小さいものが好きだから豆本が好き。
北海道が好きだから、北海道について書かれた本が好き。
そんな人に絶対刺さるのが「HTBまめほん」だ。
HTBまめほんは、平岸発の北海道テレビから生まれた
「HTB」というのは、北海道テレビ放送という地元テレビ局のこと。
このテレビ局が、1970年(昭和45年)から2001年(平成13年)にかけて、シリーズものの豆本を製作した。
名付けて「HTBまめほん」である。
北海道テレビ(HTB)は、1968年(昭和43年)11月3日に開局。
ほぼ一年間で、札幌・旭川・函館・室蘭・帯広・釧路・網走など、十二の送信所を設置し、道内の80%をカバーするテレビ局となった(「onちゃん」「水曜どうでしょう」で有名)。
そのHTBの知名度向上と地域貢献を目的として生まれたのが、本シリーズ「HTBまめほん」である。
「HTBまめほん」は、北海道の豆知識をテーマに、毎回ニッチな北海道情報を発信した。
当分は年四回程度の発行とし、内容は各号ごとに北海道の風物、歴史、文化財、科学、物語、人物など、広くみなさまがたに楽しんでいただける読みものにしたいと存じます。(北海道テレビ放送株式会社・社長室)
開始時の配布価格は1冊150円で、9.5センチ角の正方形型が、大きな特徴となっている。
最初のテーマは、HTB本社のあった「平岸地区」で、書名も「ひらぎし物語」とされた。
著者は、平岸在住で、北海道立美術館館長の工藤欣也。
小さいながらも、1970年(昭和45年)当時の平岸を知る、貴重な資料となっている。
こうして始まった「HTBまめほん」は、2001年(平成13年)の「62 サロベツ」まで続き、別冊「すすきの案内」を加えて、シリーズ全63冊を発行した。
今回は、そのうち、特に自分が興味深いと思うものを、いくつか紹介したい。
2 ライラック│辻井達一
渡辺淳一のヒット作に『リラ冷えの街』という長編小説がある。
「リラ冷え」という言葉は、北海道ローカルの季語として、すっかり定着したが、これは、渡辺淳一のオリジナルではない。
『リラ冷えの街』の執筆にあたり、渡辺淳一がネタ本としたのが、辻井達一『ライラック』である。
本書で紹介されている榛谷美枝子(はんがいみえこ)の俳句に「リラ冷え」という言葉を発見して、渡辺淳一は、小説のタイトルとして引用したのだ(「リラ冷えや睡眠剤はまだきいて」ほか複数あり)。
著者の辻井達一は、北大農学部の助教授で、北大植物園に勤務していた。
「HTBまめほん」の『25 北大植物園』も、辻井達一の執筆によるものである。
4 定山渓鉄道│桐原酉次
札幌市内(豊平地区)と定山渓(じょうざんけい)地区を結ぶ「定山渓鉄道(じょうてつ)」が廃止されたのは、1969年(昭和44年)10月31日のこと。
わずか52年間の歴史を残して、定山渓鉄道は、永遠に姿を消したのだ。
「じょうてつ」の短い歴史を振り返ったのが、本書『定山渓鉄道』である。
著者は、じょうてつ社員の桐原酉次。
6 えぞキリシタン│永田富智
著者の永田富智が「えぞキリシタン」の研究を始めるきっかけとなったのは、郷里松前町の松前家墓地で見つけた「織部燈籠」だった。
十字架を主体に、マリアや童子など、キリスト信仰に関わる事物を配合した「織部燈籠」は、キリシタンの墓碑に用いられている。
当時、北海道内で「織部燈籠」に関する研究は、ほとんど進んでいなかったらしい。
10 北辺の民家│森本三郎
「HTBまめほん」には、建築関係のテーマが多いが、スノッブなものとしては、道内の民家を紹介した本書に尽きる。
旭川市の養蚕農家とか、伊達町のサムライ開拓者とか、あまりメジャーではない歴史的建造物が並ぶ(有名なものも含まれているが)。
北海道の建築旅行に持参したい。
20 札幌のチンチン電車│長南千代吉
電車通りに住んで20年になるけれど、札幌で「チンチン電車」という言葉を聞くことはない。
今からは信じられないが、地下鉄が開業するまで、札幌は路面電車の街だった。
「円山公園」や「苗穂」、遠いところでは「新琴似」まで、札幌市内を広く市電が走っていたのである。
地下鉄の登場によって、交通インフラの主役の座を降りた路面電車の歴史が、この一冊にまとめられている。
16 熊彫り│大島日出生
近年、熊の木彫りが、民芸品として注目を集めている。
