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日本コロムビアの蓄音機型ステレオシステムで味わうラッパ・スピーカーの魅力

日本コロムビアの蓄音機型ステレオシステムで味わうラッパ・スピーカーの魅力

小沼丹の短編小説「小径」に、古い蓄音機が出てくる。

伯母のところには古い蓄音器があって、古ぼけた布張のレコオド・ケエスにレコオドが一杯詰っていた。伯母は僕が退屈すると思うのか、レコオドでもお掛けなさいな、と云うことがあった。(小沼丹「落葉」)

古い小説の中に、古い蓄音機が出てくるのを読むと、古い蓄音機で音楽を聴きたくなる。

文学の世界観を、音楽の世界観として実体験したいと思うのだろう。

古い電気蓄音機でSPレコードを聴いていた頃

古い蓄音機は、カセット・レコーダーやレコード・プレイヤー、CDプレイヤー、まして、iPhoneのアップル・ミュージックとも異なる、独自の世界観を持っている。

僕は、ベッドのかたわらの天使に向って云った。「蓄音機をかけてくれませんか?」この天使は、僕がここに入院中、僕を受持っているのだ。彼女は白い看護婦の制服をつけている。「何をかけますか?」「ショパンのノクターンを、どうぞ――」(堀辰雄「死の素描」)

それは、古い蓄音機の中でしか再現することのできない、小さな宇宙だ。

今のマンションに引っ越したとき、一番最初に揃えた家具の中に、古い蓄音機があった。

(それまでの部屋と比べて)広いリビング・ルームがうれしくて、大きな蓄音機を置いたのである。

この蓄音機は、顔なじみのアンティーク・ショップにお願いをして、整備済みの良品が入荷したら教えてほしいと頼んでおいたものだ。

ラッパこそ付いていないものの、小型の冷蔵庫くらいの大きさがあるボックス型の電蓄で(電気蓄音機)、古いとは思えないメチャクチャ立派な音を出した。

宮城道雄が「レコード夜話」の中で、古い蓄音機のボリュームのことを書いている。

私はレコードを一人で静かに聴くのが好きで、人の寝しずまった夜中などに鳴らすことがよくある。電気蓄音機は調節が出来てよいが、手捲の蓄音機でオーケストラなどを鳴らすと、辺りへひびきわたるので風呂敷をかけたり、蒲団をかぶせたりして音を弱くして聴くのである。(宮城道雄「レコード夜話」)

我が家の蓄音機は、電気蓄音機の割には、音量の微妙な調整が難しくて、いつも、めいっぱいに張り出すような音を立てた。

レコードは、クラシックかタンゴなどの西洋音楽が主だったが、さすがに夜中に聴くにはためらわれて、苦労した記憶がある。

蓄音機で聴くのはSPレコードという78回転の円盤で、片面に一曲しか収録できないという代物である。

レコード針は、片面ごとに交換が必要で(使用済みの針はもちろん廃棄する)、しかも、シェラックという素材には割れやすいという欠点があった。

つまり、LPレコードやCDに比べて圧倒的に使いにくいのだが、蓄音機で再生するSPレコードの世界観は、時を越えて旅をするような浮遊感があった。

野村あらえびす『名曲決定盤』の世界に生きているような自己満足を楽しんでいたのだろう。

しかし、この古い蓄音機は、音量調節が難しいのと、なにしろ大きいので邪魔になるという理由で、間もなく売り払ってしまった。

買取に来た骨董屋が「こんな立派な蓄音機を売ってしまうんですか?」と驚いていたことを覚えている。

コロムビアの蓄音機型ステレオシステムでCDを楽しむ

日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」

次に、やってきた蓄音機が、コロムビアの蓄音機型CDプレイヤーだった。

大きな蓄音機には、もう凝りていたから、ノスタルジックな雰囲気を持っている小型のCDプレイヤーを探して買ったのだ(SPレコードは、別のレコード・プレイヤーで聴いている)。

日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」は、CD(コンパクトディスク)とラジオを聴くことができる。

木目調のアンティーク・デザインが、ビジュアル的に心を癒してくれるのは、もちろんだが、スイッチ切り替えで、ラッパ(5cmフルレンジスピーカー)から音を出して聴くことができるというところがいい。

日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」取扱説明書日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」取扱説明書

前面のスピーカーは、7.7cmフルレンジスピーカーで、アンプの出力は1.5W+1.5W。

物足りないと言えば物足りないが、現代のマンション・ライフを考えると、十分と言えば十分とも言える。

なにより、ノスタルジックなビジュアルを楽しむのが第一だから、音質云々の話をするのは無粋というものだろう。

蓄音機型の卓上ステレオで聴くのは、80年代のシティ・ポップではなく、SP音源を復刻したCDに限る。

戦前歌謡も悪くないけれど、蓄音機には、やはり西洋音楽が似合うようだ(特に、クラシック音楽)。

笠置シヅ子「セントレイス・ブルース」や、淡谷のり子「ラ・クンパルシータ」のように、外国の音楽を日本語の歌詞で歌ったものも、ノスタルジックでいい。

日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」はラッパ・スピーカーが魅力日本コロムビアの卓上型ステレオシステム「GP-610」はラッパ・スピーカーが魅力

そして、昭和初期の古い音楽を聴きながら、昭和初期の古い小説なんか読んでいると、自分がいつの時代に生きているのかさえ、分からなくなってくる。

この感覚は、小沼丹の小説の世界観にも通じるものがあるような気がする。

或る晩遅く、或る酒場に坐っていたら、珍しく金井が這入って来て、やあ、いるな、と云った。「──何だい、いま頃……?」「──いや、今夜はベエトオヴェンを聴いて来た」と金井が澄して云った。(小沼丹「昔の仲間」)

ノスタルジアというのは、単なる懐古趣味とは、どうやら違うらしい。

それは、過ぎた時代を、文学や音楽の世界で追体験する、新たな昭和体験である。

未来が大切であるのと同じように、過去もまた、我々には大切なものなのだ。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。