庄野潤三には「フーちゃん三部作」と呼ばれる作品がある。

初めての孫娘「フーちゃん」を主人公とする作品群のことだ。

庄野潤三の家族小説の中で、フーちゃんはアイドル的なキャラクターとして人気を集めている。

本記事では「フーちゃん三部作」について、マニアックな視点から詳しく解説していきたい。

庄野潤三「フーちゃん」とは?

「フーちゃん」は、後期庄野文学のアイドルとして知られる人気キャラクターである。

モデルは庄野潤三の次男(庄野和也)の長女(庄野文子)だ。

初めての孫娘である文子が生まれて以降、庄野さんは、この女の子に「フーちゃん」という愛称を与えて、小説の中で書き続けた。

その代表作とも言えるのが、いわゆる「フーちゃん三部作」と呼ばれる作品群である。

庄野潤三「フーちゃん三部作」とは?

庄野潤三は、幼い頃のフーちゃんを三つの作品の中で描いた。

『エイヴォン記』『鉛筆印のトレーナー』『さくらんぼジャム』の三作で、これらの作品はファンの間で「フーちゃん三部作」と呼ばれている。

①『エイヴォン記』フーちゃんの初登場

フーちゃんが初めて登場するのは、フーちゃん三部作の最初の作品『エイヴォン記』(1989)だ。

『エイヴォン記』は、庄野さんの読書体験を軸とする長編随筆で、作品と呼応するような形で、庄野さんの初めての孫娘(フーちゃん)が登場する。

こんなふうにして私は「エイヴォン記」の二回目に「猟人日記」より「ベージンの野」を取り上げて一しょに読んでみようという心づもりが出来たのだが、「ベージンの野」に登場するロシアの田舎の子供たち──フェーヂャとかパヴルーシャ、イリューシャ、コースチャ、いちばん年下のワーニャの話をするより前に、私と妻の夫婦が二人きりで暮しているところへ、ときどき現れる小さな女の子(それは私どもの孫娘なのだが)のことを紹介しておきたい。「ベージンの野」の少年たちのように大きくない。「エイヴォン記」の二回目が雑誌に載る少し前に、満二歳の誕生日を迎えたばかりなのだ。私たちの家から歩いて五分くらいのところの大家さんの家作に住んでいる次男の長女で、孫のなかでただ一人の女の子である。(庄野潤三「エイヴォン記」)

庄野潤三の次男(和也)の長女(文子)は、1986年(昭和61年)7月16日生まれで、庄野さんの闘病記『世をへだてて』(1987)で、チラリと顔を覗かせている。

新しい杖の方は、子供らが相談して、退院祝いはステッキと決め、みんなから委された長男の嫁が、七月に赤ん坊が生れる次男の嫁と二人で連れ立って正月明けに二子玉川にある高島屋へ出かけた。(庄野潤三『世をへだてて』より「杖」)

この作品の中で、フーちゃんのお母さん(ミサヲちゃん)は、「長男夫婦と十月に式を挙げたばかりの、長男と同じ大家さんの向い合せの家作にいる次男の嫁」として登場している(次男・和也が、冨田操と結婚したのは、1985年10月だった)。

同様の記述は、連作短編集『インド綿の服』(1988)にもある。

このウーマンズ・ミーティングには本当なら前の年の十月に結婚した次男の嫁の「みさをちゃん」が参加しているはずだが、七月に赤ん坊が生れることになっていて、保健所の検診の日と重なったために出席できなかった。(庄野潤三『インド綿の服』より「足柄山の春」)

1986年(昭和61年)7月、無事に生まれた女の子は「文子(ふみこ)」と名付けられ、満二歳の誕生日を迎える頃に「フーちゃん」として、庄野文学に登場した(これが『エイヴォン記』二回目の「ベージンの野」だった)。

やがて、庄野さんは、フーちゃんにフォーカスした家族小説に力を入れるようになり、一連の作品は「フーちゃん三部作」と呼ばれることになる(『エイヴォン記』『鉛筆印のトレーナー』『さくらんぼジャム』)。

フーちゃんが初登場する『エイヴォン記』については、別記事「庄野潤三『エイヴォン記』あらすじ解説│孫娘フーちゃんと庄野潤三の読書体験」で詳しく解説しています。

②『鉛筆印のトレーナー』フーちゃんの入園

三部作の二作目『鉛筆印のトレーナー』(1992)で、フーちゃんは「次男のところの四歳になる孫娘」として登場する。

『エイヴォン記』で二歳だったフーちゃんが、『鉛筆印のトレーナー』では四歳になっているが、三歳時代のフーちゃんのことは、短い随筆の中で読むことができる。

例えば、「たき火」には「フーちゃんは、近所に住んでいる次男の三歳になる孫娘である」とあるし、「浦島太郎」にも「次男のところには、三歳になるフーちゃんがいる」と紹介されている。

