夏目漱石の「三四郎」は、主人公の小川三四郎が、九州の高校を卒業して東京の大学に入学するために上京する場面から始まる。
「生まれついての東京人には、この「上京者」の昂りや憧れ、東京で住み暮らす不安と期待はわからないだろう」と著者(岡崎武志)は綴るが、三四郎は、まさしくこの「東京で住み暮らす不安と期待」の中で、大学生活をスタートさせた。
本書「上京する文学」は、自身も「上京者」である著者が、「東京で住み暮らす不安と期待」を根底に抱える「上京」に着目して考察した文学者たちの評伝である。
斎藤茂吉、山本有三、石川啄木、夏目漱石、山本周五郎、菊池寛、室生犀星、江戸川乱歩、宮沢賢治、川端康成、林芙美子、太宰治、向田邦子、五木寛之、井上ひさし、松本清張、寺山修司、村上春樹。
地方出身の作家は、誰もが一度は上京し、そして、東京の人となった。
名著「路傍の石」を残した山本有三は栃木出身で、「まっさきに、『東京』を感じたのは、鉄道馬車の鈴の音だった」「東京ははねている。東京は踊っている」と「路傍の石」の主人公・吾一に言わせている。
かつて、「上京する」ということは、「故郷を捨てる」ということでもあった。
「ふるさとは遠きにありて思うもの/そして悲しくうたうもの/よしや/うらぶれて異土の乞食になるとても/帰るところにあるまじや」と詠ったのは、詩人の室生犀星である。
犀星にとっての東京は、つねに故郷・金沢の対極としてあるものであり、東京に対する思いは、そのまま故郷・金沢に対する思いでもあった。
日本の近代文学は、こうした地方出身者たちのエネルギーによって支えられてきたのである。
村上春樹の上京物語
僕が大学に入るために東京に出てきたのは1968年の春だった。大荷物を持つのは嫌だから必要なものは先に送ってしまい、コートのポケットに煙草とライターとジョン・アップダイクの『ミュージック・スクール』だけをつっこんで家を出た。バンタムだかデルだかのペーパーバックで、昔風のすっきりとした良い表紙だった。ガール・フレンドと食事して、さよならを言って、新幹線に乗った。(村上春樹「象工場のハッピーエンド」)
現代文学を代表する巨匠・村上春樹も、上京者の一人だった。
到着しているはずの荷物が何もない部屋で、ジョン・アップダイクを読み終えた著者(村上春樹)は、「僕はこの巨大な都市に布団もなく髭剃もなく、電話をかけるべき相手もなく出かけるべき場所もなく、たった一人で放り出されていた。でもそれは悪くない感情だった」と考えている。
こうした疎外感や孤独感は、東京に限ったものではないが、上京が他の地域への転住と異なるのは、東京という都市の巨大さと、膨大な上京者たちの共通体験ということだろう。
東京には、東京でなければ感じることのできない感情がある。
多くの文学者がそれを体験し、そこから多くの物語を綴っていったのだ。
川端康成の趣味は「百貨店見物」だった
川端が祖父と住んだのは、現・大阪府茨木市に今も町名として残る「宿久庄(すくのしょう)。私はこの地にいささか土地鑑があるが、約二十年前でも鄙びた臭いがあった。百年前ならなおさらだろう。大正六年に初めて東京の地を踏んだ川端は、完全な「お上りさん」だ。ことばも「大阪弁」丸出しだったという。(「川端康成 浅草で見つけた「大阪」」)」
大正6年、一高(現在の東京大学)に合格した川端康成は、寮に入る前の一時期、浅草蔵前にある従兄の家に身を寄せて、後に「浅草紅団」という人気作品を書いた。
上京した川端康成は、浅草で「百貨店見物」を覚え、「僕の隠し芸なり。一週間に一二度は欠かしたことなし」と日記に記すほどだが、著者(岡崎武志)は、川端の百貨店見物は「百貨店には売り子も客も女性が多い。生きた女性、しかも都会的な美しい女性を見物するため」だったと推測する。
川端の写真には気難しい表情をしたものが多く、「笑みがこぼれているのは、たいてい、若い女性を前にした時」だからだ。
百貨店の中でも、川端康成は浅草「松屋百貨店」を特に好んだそうである。
近代都市・東京は、関東大震災、空襲、オリンピック、バブルと、幾度となく破壊と再生を繰り返してきた街である。
それぞれの時代で上京した文学者たちは、東京に何を見て、何を感じたのか。
本書は、これから上京していく人たちに向けた、著者からのメッセージである。
書名:上京する文学(漱石から春樹まで)
著者:岡崎武志
発行:2012/10/25
出版社:新日本出版社