収録作品と初出は、次のとおり。
「鏡の中のガラスの船」
1977年(昭和52年)6月『群像』
1977年度(昭和52年度)、第二十回群像新人賞(優秀作)受賞
「湖に落ちた流星」
1977年(昭和52年)9月『群像』
ちなみに、前年(1976年度)の第十九回群像新人賞は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』だった(当選作。後に芥川賞受賞)。
村上春樹『風の歌を聴け』が、群像新人賞を受賞するのは、1979年度の第二十二回(当選作だった)。
混乱と閉塞感の中で走り続けた若者たち
山川健一の小説は、多分に音楽的だ。
音楽が、ストーリーの中へ、直接的にコミットしてくる。
例えば、デモ隊と機動隊との衝突に巻き込まれた夜のマディ・ウォーターズ(Down South Blues / ダウン・サウス・ブルース)。
恋人よ、俺は南部へ帰ることにするよ。ここは寒すぎるもの。俺は、生まれ故郷の南部へ帰ることにしたんだ。シカゴは寒くてやりきれないもの。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
遠い異国で黒人ミュージシャンが歌った古いブルースは、現代(1972年)を生きる主人公(杉本浩一)にとっても、自身の呼吸のように作用していた(都会は実際寒過ぎる)。
「ここは寒すぎるもの」というフレーズは、やがて、リンチ殺人事件で殺された大学生へと繋がっていく。
「あの学大の日、いちばん前の列の黄色のセーターの男が叫んだんです。岡本君はなあ、寒かったんだよお、って。それを聞いて、私は突然恐怖に叩き込まれた。思い出したからですよ、リンチの現場を」(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
あるいは、かつての恋人(律子)の弟(吉田)と再会した夜のローリング・ストーンズ(You Can’t Always Get What You Want / 無情の世界)。
ミック・ジャガーが、死んでしまった彼の最愛の友人に向かって叫ぶように、歌いはじめる。いつでも欲しいものが手に入るとは限らないさ、いつでも欲しいものが手に入るとは限らないさ、いつでも欲しいものが手に入るとは限らないさ。だけどやってみろよ、気がついたら、おまえの欲しいものが手に入ってるかもしれないぜ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
「ビクビクするなって、もう一度やってみるんだ、さあ、やってみろ!」と歌うミック・ジャガーの叫びは、学生運動という幻想の後に訪れた閉塞の時代を挑発しているかのようだ。
音楽が、ストーリーの中に、直接的にコミットしている。
それは、都内のロック喫茶が、ジャズ喫茶やディスコティックへと変わりつつあった時代のことだ。
主人公は、その現場にいたという吉田を通して、M評(M評議会派)のリンチ殺人事件に巻き込まれてしまう。
「内ゲバは確かに気違い染みている。けれど、私達の闘争はそういう狂気をも包含した上で成立しなければならない。革命の先駆となるのはね、正にこの狂気なんだ」(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
高校生会議の議長だった主人公も、かつては、革命の闘士だった。
しかし、一連の学園闘争の昂揚期が過ぎ去った今、彼は、バスケットシューズを履いて、都会をさまようだけの若者だった。
いつの間にか、そんな祭りは終ってしまった。僕らに残されたのは深い混乱だけだった。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
「祭り」という言葉は、村上春樹『ノルウェイの森』の「多くの祭り(フェト)のために」という献辞を思い出させる。
祭りの後の閉塞感こそが、本作「鏡の中のガラスの船」の大きなテーマだ。
「身代わりとなって警察へ出頭してほしい」という三田村の依頼を断った主人公は、まもなく、M評議会派によるテロの標的となってしまう。
彼は、リンチ殺人事件の現場にはいなかったというアリバイを証明するため、谷中遊園地で出会った少女(中野留美子)を探す。
白けた都会の中で、ジャズ・ピアニストを目指すナカノ・ルミコだけは、希望の象徴だった。
そして、避けることのできないテロとの対決。
「吉田、やれ」男達の輪の後ろで、聞き覚えのある声がした。三田村の声に違いなかった。「杉本、わかるだろ? 許してくれ。誰も、どうすることもできなかったんだよ」吉田はそう言うと、鉄パイプを振り下ろした。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
あの夜、「ほんとうは俺自身と闘わなけりゃならないよ」と震えていた吉田は、リンチ殺人を正当化するため、M評のテロリストとなって、親友のスギモト・コウイチ(主人公)を襲撃する。
都会の閉塞感の中で、吉田もまた、「出口」を求めてさまよう若者の一人だったのだ。
目的を見失った学生運動末期の混乱が、そこにはある。
バンドをやめてブラジルへ行ってしまった山村直樹も、やはり、「出口」を求めて走り続けていたのだろう。
本作「鏡の中のガラスの船」は、学生運動後の混乱と閉塞感の中で、「出口」を求めて走り続けた若者たちの、焦燥と破滅の物語である。
そして、彼らの「出口」の象徴として描かれているのが、主人公の頃の中で繰り返し思い出される「青黒い都会の海」だった。
過ぎ去った学生運動の時代に送るレクイエム
主人公が、不能(インポテンツ)になったとき、恋人(律子)は部屋を出て行ってしまった。
