大川悦生「おかあさんの木」読了。
本作「おかあさんの木」は、1969年(昭和44年)に発表された短編小説である。
この年、著者は39歳だった。
1977年(昭和52年)から2000年(平成12年)まで、小学校の国語の教科書に掲載された。
2015年(平成27年)に公開された鈴木京香主演の映画「おかあさんの木」の原作小説。
悲劇を最後まで徹底的に悲劇として描き切る
名作「おかあさんの木」のポイントは二つある。
一つは戦争の悲劇を伝えなければならない物語であるということ。
子どもたちが出征する都度、<おかあさん>は、裏の空き地に木を植える。
息子たちが兵隊にとられるたんびに、裏の空地へ、キリの木の苗を一本ずつ植えて、<一郎><二郎><三郎>と、名前もつけた。毎朝、その木に水をやるやら、支えを立ててやるやらしては、「一郎、おはよう」「二郎、おはよう」「三郎、おまえも戦地で元気かいな。ひょうきんなまねはせんと、お国のために、手柄を立てておくれなや」と、いいなさったそうな。(大川悦生「おかあさんの木」)
やがて、戦況はいよいよ悪化し、おかあさんは、七人の子どもたち全員を戦争に取られ、裏の空き地には七本のキリの木が並ぶ。
いなかに月おくれのお盆がきた夏の暑い日、日本は戦争に負けたが、息子たちは誰一人戻ってこない。
それでも、おかあさんは子どもたちの帰りを待ち続ける。
ある日、破けた服で右足を引きずりながら歩く一人の兵隊が、汽車から降りた。
やっとこ、戸口へたどりつくと、兵隊は、なつかしそうに顔をあげ、「おかあさん、おどろかんでください。五郎が、今、生きて帰ってきましたよ」と、いうた。夢ではない。ビルマのジャングルのたたかいで、ゆくえ知れずになったという、五郎じゃった。(大川悦生「おかあさんの木」)
しかし、おかあさんは、裏の空き地で、<五郎の木>にもたれたまま死んでいた。
待ちわびた息子の生還を知ることなく、おかあさんは亡くなってしまったのだ。
悲劇を最後まで徹底的に悲劇として描き切ることで、この物語は戦争の愚かさというものを強調して伝えることに成功している。
子どもたちの無事を祈り続けるおかあさんの思い
本作「おかあさんの木」の、もうひとつのポイントは、子を愛する親の心を美しく書いている、ということである。
一郎が戦死してから、おかあさんは「お国のために、手柄を立てておくれなや」とは言わなくなった。
そして、あるときは、一郎の写真を抱きしめ抱きしめして、「今だからいうよ。おまえが、お国のお役に立てて、うれしいなんて、本当なものか。戦争で死なせるために、おまえたちを生んだのでないぞえ。一生けんめい大きくしたのでないぞえ」と、生きている人に話しかけるように、いいなさった。(大川悦生「おかあさんの木」)
さらに、おかあさんは、キリの葉を拾いながら、子どもたちの帰還を待ち続ける。
また秋が来て、キリの葉がハタリホタリと落ちはじめると、「この大きいのは、二郎の葉……このあつぼったいのは、三郎の葉……先のとがって、ほそ長いのが、四郎の葉……これは五郎、すばしこくて、負けん気で、弾になどあたる子ではなかったに……」と、つぶやきつぶやき、ひろいなさったのだそうな。(大川悦生「おかあさんの木」)
子どもたちの無事を祈り続けるおかあさんの思いこそが、この小説の大きな柱となっている。
そして、この作品が名作として読み継がれているのは、多くの読者が、おかあさんの気持ちに共感できたからに他ならない。
もちろん、この物語は創作であって実話ではない。
しかし、著者のあとがきにあるように「日本の各地に『おかあさんの木』とにた話が、事実あった話として埋もれている」ことも、また事実だろう。
子ども向けの民話形式で書かれているから、構成や展開が単純で物足りないし、押しつけがましい感じもある。
それだけに主題が明確で、「戦争を知らない子供たち」に戦争を伝える物語として分かりやすかったのではないだろうか。
作品名:おかあさんの木
著者:大川悦生
書名:おかあさんの木
発行:2015/05/05
出版社:ポプラ社