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庄野文学のアイドル「フーちゃん」は、長女(夏子)の再来だったのか?

庄野文学のアイドル「フーちゃん」は、長女(夏子)の再来だったのか?

庄野潤三には「フーちゃん三部作」と呼ばれる作品がある。

初めての孫娘(フーちゃん)を主人公とする作品群のことだ。

庄野潤三の家族小説の中で、フーちゃんはアイドル的なキャラクターとして人気を集めている。

「フーちゃん三部作」の中のフーちゃん

フーちゃんが初めて登場するのは、フーちゃん三部作の最初の作品『エイヴォン記』(1989)だ。

『エイヴォン記』は、庄野さんの読書体験を軸とする長編随筆で、作品と呼応するような形で、庄野さんの初めての孫娘(フーちゃん)が登場する。

こんなふうにして私は「エイヴォン記」の二回目に「猟人日記」より「ベージンの野」を取り上げて一しょに読んでみようという心づもりが出来たのだが、「ベージンの野」に登場するロシアの田舎の子供たち──フェーヂャとかパヴルーシャ、イリューシャ、コースチャ、いちばん年下のワーニャの話をするより前に、私と妻の夫婦が二人きりで暮しているところへ、ときどき現れる小さな女の子(それは私どもの孫娘なのだが)のことを紹介しておきたい。「ベージンの野」の少年たちのように大きくない。「エイヴォン記」の二回目が雑誌に載る少し前に、満二歳の誕生日を迎えたばかりなのだ。私たちの家から歩いて五分くらいのところの大家さんの家作に住んでいる次男の長女で、孫のなかでただ一人の女の子である。(庄野潤三「エイヴォン記」)

庄野潤三の次男(和也)の長女(文子)は、1986年(昭和61年)7月16日生まれで、庄野さんの闘病記『世をへだてて』(1987)で、チラリと顔を覗かせている。

新しい杖の方は、子供らが相談して、退院祝いはステッキと決め、みんなから委された長男の嫁が、七月に赤ん坊が生れる次男の嫁と二人で連れ立って正月明けに二子玉川にある高島屋へ出かけた。(庄野潤三『世をへだてて』より「杖」)

この作品の中で、フーちゃんのお母さん(ミサヲちゃん)は、「長男夫婦と十月に式を挙げたばかりの、長男と同じ大家さんの向い合せの家作にいる次男の嫁」として登場している(次男・和也が、冨田操と結婚したのは、1985年10月だった)。

同様の記述は、連作短編集『インド綿の服』(1988)にもある。

このウーマンズ・ミーティングには本当なら前の年の十月に結婚した次男の嫁の「みさをちゃん」が参加しているはずだが、七月に赤ん坊が生れることになっていて、保健所の検診の日と重なったために出席できなかった。(庄野潤三『インド綿の服』より「足柄山の春」)

1986年(昭和61年)7月、無事に生まれた女の子は「文子(ふみこ)」と名付けられ、満二歳の誕生日を迎える頃に「フーちゃん」として、庄野文学に登場した(これが『エイヴォン記』二回目の「ベージンの野」だった)。

やがて、庄野さんは、フーちゃんにフォーカスした家族小説に力を入れるようになり、一連の作品は「フーちゃん三部作」と呼ばれることになる(『エイヴォン記』『鉛筆印のトレーナー』『さくらんぼジャム』)。

三部作の二作目『鉛筆印のトレーナー』(1992)で、フーちゃんは「次男のところの四歳になる孫娘」として登場する。

『エイヴォン記』で二歳だったフーちゃんが、『鉛筆印のトレーナー』では四歳になっているが、三歳時代のフーちゃんのことは、短い随筆の中で読むことができる。

例えば、「たき火」には「フーちゃんは、近所に住んでいる次男の三歳になる孫娘である」とあるし、「浦島太郎」にも「次男のところには、三歳になるフーちゃんがいる」と紹介されている。

「おるす番」でも「この日、次男は会社の休みを取って、三歳になる孫娘といっしょに留守番をしてくれる」と書かれていて、この時期、庄野さんの随筆で「フーちゃん」は、重要な素材(キャラクター)となっていた(いずれも随筆集『誕生日のラムケーキ』所収)。

『鉛筆印のトレーナー』で、フーちゃんは幼稚園に入園する。

フーちゃんの入園式の日が来た。朝、起きたときは、まだ少し前まで雨が残っていたが、「見送り」に行くために妻と一緒に家を出るとき、明るく日が差して来た。(庄野潤三「鉛筆印のトレーナー」)

ちなみに、フーちゃんが通った幼稚園は、東長沢にある「みどり幼稚園」だった(「潮見台みどり幼稚園」)。

三部作完結編『さくらんぼジャム』(1994)で、フーちゃんは、「フーちゃんというのは、この「山の下」の次男のところの幼稚園へ行っているもうすぐ六歳になる長女で」という形で登場する(「文子という名前だから、フーちゃん」)。