やっぱり、と僕は思う。結婚するというのは律子のお得意の冗談ではないだろうか。彼女なら、アフリカから手紙が届いたって、少しも不思議ではない。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
「アフリカから手紙が届く」とあるのは、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』へのオマージュだろう。
「彼女はたぶんアフリカになんか足を踏み入れちゃいないさ」と僕は言った。その確信はあった。それでもなお、アフリカにいる彼女の姿を僕は思い浮かべることができた。そこはいかにも彼女が行きそうな場所だ。(トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」村上春樹・訳)
そもそも、律子は、『ニューヨーカー短篇集』と『ドン・キホーテ』が好きな、22歳の若者だった。
ナカノ・ルミコと出会ったときに、主人公が読んでいたのはジャン・ルネ・ユグナン『もうひとつの青春』で、律子が出ていった夜、彼はドストエフスキーを読んだ(『悪霊』)。
ピョートルが近づくと、キリーロフがいきなりピョートルの小指にかみつき、ピョートルは拳銃でキリーロフの頭を撲りつけて、外にとび出した。その背後から恐ろしい叫び声が彼を追いかけてくる。「すぐ、すぐ、すぐ!」(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
リンチ殺人の現場にいた吉田が現れたとき、彼は吉増剛造の詩集を見つける(『空に魔子と書く』)。
吉田は、畳の上に鉛筆や洗濯物と一緒に散らばっていた吉増剛造の詩集を拾い読みしていたが、ふと顔を上げた。「この本は姉さんが買ったんだろう?」(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
ロックやブルースがサウンド・トラックとして機能しているように、この物語では、文学作品が果たす効果も大きい。
作品タイトル「鏡の中のガラスの船」は、主人公自身を投影したものだ。
僕に必要だったのは、むしろ不在証明だった。目的をもったどのような行為も、僕には無縁のものだとしか思えなかった。胸の底の一枚の鏡に様々な風景を映しながら、僕は街の底を通り過ぎていけばよかったのだ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
「鏡に映った風景」は、リアリティのない現実世界を意味している。
山村が、東京を捨ててブラジルへと旅立ったように、主人公もまた、鏡の中の東京で暮らすことを決意した。
そこは、もはや、現実世界であって、現実世界ではない。
箱は震えながら走っている。この震える箱の中に溢れる安心感が、都市を巨大なひとつの部屋の中に幽閉してしまったものの正体なのだ、と思う。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
ぐるぐると回り続ける山手線は、行き場のない(と若者たちが感じている)時代の象徴だ。
僕は、吉田の言葉を思い出す。──やりきれなかったからだよ。あいつはさ、毎日の繰り返しが嫌になってさ、ただ漠然と出発したいっていう欲望だけが募っていったんだと思うよ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
鏡の中で生きることを決意した主人公も、やはり、じっとしていることはできなかた(おれは、まだくたばっちゃいないぞ)。
僕は唾を吐き捨てる。ちくしょう、フェンスにすわって高見の見物なんてごめんだよ。僕は跳び降り、眼鏡の隊員に駆け寄り、奴の顔面に拳を突っこんだ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
鏡の中から飛び出したとき、彼はインポテンツを克服し、久し振りに再会した律子とセックスをすることができる(存在証明)。
しかし、主人公にとっての現実世界は、内ゲバの横行する暴力的な世界でもあった。
「その時女が入ってきたんだ。そいつはM評の幹部で、それで彼女が岡本の手首のベルトをはずすと、奴は椅子から崩れ落ちて、血を吐いたんだ。その時、彼女は表情一つ変えずに言ったんだよ、ねえ、もう死んでるわ、って」(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
「ガラスの船」は、行き場を求めて流れていく主人公自身だ。
ガラスの船が、水面で風と光とに揺れている。船の底では、白い波がさざめいている。あれに、乗って行こう。律子、僕は、もう行くよ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
黒い海へ向かって流れていくガラスの船は、同時に、M評の三田村でもあり、吉田でもあった。
あるいは、ブラジルで暮らす山村の姿も、そこにはあったかもしれない(なあ、山村、俺とおまえとはどこか少し似通ったところがあるんじゃないか)。
学生運動の時代から取り残された若者たちの浮遊感こそが、本作「鏡の中のガラスの船」という小説の本質だったからだ。
僕は、僕一人の夢を見るしかなかった。そして、その夢を支えたのは革命じゃなくて、汚れたバスケット・シューズだった。それじゃいけないかい? 僕は、僕らの夢を見るわけにはいかなかったんだ。(山川健一「鏡の中のガラスの船」)
この物語は、やはり、過ぎ去った学生運動の時代に送る、ひとつの鎮魂歌(レクイエム)だったのかもしれない。
書名:鏡の中のガラスの船
著者:山川健一
発行:1988/03/15
出版社:講談社文庫