島崎藤村「新生」読了。
本作『新生』は、第一巻(前篇)と第二巻(後篇)の全二巻で構成された長篇小説である。
第一巻は、1919年(大正8年)1月に、第二巻は、同年12月に、それぞれ春陽堂から刊行された。
この年、著者は48歳だった。
初出は、次のとおり。
「新生(第一巻/前篇)」
・1918年(大正7年)5月1から10月5日まで『東京朝日新聞』
「新生(第二巻/後篇)」
・1919年(大正8年)4月27から10月23日まで『東京朝日新聞』
妊娠から逃げた男のセンチメンタル・ジャーニー
新聞に発表された『新生』を読んだ田山花袋が「藤村は自殺するかもしれない」と言ったというエピソードがある。
『新生』ははじめ新聞小説として東京朝日新聞に掲載されたが、「節子は極く小さな声で、彼女が母になったことを岸本に告げた」という一節を含む第十三章が突如揚げられた日、田山花袋は非常に興奮しながら白石実三に語ったという、「君、島崎は自殺するかも知れない。……いや、こうしているうちにも電報が来るかも知れない。困ったことになった。……見舞に行くのも変だし、といって、心配で遠くから傍観してるにしのびない」と。(平野謙「新生」)
田山花袋の心配について、後年、伊藤整は「花袋のその時の認識は一重のリアリストのそれであった」と綴っているが、現役の人気作家による、親戚の娘(姪っ子)を妊娠させたという告白は、仲間だった田山花袋に限らず、世の中を動揺させたらしい(なにしろ、相手の女性も、まだ普通に生活していた)。
しかも、この作品は、姪を妊娠させたことから始まる、一人の作家による懺悔告白の小説だった。
妻を亡くし、父子家庭となった主人公(岸本捨吉、41歳)の家族を手伝うために、姪(節子、20歳)が同居するが、その年のうちに、節子の妊娠が発覚した。
「私の様子は、叔父さんには最早よくお解わかりでしょう」新しい正月がめぐって来ていて、節子は二十一という歳を迎えたばかりの時であった。丁度二人の子供は揃って向いの家へ遊びに行き、婆やもその迎えがてら話し込みに行っていた。階下には外に誰も居なかった。節子は極く小さな声で、彼女が母になったことを岸本に告げた。(島崎藤村「新生」)
一連の主人公の行動には、3つの大きなポイントがあって、その一つが、現実逃避をするためのフランス行きだった。
丁度節子は酔っている叔父のために冷水を用意して来た。岸本は何事にも知らずにいる姪にまで自分の心持を分けずにいられなかった。「可哀そうな娘だなあ」思わずそれを言って、彼ゆえに傷ついた小鳥のような節子を堅く抱きしめた。「好い事がある。まあ明日話して聞かせる」(島崎藤村「新生」)
主人公の言う「好い事」とは、つまり、叔父さんは外国へ行くから、もうお別れだよ、ということである。
妊娠の処置とか、子どもをどうするとか、具体的な話は一切ない。
もともと、主人公が節子と肉体関係を持ったのは、一時の性欲の解消が目的であって、恋愛感情のようなものがあったわけではなかった。
むしろ、彼は、結婚生活にうんざりしていたから、舞い込む再婚話を断り続けるほど、女性との恋愛関係には辟易していたのだ。
『新生(第一巻/前篇)』は、節子との関係を忘れるために悶々とする岸本捨吉のフランス滞在記である。
洋行の船の中で主人公は、義雄(捨吉の次兄、節子の父親)に宛てて手紙を書き、節子の妊娠の後始末を依頼する。
思わず岸本の胸は震えた。兄は東京の留守宅の方から書いてよこした。お前が香港から出した手紙を読んで茫然自失するの他はなかったと書いてよこした。十日あまりも考え苦しんだ末、適当な処置をするために名古屋から一寸上京したと書いてよこした。お前に言って置くが、出来たことは仕方がない、お前はもうこの事を忘れてしまえと書いてよこした。(島崎藤村「新生」)
義雄は、節子を密かに出産させた上、生まれた子供をよそへやってしまうことで、事件を終わらせようとしたが、「お前はもうこの事を忘れてしまえ」という言葉が、この後の主人公にとって呪いの言葉となる。
つまり、主人公は、節子との関係を(節子を妊娠させたことを)最後まで忘れることができなかったのだ。
フランスで、主人公は、節子との関係を忘れるべく努力する。
彼は一切から離れようとして国を出たものだ。けれども彼の方で節子から遠ざかろうとすればするほど、不幸な姪の心は余計に彼を追って来た。飽くまでも彼はこうした節子の手紙に対して沈黙を守ろうとした。彼は節子の手紙を読む度に、自分の傷口が破れてはそこから血の流れる思いをした。(島崎藤村「新生」)
妊娠させた女から届く手紙は、主人公の心を乱し続けた。
