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ベスト盤『ザ・シングルズ -55th Anniv. All Time Best-』で振り返るブレッド&バターの歴史

ベスト盤『ザ・シングルズ -55th Anniv. All Time Best-』で振り返るブレッド&バターの歴史

ブレッド&バターのデビュー55周年を記念するベストアルバム『ザ・シングルズ -55th Anniv. All Time Best-』が発売された。

ブレッド&バターは、実にベストアルバムの多いアーチストで、今回の『ザ・シングルズ』で通算23枚目のベストアルバムということになるが、これまでのベスト盤は、通好みというか、マニアックなものが多かったうえ、既に入手困難となっているものも少なくない。

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ブレッド&バターのベストアルバムは、どのベストアルバムおすすめなのかブレッド&バターにはたくさんのベストアルバムがある。 これからブレバタを聴きたいけれど、どのベスト盤を聴いたらいいのか、分からない...

『ザ・シングルズ』は、ブレバタ初の「シングル(A面)・コレクション」で、初心者向けとは言いながら、正統派のベストアルバムとしてオススメすることができる。

1969年(昭和44年)の「傷だらけの軽井沢」から、1998年の「PINK SHADOW」まで、約30年に渡るブレッド&バターの歴史を、リマスタリング収録で振り返る最高のベストアルバムだからだ(全35曲、2枚組)。

今回は、『ザ・シングルズ』をもとに、ブレッド&バターのシングル史を振り返ってみたい。

1970年代のブレッド&バター

ブレッド&バターのデビューシングル「傷だらけの軽井沢」は、1969年(昭和44年)9月25日発売(カップリング「白いハイウェイ」)。

レコード会社は、マイク真木(「バラが咲いた」)や森山良子(「この広い野原いっぱい」)などのカレッジフォークのアーティストをデビューさせていたフィリップスで、ブレッド&バターのキャッチフレーズは「和製サイモン&ガーファンクル」だった。

サイモン&ガーファンクルは、映画『卒業』の主題歌「サウンド・オブ・サイレンス」(1966)や、「冬の散歩道」(1967)、「ボクサー」(1969)など、日本でも大人気のフォーク・デュオとして知られている。

「傷だらけの軽井沢」は、作詞・橋本淳、作曲:筒美京平という、歌謡曲の人気作家コンビ。

橋本淳は、筒美京平と最も多く仕事をした作詞家として有名で、1967年から1968年のグループサウンズ・ブームでも「GSで最も売れた作詞家」として大人気だった(いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」も1968年)。

ちなみに、B面の「白いハイウェイ」は、後にアルフィーがカバーしている(1975年『青春の記憶』収録)。

ファースト・シングル「傷だらけの軽井沢」のヒットを受けて、1970年(昭和45年)4月、2枚目のシングル「マリエ」が発表される(カップリング「そのままなのに」)。

作詞作曲は岩沢幸矢・岩沢二弓のオリジナル曲で、現在に至るまでブレッド&バターの代表曲となっている名曲だ。

1970年(昭和45年)9月、3枚目「愛すべき僕たち」発表(カップリング「空と海と愛する少女」)。

作詞・橋本淳、作曲:筒美京平の黄金コンビで、郷ひろみも『ひろみの旅』(1975)でカバーしている(ひろみバージョンもいい)。

1971年(昭和46年)4月10日、レコード会社をポリドールに移して、シローとブレッド&バター名義「野生の馬」発表(カップリング「雨の日のあなたは -RAINY DAY WOMAN-」)。

岸辺シローは、グループサウンズの代表グループ「ザ・タイガース」のメンバーで(ジュリーこと沢田研二がボーカルだった)、ブレバタとのコラボは「和製クロスビー スティルス&ナッシュ」を狙ったものだったらしい。

シローとブレッド&バターのデビューは、ザ・タイガースの解散コンサートで、『ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』(1971)に、ドノヴァンのカバー「ラレーニア」が収録されている。

