文学鑑賞

ひろさちや「公案解答集」サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』片手の音の謎を解く

ひろさちや「公案解答集」あらすじと感想と考察

ひろさちや「公案解答集(ウルトラ禅問答)」読了。

本作『公案解答集』は、1975年(昭和50年)にアメリカでベストセラーとなった『The Sound of the One Hand: 281 Zen Koans with Answers』を日本語で翻訳したものである。

『The Sound of the One Hand』は、破有法王の『現代相似禅評論』を英訳したものなので、本書は日本の書籍の逆輸入バージョンということになるらしい。

一休さんのとんちは、無分別智の智慧だった

サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』のエピグラムに、「禅の公案」というのが出てくる。

両手を叩く音は知る、ならば片手を叩く音は?──禅の公案(サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』柴田元幸・訳)

自選作品集の巻頭に掲げられたこの言葉は、『ナイン・ストーリーズ』を読み解く上での重要な鍵だとされている。

しかし、恥ずかしながら、自分は、日本人なのに禅に関する知識がない。

禅の公案と言われても、いまいちピンと来ない。

『ナイン・ストーリーズ』を読んだこの機会に、禅に関する基礎知識を学んでおこうと考えて読んだのが、本作『公案解答集』である。

で、そもそも「禅の公案」というのは何者なのか?

公案というのは禅の試験問題です。禅の師匠によって弟子に無分別の智慧を教えるために、昔の禅僧の言葉や行動を取り上げて、おまえはこれをどのように理解するか、その理解の様子をテストしようとするものです。(ひろさちや「公案解答集」)

仏教において、「知恵」とは世間一般の知恵のことで、仏教用語では「分別智」と呼ばれている。

一方で、仏教で重視されているのは「無分別智」と呼ばれる「智慧」で、禅の公案は、無分別の智慧を理解するための試験問題だ。

テレビアニメで有名な<一休禅師>(とんちの一休さん)は、「お父さんとお母さんとどっちが大事?」と聞かれたとき、一枚の煎餅を二つに割って「右と左とどちらがおいしい?」と訊き返したという。

これが「無分別智」と呼ばれる「智慧」で、つまり、禅の公案というのは、一休さんのとんち問答のようなものらしい(違うかもしれないけど、分かりやすいので、そう理解した)。

少なくとも、人生に必要なものは「知恵(知識)」よりも「智慧」だということは、何となく分かるような気がする。

難しいのは、禅の公案は、裁判における判決のようなものだということだ。

同じ法律に基づいて、同じ事件を裁いても、裁判官によって判決は変わる。

理不尽のようだけど、様々な解釈が存在するのが裁判の判決というものであって、禅の公案も、裁判の判決と同じように、師匠によって様々な正解が存在する。

答えが一つではない、というところにも、何か人生の深みのようなものを感じてしまう。

本書は、たくさんある禅の公案(試験問題)の模範解答を集めた、いわゆる「虎の巻」(「教科書ガイド」みたいなもの)である。

自分のように、禅の公案って何?という素人が、基本を学ぶ上では、十分に参考になる本だと思う。

「片手の音」の正解は「ハイタッチ」だった

サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』のエピグラムにある「両手を叩く音は知る、ならば片手を叩く音は?」も、禅の公案の一つで「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」と呼ばれているものだ。

本書では、なんと「二大公案」の一番最初に採りあげられていて、つまり、禅の公案の中では、最もメジャーなものらしい。

「片手の音」は、どこの大学の入試問題にも必ず登場するような、超マスト問題だったのか、、、

それにしても、「両手を打てば音が出る。では片手にはどんな音があるか?」なんて、まるっきり一休さんのとんち問題である。

難しいけれど、「虎の巻」には、ちゃんと模範解答が用意されていた。

【答】師に向かって姿勢を正して坐り、何も言わずに片手を前に突き出す。(ひろさちや「公案解答集」)

「片手の音」の正解は、何も言わずに「片手を前に突き出す」こと。

つまり、ハイタッチってやつだった。なるほど~。

ちなみに、「片手の音を聞かせろ」と言われたら「師匠の顔をビンタする」とある。

なるほど、「片手の音」っていうのは、そういう意味だったんだなあ。

ここで思い出すことは、『ナイン・ストーリーズ』収録の「テディ」の中で、神童テディが自分の耳を片手で叩く場面である。

「『やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」」とテディが出し抜けに言った。「『この道やゆく人なしに秋の暮』」「何だい、それ?」とニコルソンはにこにこ笑って訊いた。「日本の詩です。別に感情ばっかりじゃないでしょ」とテディは言った。そしていきなり前にかがみ込み、頭を右に傾けて、右耳を手で軽く叩いた。(サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』柴田元幸・訳)

テディは「昨日の水泳レッスンのときの水がまだ残ってて」と説明するが、ストーリーと何ら関係のない、この場面は、『ナイン・ストーリーズ』のエピグラムにつながるものだと考えると説明が付く(テディの嫌いな<りんご好きの連中>みたいな論理的思考になってしまうが)。

一休さんのとんちはともかく、柔軟な発想という意味において、禅の公案は、現代社会でも十分に通用する考え方だと思った。

ちなみに、アメリカにおける禅の入門書としては『An Introduction to Zen Buddhism』(鈴木大拙「禅仏教入門」1934)があるらしいので、もしかすると、サリンジャーは、この本で、禅の知識を学んだのかもしれない。

書名:公案解答集
訳者:ひろさちや
発行:2006/02/14
出版社:四季社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。