文学鑑賞

村上春樹「フィッツジェラルド体験」作家と作品の解説的エッセイ

村上春樹「フィッツジェラルド体験」読了。

「フィッツジェラルド体験」は『マイ・ロスト・シティー』(1984、中公文庫)に収録されているエッセイである。

単行本は、1981年5月に中央公論社から刊行されている。

僕は早稲田の文学部に通い、何度か恋をし、そして結婚をした。二十一の時だ。

『マイ・ロスト・シティー』は、スコット・F・フィッツジェラルドの作品を村上春樹が翻訳した短篇集である。

当時、まだ翻訳が発表されていない作品ということで、五篇の短篇小説と一篇のエッセイが収録された。

タイトルを並べると「残り火」「氷の宮殿」「哀しみの孔雀」「失われた三時間」「アルコールの中で」「マイ・ロスト・シティー」となる。

「フィッツジェラルド体験」は、翻訳者・村上春樹によるフィッツジェラルドの紹介のようなエッセイで、通常であれば終わりの部分に収録されているべき「作家と作品の解説」である。

しかし、『マイ・ロスト・シティー』では、翻訳者による解説が冒頭に置かれていて、しかも、それなりのページ数を確保している。

読者は、フィッツジェラルドの小説を読む前に、村上春樹によるフィッツジェラルドの紹介に触れることになるが、村上春樹のこのエッセイは非常に優れたものだ。

なんといっても、フィッツジェラルドという作家に対する村上春樹の熱量がストレートに伝わってくる文章がいい。

そして六八年から七〇年にかけての、あのごたごたとした三年間がやってきた。十九歳から二十一歳までのあの時代は、僕にとって混乱と思い違いとわくわくするようなトラブルに充ちた三年間だった。神戸近郊の小さな街から東京にやってきて僕は早稲田の文学部に通い、何度か恋をし、そして結婚をした。二十一の時だ。

それから突然、生活の重みが僕の頭上にのしかかってきた。他人と生活を分かちあうことの重み、無一文から生活費を稼ぎだすことの重み、これからの何十年を生き続けねばならぬことの重み……、当り前といえば当り前だの話だが、少なくともそれは僕が生まれてはじめて味わった生活の重みだった。(村上春樹「フィッツジェラルド体験」)

まるで、村上春樹の小説を読んでいるかのようだが、こうして村上春樹は、自身の「フィッツジェラルド体験」を振り返っていく。

フィッツジェラルドの『夜はやさし』という長篇小説を手にしたのは、ちょうどそんな年だった。

青春時代(あるいは新婚時代)とフィッツジェラルドの読書体験とは、村上春樹の中では決して切り離せないものだということが分かる。

もしフィッツジェラルドに巡り合わなかったなら、僕は今とは全く違った小説を書いていただろう。

そして、こうしたフィッツジェラルド体験は、やがて小説家としてデビューすることになる<作家・村上春樹>にとっては、さらに重要なものとなった。

もしこのような「フィッツジェラルド体験」というものがなかったら、僕は果して小説を書いていただろうか? いや、この問いにはあまり意味がない。僕はたまたま小説を書いた、ということだけなのだからだ。つまりもし僕が小説を書いていなかったとしても、僕とフィッツジェラルドの関わり方には何ひとつ違いはなかったはずだからだ。

とはいえそこにはひとうだけ確実なものが存在する。もしフィッツジェラルドに巡り合わなかったなら、僕は今とは全く違った小説を書いていただろう。それだけは確かだ。(村上春樹「フィッツジェラルド体験」)

もう一度確認をしておくと、この「フィッツジェラルド体験」は、フィッツジェラルドの作品を翻訳した村上春樹が、フィッツジェラルドの「人と作品」について紹介した、いわゆる「解説」のようなものである。

しかし、そこでは、作家・村上春樹について多くのことが語られている。

村上春樹は、自分自身のことを書くことによって、フィッツジェラルドのことを伝えようとしているからだ。

村上春樹の作品が好きだという方には、ぜひお勧めしたい。

もちろん、フィッツジェラルドという作家について、読者は多くのことを学ぶことができるだろう。

書名:マイ・ロスト・シティー
著者:スコット・F・フィッツジェラルド
訳者:村上春樹
発行:1984/6/10
出版者:中公文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。