「おるす番」でも「この日、次男は会社の休みを取って、三歳になる孫娘といっしょに留守番をしてくれる」と書かれていて、この時期、庄野さんの随筆で「フーちゃん」は、重要な素材(キャラクター)となっていた(いずれも随筆集『誕生日のラムケーキ』所収)。

『鉛筆印のトレーナー』で、フーちゃんは幼稚園に入園する。

フーちゃんの入園式の日が来た。朝、起きたときは、まだ少し前まで雨が残っていたが、「見送り」に行くために妻と一緒に家を出るとき、明るく日が差して来た。(庄野潤三「鉛筆印のトレーナー」)

ちなみに、フーちゃんが通った幼稚園は、東長沢にある「みどり幼稚園」だった(「潮見台みどり幼稚園」)。

二作目の作品『鉛筆印のトレーナー』については、別記事「庄野潤三『鉛筆印のトレーナー』あらすじと解説|孫娘の成長を見守る祖父母の思い」で詳しく紹介しています。

③『さくらんぼジャム』フーちゃんの卒園

三部作完結編『さくらんぼジャム』(1994)で、フーちゃんは、「フーちゃんというのは、この「山の下」の次男のところの幼稚園へ行っているもうすぐ六歳になる長女で」という形で登場する(「文子という名前だから、フーちゃん」)。

この作品で、次男一家は、「山の下」から「読売ランド前」へと引っ越し、庄野家とフーちゃんとの距離も少し遠くなってしまった。

さらに、フーちゃんは、幼稚園を卒園して小学校に入学するから、おじいちゃん・おばあちゃんとの精神的な距離感も、これまでより遠いものとなっていたに違いない。

フーちゃん三部作は、初めての孫娘(フーちゃん)が、物理的にも精神的にも、祖父母と密着していた時代の日常を描いたものだったから、どれだけ書きたいという気持ちがあっても、これ以上「フーちゃんシリーズ」を続けることは難しかっただろう。

こちらは咄嗟のことで、何もいわずにフーちゃんのあとをついて行き、ミサヲちゃんとフーちゃんのいる前で、「遊びにお出で。泊りがけで」といった。そのあと、前田さんの車の方へ行くミサヲちゃんとフーちゃんのうしろを歩いているうちに、不意に顔がくしゃくしゃになり、泪が出そうになった。(庄野潤三「さくらんぼジャム」)

庄野さんの涙は、孫娘フーちゃんの自立を予感したものだったかもしれない。

フーちゃん三部作の完結篇『さくらんぼジャム』については、別記事「庄野潤三『さくらんぼジャム』解説│「フーちゃん3部作」完結編に漂う孫への愛と喪失感」で、詳しく解説しています。

まとめ│長女・夏子の再来としてのフーちゃん

思えば、庄野文学が、山の上の家で暮らす五人家族の物語だった時代、その中心にいたのが長女(夏子)だった(一連の作品中では「和子」として登場)。

庄野家の長女(夏子)は、幼いころから、庄野文学を支える登場人物としての役割を果たしており、この少女の存在によって、庄野文学が成立してきたという意味で、長女の功績は大きい。

しかし、長女が結婚して庄野家を出た後、庄野文学から少女の匂いは消えた。

母親となった長女は、相変わらず活躍していたが、彼女の果たす役割は、既にかつて少女だった時代のものではない(当たり前だが)。

そこに登場してきたのは、天使のような孫娘(フーちゃん)だった。

庄野文学にとってフーちゃんは、長女(夏子)の再来だったのだ。

幼い女の子の成長を、今度は祖父母の目線に立って、庄野さんは書き始める。

その最初の(一連の)作品が、「フーちゃん三部作」という作品群だったのだろう。

おそらく、庄野さんは、フーちゃんの中に、幼いころの長女(夏子)の姿を見ていたはずだ(多くの親と同じように)。

だから、ある意味で「フーちゃんシリーズ」は、庄野文学にとって必然的な作品であったとも言える。

もしかすると、フーちゃんは、庄野文学に必要な存在として、生まれるべくして生まれてきた女の子だったのかもしれない。

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文学ブログ『時空標本』では、庄野潤三の紹介に力を入れています。

詳細は、次の記事をご覧ください。

庄野潤三とは|芥川賞を”超えた”作家の魅力と代表作10選を徹底解説

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モグラのジェン
文芸コラム担当。感想以上、批評未満。深読み癖あり。感想はX(@jiku_hyohon)にてお待ちしています。