主人公は、あたかも自分が被害者であるかのような心境を切々と綴り続ける(「一度犯した罪は何故こう意地悪く自分の身に附纏って来るのだろう、と岸本は嘆息してしまった」)。
小島信夫が「感傷的でひとりよがりで、自分の気分にひたり切っている」と評したのも、もっともだろう(『東京に移った同族』)。
「運命は何処まで自分を連れて行くつもりだろう」こうした疑問は岸本の胸を騒がせた。どうかすると彼は部屋の床の上に跪き、堅い板敷に額を押宛てるようにして熱い涙を流した。(島崎藤村「新生」)
主人公の感傷は、ある意味で、「第一巻/前篇」の見どころと言えるかもしれない。
戦時のフランス紀行も面白いのだが、主人公の感傷旅行に、あまりにも引きずられてしまっている。
不倫の関係を懺悔する告白小説
やがて、第一次世界大戦の戦火が激しくなったのを機に、主人公は帰国する(フランスも戦場と化していた)。
次兄(義雄)は、約束どおり、何事もなかったように捨吉を迎え入れ、捨吉一家との同居生活を続ける(主人公が留守中、義雄夫妻が、子どもたちの面倒を見ていた)。
ここで二つ目のポイントだが、主人公は、帰国早々またしても、姪の節子と肉体関係を持ってしまう。
口にも言えないような姪の様子はその時不思議な力で岸本を引きつけた。彼は殆ど衝動的に節子の側へ寄って、物も言わずに小さな接吻を与えてしまった。すると彼が驚き狼狽て節子の口を制えたほど、彼女は激しい啜り泣きの声を立てようとした。(島崎藤村「新生」)
あまりに沈んだ様子の節子を慰めるため、主人公は節子との関係を復活させる。
「叔父と姪とは到底結婚の出来ないものかねえ」思わず岸本はこんなことを言出した。彼は節子の顔を見まもりながら更に言葉を継いで、「いっそお前を貰っちまう訳には行かないものかなあ。どうせ俺は誰かを貰わなけりゃ成らない」(島崎藤村「新生」)
三年の空白期間を経て、よりを戻した二人の関係は、新しい方向へと展開していく。
「節ちゃん、お前は何時までも叔父さんのものかい」「ええ――何時までも」胸に迫って湧いて来るような涙と共に、節子は啜り泣く声を呑んだ。(島崎藤村「新生」)
結婚できなくてもいい。
二人の気持ちは、いつでも一緒だ。
新しい発想が、主人公を再生の道へと歩かせていく。
新しい愛の世界が岸本の前に展けかかって来た。恥じても恥じても恥じ足りないように思った道ならぬ関係の底からこれだけの誠実が汲めるということは、岸本の精神に勇気をそそぎ入れた。そこから彼は今まで知らなかったような力を掴んだ。(島崎藤村「新生」)
姪の妊娠を知って海外逃亡した男の話が、いつの間にか、美しい話になっている。
『新生』を読んだ芥川龍之介は、島崎藤村を「老獪な偽善者」と呼んだ。
彼は彼の精神的破産に冷笑に近いものを感じながら、(彼の悪徳や弱点は一つ残らず彼にはわかっていた。)不相変いろいろの本を読みつづけた。しかしルッソオの懺悔録さえ英雄的な嘘に充ち満ちていた。殊に「新生」に至っては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。(芥川龍之介「或阿呆の一生」)
一人の作家のエゴイズムとして、この作品を読むと、芥川龍之介の気持ちが分からないでもない。
しかし、主人公(岸本捨吉)最大の偽善は、節子との関係を、小説に書いて告白しようとしたことだろう(ここが、3つ目のポイント)。
彼は節子に対する哀憐を自分の行けるところまで持って行こうとして、兄に隠し、嫂に隠し、祖母さんに隠し、久米に隠し、自分の子供にまで隠し、まるで谷底を潜る音のしない水のように忍び足に歩き続けて来た。この二人の路の行き塞ることは見易い道理であったかも知れない。(島崎藤村「新生」)
『新生(第二巻/後篇)』は、不倫の関係を懺悔する告白小説となっている(読者は、ここで『破戒』の瀬川丑松を思い出すかもしれない)。
岸本の書き溜めて置いた懺悔の稿はポツポツ世間へ発表されて行った。岸本と節子との最初の関係は早や多くの人の知るところと成った。かねて自分の身に集まる嘲笑と非難とは岸本の期していたことで、それがまた彼の受くべき当然の応報であった。(島崎藤村「新生」)
「書き溜めて置いた懺悔の稿はポツポツ世間へ発表されて行った」とあるのは、前年に東京朝日新聞に連載された『新生(第一巻/前篇)』のことを意味している。
まるで、庄野潤三の家族小説のように、リアルタイムな連載小説だったのだ(多少のタイムラグがあるとしても)。
もちろん、納得いかないのは「お前に言って置くが、出来たことは仕方がない、お前はもうこの事を忘れてしまえ」と約束して、子供の始末までしてくれた次兄(義雄)である。