フリーやビージーズ、B・B・キングなど、海外アーティストの来日コンサートの前座も務めた(野次がひどく、「帰れ」コールや、ビール瓶を投げられたことも)。

当時のライバルはガロだった(「学生街の喫茶店」が大ヒットして、売り上げでは完敗だった)。

1971年(昭和46年)7月1日、シローとブレッド&バター名義「バタフライ」発表(カップリング「ハッピネス」)。

「バタフライ」は、ダニエル・ジェラールというフランス人ミュージシャンの日本語カバーだった。

1972年(昭和47年)1月1日、4枚目のシングル「今はひとり」発表(カップリング「いつから」)。

岸辺シローが、テレビの司会業などで忙しくなったために「シローとブレッド&バター」を脱退、兄弟デュオのブレッド&バターが復活した。

「今はひとり」「いつから」は英語歌詞で録音したものが、アメリカでも発売されたという。

1973年(昭和48年)4月10日、日本コロムビアに移籍して、5枚目「風 Wind」発表(カップリング「時もゆっくり Time Passes Slowly」)。

初めての海外録音で(ロンドンのトライデント・スタジオで録音)、レコーディングにはステーヴィー・ワンダーも参加(ただし、ステーヴィー・ワンダーの演奏はニューヨーク録音だった)。

1973年(昭和48年)11月25日、6枚目「誰が好きなの」発表(カップリング「名前を忘れた女」)。

1974年(昭和49年)8月1日、7枚目「ピンクシャドウ」発表(カップリング「うつろな安息日」)。

「ピンク・シャドゥ」は、山下達郎がカバーしたことで有名だが(1978年『イッツ・ア・ポッピン・タイム』収録)、女性アイドルの三田寛子もカバーしている(1982年のシングル「色づく街」B面で、かなりかわいそうな印象を与えている)。

1975年(昭和50年)1月1日、8枚目「夕暮れ(つらい夜)」発表(カップリング「朝の陽」)。

1975年(昭和50年)5月1日、9枚目「ともしび」発表(カップリング「城跡のある町」)。

「ともしび」は、作詞:山上路夫、作曲:大野雄二で、日本テレビ系ドラマ『おふくろさん』(主演は石立鉄男)の主題歌として大ヒットした(ブレッド&バター最大のセールスを記録)。

岩沢幸矢・二弓の二人も、チョイ役でドラマ出演しているが(牧場の牧夫A・牧夫B)、NGが多すぎて降板させられたらしい。

1975年(昭和50年)11月10日、10枚目「SAILING ON BOARD」発表(カップリング「にわか雨」)。

兄弟の人間関係が悪化したことで、ブレッド&バターは、この後、活動休止期間に入り、1975年(昭和50年)、湘南・茅ヶ崎に「カフェ・ブレッド&バター」をオープン。

「カフェ・ブレッド&バター」は、サザンオールスターズの桑田佳祐も憧れるお店だったが、敷居が高すぎて入れなかったと伝えられている。

やがて、ブレッド&バターとしての活動復活するにあたっては、小田和正(オフコース)の助言もあったらしい。

1978年(昭和53年)10月21日、CBS・ソニーから、Le Mistral(ル・ミストラル)名義「青い地平線」発表(カップリング「SING A LONG」)。

レコード会社との契約上の関係から、ブレッド&バターという名義を使えなかったため、ル・ミストラル名義での録音となったもので(メンバーはシークレットという触れ込みだった)、TBS系情報番組『おはよう700』テーマソングとして起用された。

1979年(昭和54年)6月25日、アルファレコードに移籍して、ブレッド&バター復活の11枚目「あの頃のまま」発表(カップリング「渚に行こう」)。

呉田軽穂(松任谷由実)作詞作曲「あの頃のまま」は、ブレッド&バターの代表曲となるが、ユーミンは、もともと、カフェ・ブレッド&バターの常連客だった(松任谷夫妻の結婚式にも参列している)。