この作品で、次男一家は、「山の下」から「読売ランド前」へと引っ越し、庄野家とフーちゃんとの距離も少し遠くなってしまった。

さらに、フーちゃんは、幼稚園を卒園して小学校に入学するから、おじいちゃん・おばあちゃんとの精神的な距離感も、これまでより遠いものとなっていたに違いない。

フーちゃん三部作は、初めての孫娘(フーちゃん)が、物理的にも精神的にも、祖父母と密着していた時代の日常を描いたものだったから、どれだけ書きたいという気持ちがあっても、これ以上「フーちゃんシリーズ」を続けることは難しかっただろう。

こちらは咄嗟のことで、何もいわずにフーちゃんのあとをついて行き、ミサヲちゃんとフーちゃんのいる前で、「遊びにお出で。泊りがけで」といった。そのあと、前田さんの車の方へ行くミサヲちゃんとフーちゃんのうしろを歩いているうちに、不意に顔がくしゃくしゃになり、泪が出そうになった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)

庄野さんの涙は、孫娘フーちゃんの自立を予感したものだったかもしれない。

思えば、庄野文学が、山の上の家で暮らす五人家族の物語だった時代、その中心にいたのが長女(夏子)だった(一連の作品中では「和子」として登場)。

庄野家の長女(夏子)は、幼いころから、庄野文学を支える登場人物としての役割を果たしており、この少女の存在によって、庄野文学が成立してきたという意味で、長女の功績は大きい。

しかし、長女が結婚して庄野家を出た後、庄野文学から少女の匂いは消えた。

母親となった長女は、相変わらず活躍していたが、彼女の果たす役割は、既にかつて少女だった時代のものではない(当たり前だが)。

そこに登場してきたのは、天使のような孫娘(フーちゃん)だった。

庄野文学にとってフーちゃんは、長女(夏子)の再来だったのだ。

幼い女の子の成長を、今度は祖父母の目線に立って、庄野さんは書き始める。

その最初の(一連の)作品が、「フーちゃん三部作」という作品群だったのだろう。

おそらく、庄野さんは、フーちゃんの中に、幼いころの長女(夏子)の姿を見ていたはずだ(多くの親と同じように)。

だから、ある意味で「フーちゃんシリーズ」は、庄野文学にとって必然的な作品であったとも言える。

逆説的に言えば、庄野文学に必要な存在としてフーちゃんは、生まれるべくして生まれてきたのだ。

「夫婦の晩年シリーズ」の中のフーちゃん

「フーちゃん三部作」を卒業した庄野さんは、夫婦の晩年を描く長いシリーズの中で、フーちゃんの成長を描き続けていくことになる。

フーちゃんひとりにフォーカスした作品は、既に難しかったものの、老夫婦の日常の中においてフーちゃんを描くことは、晩年の庄野さんにとって、重要な喜びだったからだ。

その最初の作品が『貝がらと海の音』(1996)で、フーちゃんは「小学二年生の女の子」として、庄野文学に再登場する。

フーちゃんというのは、名前が文子で、まだ私たちの家から坂を下りて行った先の大家さんの借家にいて、よくお母さんのミサヲちゃんに連れられて「山の上」(と私たちのことを呼んでいた)へ遊びに来ていた二歳のころから、私たちはこの子のことをフーちゃんと呼んでいた。(庄野潤三「貝がらと海の音」)

庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」は、この後、10年間に渡る庄野夫妻の日常を描き続けていくから、フーちゃんも作品とともに成長する姿を見せることになった。

読売ランド前の次男のところの小学三年生になる孫娘のフーちゃんから妻の誕生日のお祝いの手紙が届いた。(庄野潤三「ピアノの音」)

「夫婦の晩年シリーズ」二作目の『ピアノの音』(1997)で、フーちゃんは小学三年生となっている。

フーちゃん一人にフォーカスした作品は書けないと言っても、庄野文学にとってフーちゃんがアイドルであるという状況に変わりはない。

フーちゃんと、長女(夏子)は、庄野文学にとって、常に最も重要な登場人物だったのだ。

フーちゃんというのは、読売ランド前の坂の上の住宅にいる次男のところの長女で、いま、小学四年。私たちの家の前の坂道を下りて行った先の大家さんの借家にいたころから、お母さんのミサヲちゃんに連れられてよく来た。(庄野潤三「せきれい」)

シリーズ三作目『せきれい』(1998)のフーちゃんは、小学四年生だった。

フーちゃんというのは、次男のところの小学五年生の長女。文子という名前で、小さいときから私たちはフーちゃんと呼んでいる。私たちの家の前の坂道を下りて行った先の、長男と同じ大家さんの、庭つきの借家で生れた。(庄野潤三「庭のつるばら」)

シリーズ四作目『庭のつるばら』(1999)で、フーちゃんは、小学五年生となっているが、この作品で、庄野さんは、フーちゃん一家が、読売ランド前へ引っ越していった日のことを回想している。