「それから、お父さんが叔父さんにそう言って下さいッて――『青くなったり、赤くなったりして、自分の為た事を書かなければ食えないかと思うと、御気の毒な商売だ』ッて、そう言って下さいッて――」(島崎藤村「新生」)
岸本捨吉に懺悔の小説を書かせたものは、三年もの間、変わることのなかった、姪(節子)のひたむきな愛情だったのかもしれない。
岸本が待受けた夜明は、何もそう遠いところから白んで来るでもなく、自分の直ぐ足許から開けて行きそうに見えた。血から解き放され、肉から解き放されて行くことを感知する度に、暗かった彼の心も次第に明るい方へ、明るい方へと出て行く思いをした。(島崎藤村「新生」)
自分の不道徳をすべてさらけ出したことで、主人公は清々しい気持ちになる(新生を果たしたのだ)。
間もなく、義雄(次兄)は、捨吉に義絶を申し渡し、娘の節子を、遠く台湾で暮らす民助(長兄)のもとへとやってしまう。
二人の距離は遠くなってしまったけれど、二人の気持ちは、いつまでも一緒だ。
それが、主人公(岸本捨吉)にとっての新生であり、姪(節子)にとっての新生でもあった。
作品中で「節子」のモデルとなった実の姪(こま子)は、後年、和田芳江の取材に応えている。
私は、こま子と別れ際に、「なにか、自分の過去を顧みて、こう生きたらよいというような、なにか、若い人たちに伝える言葉があったら……」と申しますと、こいつ、自分が後悔でもしていると思ってやがるなと、この人は感じとったらしく、「私は間ちがっていなかった。正しい道として生きてきたのです」と、少しはげしい口調で早口に答えました。(和田芳恵「おもかげの人々──名作のモデルを訪ねて──」)
行路病者(行き倒れの旅人)として、こま子が、巣鴨の養老院に入れられたのは、1937年(昭和12年)のことで、新聞記者の取材を受けた島崎藤村は、「今ごろになって古傷に触られるのはいやなものだ」と、感想を洩らしたらしい。
このとき、既に再婚していた藤村は、二度目の妻(静子夫人)に見舞金を持たせて、こま子のもとへ届けたという。
もっとも、こうした作者の態度から、藤村が『新生』を発表した理由は、単なる懺悔告白ではなかったと指摘する向きもある。
「新生」は芸術のため名声を堕してもという意気込みで発表されたのかもしれないが、こま子との不自然な関係を清算するためと、広助に尻尾をつかまれてあまりしつこい金策をされることから逃れるために、縁切りとして発表されたのかもしれない。(西丸四方「島崎藤村の秘密」)
「父が死ねば藤村と結婚できる」と、こま子は本気で信じていたらしいが、共産党活動家(長谷川博)の私生児を出産して、藤村に金策を依頼するなど、破綻した行動が止むことはなかった。
晩年は、ほぼ気が狂ったようになっていたらしい(『夜明け前』にも描かれている、島崎家に伝わる精神病の家系が影響していたとも言われる)。
岸本捨吉と別れてからの節子も、また、彼女なりに壮絶な人生を送っていたのだ。
複雑なのは、主人公(岸本捨吉)が、自伝的青春小説『春』の主人公でもあったということである。
「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」こう思って、深い深い溜息を吐いた。(島崎藤村「春」)
物語のラストシーンで、主人公(岸本捨吉)は「自分のようなものでも、どうかして生きたい」と考える。
そして、捨吉のその後の(およそ20年後の)人生が描かれている作品こそが、本作『新生』という自伝的長編小説だった。
どうかして生きたいと思うばかりに犯した罪を葬り隠そう葬り隠そうとした彼は、仮令(たとえ)いかなる苦難を負おうとも、一度姪に負わせた深傷(ふかで)や自分の生涯に留めた汚点をどうすることも出来ないかのように思って来た。(島崎藤村「新生」)
「どうかして生きたい」と願う主人公の祈りは、姪(節子)の妊娠という形で姿を現した(しかも20年後に)。
岸本捨吉を主人公とした自伝小説群(『桜の実の熟する時』『春』『新生』)を読むと、一人の人間の人生が、いかに数奇なものかということを感じないではいられない。
主人公は異なるが、『春』と『新生』の間に入るべき『家』を合わせて読むと、『新生』において、なぜ、主人公が、姪との関係を持つに至ったかが理解できるが、それは、もう、日本文学の研究者の世界である。
一読者としては、『新生』を『新生』として読むか、あるいは『春』の後日譚として読むか、問われるところだろう。
作品名:新生
著者:島崎藤村
書名:現代日本文学大系13 島崎藤村集(一)
発行:1968/10/01
出版社:筑摩書房