アレンジャーとして細野晴臣が加わるなど、80年代のブレバタ・サウンドがここから始まっていく。

B面「渚に行こう」の作詞は、伊達歩(伊集院静)だった(ユーミンが依頼したもの)。

1980年代のブレッド&バター

1980年(昭和55年)1月21日、12枚目「青い地平線 Blue Horizon」発表(カップリング「SUMMER BLUE」)。

「青い地平線」は、1978年(昭和53年)にル・ミストラル名義で発表したものを、細野晴臣のアレンジによって、ブレッド&バター名義で再録音したもの。

1980年(昭和55年)8月21日、13枚目「JAPANESE WOMAN」発表(カップリング「マティーニを飲みながら」)。

1980年(昭和55年)11月5日、14枚目「惑星1999」発表(カップリング「THANKS MY LADY (ひとときの水彩画)」)。

細野晴臣が、YMOの活動で忙しくなったため、アレンジャーが松原正樹に変わったのは、この頃だった(細野晴臣編曲の作品では、高橋幸宏・坂本龍一も演奏に参加している)。

当時の演奏は、林立夫率いる「パラシュート」が担当(1982年、寺尾聡の大ヒットアルバム『リフクレクションズ』を手がけるなど、シティポップの最先端を行っていた)。

1981年(昭和56年)6月21日、15枚目「HOTEL PACIFIC(ホテル・パシフィック)」発表(カップリング「湘南ガール」)。

「ホテル・パシフィック」は、加山雄三がオーナーだった「パシフィックホテル茅ヶ崎」がモデルで、岩沢二弓や桑田佳祐がアルバイトしていたことでも有名(サザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」も元ネタは同じ)。

ブレバタ「ホテル・パシフィック」の作詞はユーミン。

この頃から、ブレッド&バターの湘南サウンドというイメージが定着していく。

1981年(昭和56年)9月21日、16枚目「トゥナイト愛して」発表(カップリング「第2土曜日」)。

「トゥナイト愛して」は、NTV系情報番組『きょうの出来事』のテーマ曲として起用された作品で、フュージョンバンド「カシオペア」が演奏を担当している。

1982年(昭和57年)5月21日、TDKレコードに移籍して、17枚目「DANCING IN THE NIGHT」発表(カップリング「SPESIAL PARTNER」)。

TDKレコードは創設されたばかりの新レーベルで、いきなりのハリウッド録音だった

アレンジャーのジェイ・ウィンディングは、アース・ウィンド&ファイヤーにも参加するキーボード奏者で、ジェケット写真は、ボズ・スキャッグスなどで有名なモッシャ・ブラッカ。

マイケル・ジャクソンの『スリラー』に参加しているポール・ジャクソン・Jrがギターを担当するなど、演奏にもそうそうたる洋楽メンバーが揃っていた。

雑誌『POPEYE』で湘南ボーイとして紹介されていたのも、この頃のこと。

1982年(昭和57年)10月21日、18枚目「冬のハイビスカス」発表(カップリング「I LOVE YOU」)。

「冬のハイビスカス」はユーミン作詞で、ジャケット写真は、トリオケンウッドのスピーカーのポスターにも使われた。

1983年(昭和58年)3月5日、19枚目「やさしさの横顔」発表(カップリング「君は冷たく」)。

1984年(昭和59年)9月29日、ファンハウスに移籍して、20枚目「ばらけたイニシャル」発表(カップリング「ミラクル・タッチ」)。

ファンハウスは、東芝EMI(ファンハウスレーベル)が独立した新しいレーベルで、「ばらけたイニシャル」は、新人時代の安部恭弘が曲を提供している

1984年(昭和59年)12月21日、21枚目「特別な気持ちで(I JUST CALLED TO SAY I LOVE YOU)」発表(カップリング「引き潮カフェ」)。

「I JUST CALLED TO SAY I LOVE YOU」は、スティーヴィー・ワンダーの書き下ろし作品で、ユーミンが日本語の歌詞を付けている。

もともと、スティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』(1976)に岩沢幸矢が参加したとき(クレジットにも名前あり)、スティーヴィーからもらった作品だったが、本国アメリカで映画『ウーマン・イン・レッド』の主題歌として使われることが決まったため、スティーヴィー・ワンダーのバージョンが出た後に発売することとなった。

