文学鑑賞

サリンジャー「笑い男」失恋した若者の絶望と現代社会への批判

サリンジャー「笑い男」あらすじと感想と考察

サリンジャー「笑い男」読了。

本作「笑い男」は、1949年(昭和24年)3月『ザ・ニューヨーカー』に発表された短編小説である。

この年、著者は30歳だった。

作品集としては、1953年(昭和28年)にリトル・ブラウン社から刊行された『ナイン・ストーリーズ』に収録されている。

絶世の美女メアリ・ハドソンの登場

本作「笑い男」は、失恋した若者の悲しみを劇中劇で表現した技巧的な短編小説である。

物語の語り手は、1928年(昭和3年)に9歳だった<わたし>で、その頃の<わたし>は、<コマンチ団>という少年団の一員だった。

放課後や休日に、スポーツや遠足などの活動を行うコマンチ団のリーダー(団長)は、<ジョン・ゲザツキー>という名前の、ニューヨーク大学の法科の学生だった。

ある日、団長の運転するバスのフロントガラスの上に、美しい女性の写真が飾られていることに少年たちは気付く。

その女性<メアリ・ハドソン>は、間もなく<わたし>たちの前に実際に姿を現し、少年たちと一緒に野球をしたりして遊ぶようになる。

しかし、二人の間で何があったのか、メアリ・ハドソンは少年たちの野球に参加することがなくなり、そのまま姿を消してしまう。

私が最後にメアリ・ハドソンをまじまじと見たとき彼女は遠くの三塁ベースの近くで泣いていた。団長が彼女のビーヴァ・コートの袖をつかんだが、彼女はそれを振り払った。そして走ってグラウンドからコンクリートの小道に出ると、そのまま走り続けてついに見えなくなってしまった。(サリンジャー「笑い男」野崎孝・訳)

一人の美しい女性が現れ、やがて姿を消してしまうというのが、この物語の本編の大筋だが、彼女と交際している男性(団長)の心理は、団長がバスの中で少年たちに話して聞かせる「笑い男」という創作物語の中に反映されていく。

そして、団長の作った「笑い男」の物語こそが、この短編小説の主軸となっているのだ。

団長の絶望と笑い男の死

<笑い男>は、幼い頃に中国人の山賊に誘拐された。

両親が身代金の支払いを拒んだため、少年だった彼は、大工道具で頭をねじられ、初めて彼の顔を見る者は、たちどころに失神してしまうほどの奇形になってしまう。

山賊たちに育てられた笑い男は、やがて、山賊の仕事を覚え、中国の田舎で盗みや強盗を働くようになるが、彼の巧妙な手口とフェアプレーを愛する精神は、国中の人々の共感を集める。

間もなく、フランスへ進出した笑い男は、国際的に有名な探偵<マルセル・デュファルジュ>を相手に、パリでも大いに活躍する。

現実世界で団長が、彼の恋人メアリ・ハドソンと仲良くしていた頃、物語の中の笑い男も素晴らしい活躍ぶりを見せていたのだ。

ところが、メアリ・ハドソンの心が、団長から離れつつある頃から、笑い男の活動は鈍り始め、やがて、二人の別れが決定的になったとき、笑い男はとうとう宿敵デュファルジュ父娘に殺されてしまう。

彼はオンバに顔をそむけるように命じた。オンバは啜り泣きながらその命に従った。それから笑い男は自分の仮面を剥ぎ取った。それが彼の最期だった。そしてその顔が、血に染まった地面に向ってうつむいたのである。(サリンジャー「笑い男」野崎孝・訳)

「笑い男」の物語は、美しいメアリ・ハドソンに恋をする団長の心のメタファーであり、壮絶な死を遂げた笑い男の最後は、恋に破れた団長の絶望を巧妙に描き出している。

現実世界と空想世界が美しくリンクした入れ子構造の物語、それが、本作「笑い男」の大きな特徴となっている。

現代社会に向けられた批判

「笑い男」は、恋に破れた若者の絶望をメタファリングした物語だが、ディテールでは、サリンジャーの発する様々なメッセージを読み取ることができる。

例えば、笑い男は動物の言葉を使って、彼らと仲良くなることができたが、森の動物たちは、笑い男を醜いとは思わない。

森の動物たちは、外見にとらわれることなく、内面にひそむ真実を見極めることができたのだ。

笑い男の仲間たちは、いずれも複雑な事情を抱えている。

ブラック・ウィングという名前の口達者な斑狼、オンバという名の愛すべき小人、白人によって舌を焼き切られたホングという蒙古人の大男、それにあでやかな欧亜混血の娘である。(サリンジャー「笑い男」野崎孝・訳)

いずれもマイノリティを思わせる登場人物は、国籍や人種を越えた交流の大切さを感じさせる。

さらに、笑い男は金品や財産に執着心のない男だった。

世界一の資産家になった笑い男は、財産の大部分を修道院の修道僧たちに寄付をし、残りはダイヤモンドに換えた上で、エメラルドの金庫に入れて黒海に沈めてしまう。

財産に執着する俗社会を、笑い男はあっさりと否定してみせるのだ。

こうした現代社会に対する様々な批判を、物語の端々に発見できることも、この短編小説を読む楽しみということができるだろう。

細部を深読みしていくとキリがないが、失恋した団長の絶望は、若者にとって恋愛が、生命にも等しいくらい重要なものであるということを物語っている。

純粋な若者の心理に共感したい、そんな作品である。

作品名:笑い男
著者:J.D.サリンジャー
訳者:野崎孝
発行:1974/12/20(1988/1/30改版)
出版社:新潮文庫

 

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。