昭和時代まで、クマの木彫りは、観光旅行の定番土産であって、どこの家庭にも、ひとつやふたつは飾られている、と言われた。
最近では、北海道旅行のお土産にクマの木彫りを買う人は、少数派のようである。
2010年前後のことだと思うが、道内の骨董屋に民芸ブームが始まって、アイヌ民芸や木彫りのクマなどが、頻繁に取引されるようになった。
本書では、八雲町のユーラップコタンから始まった、クマの木彫りの歴史が紹介されている。
31 ヤマベ│和田義雄
「ヤマベ」とは「サクラマス」の子のことで、つまり「ヤマメ」が正しい。
しかし、北海道では「ヤマメ」を「ヤマベ」と呼ぶのである。
北海道の釣り人にとって、ヤマベ釣りは、他の釣りとは違う、特別な釣りという認識が強い。
竿を振り回すこともできない小さな沢に分け入り、釣った魚の数を競うヤマベ釣りは、北海道の歴史が生んだオリジナルの釣り文化だった。
著者は、喫茶店『サボイア』店主で、マッチラベルの収集家としても著名な和田義雄。
和田義雄が遺したマッチラベルは、北大前の古本屋『弘南堂書店』が管理しているとか。
39 ストーブ物語│阿部要介
「ストーブ」が文化になるなんて、北海道くらいのものだろう。
しかし、北海道開拓の歴史は、まさしく、ストーブの歴史でもあったのだ。
どこの家にも煙突があり、引っ越しの際には、ストーブの煙突を取り付け、春には煤掃除をする風習も、現在では絶えて聞かなくなった。
中島公園のフリマで、タイル製の古いストーブ台を見つけたときは嬉しかったなあ(重かったのなんのって)。
「ルンペン・ストーブ」も、現代社会からは失われた、北海道の歴史のひとつだろう。
49 袋澗(ふくろま)│河野本道
日本海側の海岸線を歩くと、小さな漁港を見かけることがある。
かつて、ニシン漁の漁場に設けられた「袋澗(ふくろま)」である。
漁獲されたニシンは、陸揚げされるまで、小袋に詰めて、この「袋澗」に一時貯蔵されたらしい。
ニシン漁の衰退とともに「袋澗」も、忘れられた産業遺産となった。
59 小樽ガラス物語│大石 章
どうして、ガラス雑貨が、小樽名物なのか?
ニシン漁が盛んだった日本海側では、漁業に使う「浮き玉」を生産するために、多くのガラス工場が造られた。
漁業の衰退とともに漁業関係の仕事を失ったガラス工場は、観光客を相手とした商売へと転換する(最初は、漁業用の「浮き玉」をお土産として売り出した)。
今や、おしゃれスポットとなったガラス雑貨の店に、漁業の匂いはない。
歴史的建造物の窓などで見ることのできる「ゆがゆがガラス」は、明治浪漫たっぷり。
骨董屋で、解体された古民家の窓ガラスが売りに出ていると、つい買いたくなってしまう。
52 つきさっぷ│寺尾隆雄
「つきさむ」ではなく「つきさっぷ」。
このこだわりが、札幌の人には求められているのではないだろうか。
ちなみに、漢字で書くと「月寒」で、とても「つきさっぷ」と読むことはできない。
「農業試験場」(羊が丘)や「八紘学園」など、「つきさっぷ」は、札幌市内にあって、牧歌的な風景を有している。
別冊 すすきの案内
最後は「別冊 すすきの案内」。
どうも「すすきの」というと、昭和時代のイメージが強い。
バーとか、キャバレーとか、クラブとか、前世紀の遺物的な看板が並ぶせいだろうか。
『漁場』とか『サイロ』とか『まりも茶屋』とか『ぎんりん』とか、昔の居酒屋には、旅情をそそる店名が多い。
かに料理『氷雪の門』も、昭和期の名残りを留めている例だろう。
「トルコぶろ」が、堂々と紹介されているのも昭和的。
当時、すすきのには11軒、中の島にも2軒のトルコ風呂があったらしい(『すすきのトルコセンター』が有名)。
入浴料金は、1,000円から2,000円(ただし、本番料金は、5,000円~8,000円が相場だった)。
もっと安直にという人であれば、南五西五かいわいに立ちんぼがいる。基準料金は三千円から。(HTBまめほん「別冊すすきの」)
テレビ局が発行する文化誌に売春の情報が詳しく掲載されているのだから、昭和というのは、本当に寛容な時代だったんだろうな(風営法の大規模改正はバブル直前の1985年)。
あらゆる意味で、「HTBまめほん」シリーズには、失われた昭和遺産が収録されている。
札幌の歴史や文化、そして「男の夢」まで。
昔ながらの古書店へ行けば、現在でも入手は容易なので、北海道のニッチな文化に興味のある人は、探してみてはいかがだろうか。