編曲は、細野晴臣が担当している。

1985年(昭和60年)9月21日、22枚目「夢がとぶ」発表(カップリング「Old Friends」)。

「夢がとぶ」は、加藤和彦・安井かずみ夫妻の作品で、ワム!の「ケアレス・ウイスパー」みたいな曲をリクエストしたものだったという。

1986年(昭和61年)4月23日、23枚目「Remember My Love」発表(カップリング「remember my love(日本語バージョン)」)。

「Remember My Love」も、スティーヴィー・ワンダーの作品で、5月21日放送の『夜のヒットスタジオ・デラックス』には、ブレッド&バターとスティーヴィー・ワンダーが、豪華共演で出演している

1986年(昭和61年)11月21日、24枚目「さよならの贈り物」発表(カップリング「岸辺のフォトグラフ」)。

いずれも、作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明のチェッカーズ・コンビが担当。

「さよならの贈り物」は、1987年(昭和62年)新春映画第1弾の劇場アニメ『タッチ2 さよならの贈り物』の主題歌としてヒットしたが(ゴールドディスク受賞)、人気アニメとタイアップの作品なんか歌わないという理由で、ブレッド&バターのステージでは、ほとんど披露されることがなかった。

1987年(昭和62年)9月5日、25枚目「センチメンタル・フレンド」発表(カップリング「ぬけがらのシャツ」)。

松任谷正隆の編曲で、「ぬけがらのシャツ」は、ユーミンが歌詞を書いている。

1989年(平成元年)7月25日、26枚目「ワイオミング・ガール」発表(カップリング「エレノア」)。

作詞作曲は井上陽水で、フィフス・アヴェニュー・バンドのピーター・ゴールドウェイがプロデュースを担当している。

1990年代のブレッド&バター

1991年(平成3年)6月25日、27枚目「君がいた夏(セイラリエス)」発表(カップリング「IF」)。

ピーター・ゴールドウェイのプロデュースで、マレイ・ウェィンストック編曲のニューヨーク録音作品だった。

「君がいた夏(セイラリエス)」は、神奈川県が認定するプロダクツに与えられる湘南ブランドの公式イメージ曲。

カップリング「イフ」は、ブレッド(アメリカのバンド)のカバー作品で、ヤマザキパン「ダブルソフト」のCMソングに起用された(テレビCMは、松たか子が出演)。

1992年(平成4年)7月31日、28枚目「奇蹟のヴィーナス」発表(カップリング「DANCING IN THE NIGHT」)。

「奇蹟のヴィーナス」は、サンスター「VO5」のCM曲として起用されたもの。

1993年(平成5年)7月25日、29枚目「ETERNAL FRIEND─その微笑みで─」発表(カップリング「S4U/エスフォーユー(SMILE FOR YOU)」)。

「エターナル・フレンド」は、日本歯科医師会「8020運動」のイメージソングだった。

1993年(平成5年)11月17日、30枚目「僕の知らない夏」発表(カップリング「CHILDREN OF THE SEA」)。

「僕の知らない夏」は、テレビ東京系報道番組『TXN ニュース THIS EVENING』のエンディングテーマとして起用された。

作詞を、元・かぐや姫の伊勢正三が担当している。

1994年(平成6年)7月25日、31枚目「London-Paris-New York-湘南」発表(カップリング「湘南MOON」)。

「London-Paris-New York-湘南」は、FMヨコハマのイベント「ハマラジ湘南王国847」のキャンペーンソングだった。

1998年(平成10年)11月6日、ブレッド&バターとしてはラストシングルとなる「ピンク・シャドウ」発表(カップリング「DOLPHIN」)。

1974年(昭和49年)発表の「ピンク・シャドウ」を、カーネーション(直枝政太郎・棚谷祐一)プロデュースでリメイクしたもの。

ブレバタのシングルは、現在のところ、これが最後で、あれから26年が経過するが、ブレッド&バターは、現在も精力的にライブ活動を行っている。

実際に全35曲を通して聴いてみると、これだけのブレバタの歴史を一挙に聴くことができるというのは、やはり素晴らしいことだと思う(しかも、良質の音質で)。

昨今のシティポップ・ブームで、ブレッド&バターに興味を持った人は、まず、このベスト盤から始めてみるのがオススメ。

往年のブレバタ・ファンとしては、シングルのB面コレクションも、ぜひ期待したい。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。