雨の中をフーちゃんが庭先に立っている私のところへやって来て、「さようなら」といった。私はフーちゃんのあとについて、車のところまで行った。不意に思いがけず泣き出しそうになった。(庄野潤三「庭のつるばら」)

あるいは、この作品あたりから、作家の日常に占める回想の割合が多くなっていたのではないだろうか。

小学五年生のフーちゃんは、これまで以上に精神的に自立する時期に入っていたはずだからだ(思春期の到来)。

シリーズ五作目『鳥の水浴び』(2000)で、フーちゃんは、小学六年生になっている。

フーちゃんは私の書く本によく登場する。文子という名前で、私たちは、次男一家がまだ「山の下」の長男と同じ大家さんの家作にいたころから、フーちゃんと呼んで親しんでいる。(庄野潤三「鳥の水浴び」)

この作品では、幼かったころの長女が登場している。

長女は『静物』を貰ってよろこぶ。この小説を書き上げたのは、私が三十九歳の年であった。「静物」の中には子供の話がいっぱい出て来る。学校の帰りに手に持っていた胡桃を一つ道に落す女の子というのは、そのころ小学生であった長女である。(庄野潤三「鳥の水浴び」)

フーちゃんの成長とともに、作品の中でフーちゃんの果たす役割は、確実に変化しているのだ(なので、どうしても回想が多くなっていく)。

シリーズ六作目は『山田さんの鈴虫』(2001)である。

フーちゃんの西生田小学校の卒業式の日。生憎、昼前から雨がふり出す。ただし、傘なしでも歩けるくらいの小雨。ひどい降りでなくてよかったと、妻とよろこぶ。(庄野潤三「山田さんの鈴虫」)

フーちゃんは、西生田小学校を卒業して、西生田中学校の一年生となった。

「フーちゃん、きれいになったね」という妻の言葉が、フーちゃんの成長を表している。

シリーズ七作目『うさぎのミミリー』(2002)で、フーちゃんは中学二年生になるが、孫の数も多くなって、さすがにフーちゃんの出番は少なくなっている(夏子と同じように、手紙で登場することもあった)。

シリーズ八作目『庭の小さなばら』(2003)で、中学三年生になったフーちゃんは、シリーズ九作目『メジロの来る庭』(2004)で、生田高校に入学する。

一回目の三田一丁目への散歩から戻ると、崖の坂道をフーちゃんと並んで妻が下りて来る。どうしたのかと思ったら、今日は生田高校の入学式で、入学式を終ったフーちゃんが帰りにうちへ寄ってくれたのであった。(庄野潤三「庭の小さなばら」)

『エイヴォン記』で満二歳だったフーちゃんが、とうとう高校生になったと思うと、読者にとっても感慨深いものがある。

シリーズ十作目は『けい子ちゃんのゆかた』(2005)。

次男のところには、高校一年在学中の女の子と中学一年の男の子がいる。長女は文子というのだが、次男一家がまだ長男一家のいる「山の下」のすぐそばの二間の借家に暮していたころから、私たちはフーちゃんといって親しくしていた。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)

二歳当時のフーちゃんの回想が多いのは、老作家にとって、ある意味では、当たり前のことでもあるだろう。

シリーズ十一作目で最終作となった『星に願いを』(2006)で、フーちゃんは高校二年生。

次男のところは子供が二人。姉の文子は、いま高校。弟の春夫は中学。文子は足柄の長女のところに男の子ばかり四人続いて生れたあとにはじめて授かった女の子の孫で、「山の上」の私たちの家の前の坂を下りた先の、大家さんの二間の借家にいたころ、よく買物に行くお母さんについて「山の上」に寄ったころから、「フーちゃん、フーちゃん」といって妻と二人でままごと遊びの相手になってやった。(庄野潤三「星に願いを」)

生田高校で、フーちゃんは吹奏楽部に入っていて、サックスを担当している。

できるなら、高校を卒業するフーちゃんの姿まで読みたかったが、こればかりは仕方がない。

むしろ、幼少期から高校生まで続くフーちゃんの成長を連続して読むことができるということ自体、文学界におけるひとつの奇跡だったと考えるべきなのだ。

長女(夏子)が、中期庄野文学を支えた功労者であったとするなら、フーちゃんは、後期庄野文学を支えた最大の功績者である。

フーちゃんという一人の女の子の成長そのものが、庄野文学を貫く大きな物語となっていたからだ。

「夫婦の晩年シリーズ」には、多くの登場人物が顔を見せるが、中心にいるのは、いつでもフーちゃんだった(たとえ、登場回数が少なくなったとしても)。

庄野文学にとって、フーちゃんは永遠のアイドルであり、膨大な作品群のヒロインとして、時代を超えて輝き続けることだろう。

もしも、「夫婦の晩年シリーズ」がいつまでも続いていたとしたら、フーちゃんは、今年38歳である。

アラフォーになったフーちゃんが活躍する物語というのも、きっと楽しいものになっていただろうな。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。源氏パイと庄野潤三がお気に入り。