喜多嶋隆『六本木バナナ・ボーイズ』『六本木シンデレラ』読了。
本作『六本木バナナ・ボーイズ』は、1988年(昭和63年)1月に、また『六本木シンデレラ』は、1989年(平成元年)12月に、いずれも実業之日本社から刊行された連作シリーズ短篇小説集である。
『六本木バナナ・ボーイズ』刊行の年、作者は39歳だった。
収録作品は、次のとおり。
『六本木バナナ・ボーイズ』
・六本木バナナ・ボーイズ
・六本木ハーバーライト
・六本木ジュリエット
・六本木シシリアン
・六本木カウボーイ
『六本木シンデレラ』
・六本木ドルフィン
・六本木ファースト・レディ
・六本木オリンピック
・六本木マリリン
・六本木シンデレラ
1989年(平成元年)8月公開、仲村トオル・清水宏次朗主演映画『六本木バナナ・ボーイズ』原作小説。
ブランドがモノを言うバブル時代
本作『六本木バナナ・ボーイズ』は、東京・六本木を舞台とした、ハードボイルドテイスト漂うカジュアルな青春小説である。
いちおう自己紹介をしておこう。おれの名前は、夏目涼太郎。生れ育ちは、六本木6丁目。元テレ朝通りのさらに裏通りだ。家は60年以上もつづいた銭湯<夏目湯>だ。(喜多嶋隆「六本木ドルフィン」/『六本木シンデレラ』所収)
涼太郎の両親は風呂屋稼業を嫌ってサラリーマンとなり、美大を休学中の涼太郎も、現在はアルバイトのカメラマンをしている。
バブル時代、六本木には、多くの外国人が集まっていた。
リンダを立たせる。狭いバスルームで、彼女はむこうを向いた。バレーボールが2個。そのぐらいの量感のヒップを、少し突き出した。(喜多嶋隆「六本木バナナ・ボーイズ」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
この街で、ヌード専門のカメラマンをしている主人公(涼太郎)は、様々な外国籍の女の子たちと出会うが、彼女たちは、いつも何らかのトラブルに巻き込まれていた。
「しかし……おかしな街になってきたよなあ」「六本木のことか?」と岩田。「ああ」おれたちの前の横断歩道を、黒人兵と日本人の女が、手をつないで渡っていく。(喜多嶋隆「六本木バナナ・ボーイズ」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
この作品の特徴は、バブル景気に沸く六本木の空気感を描いているところだ。
出稼ぎモデルらしい白人男が2人。白人女が3人。広い歩幅で、おれたちを追い越していく。「六本木にくりゃなんとかなると思って、世界中から上京してきやがる」(喜多嶋隆「六本木バナナ・ボーイズ」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
金になる仕事を求めて、彼らは様々な国から集まってきていた。
横書きの名刺だった。<バズ・ホプキンス>という英語。カナもふってある。(略)<国際都市・六本木のトラブルならおまかせ! シティ感覚の超一流私立探偵>だと。(喜多嶋隆「六本木ハーバーライト」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
ソ連の大使館員さえ、六本木の魅力には勝てない。
「まあ、職務をこえて、相手と深く接触しすぎたようだが、それも、この街が悪いんだろう」「街? 六本木の街かい?」「ああ。この頽廃的な空気がいかんのだよ」(喜多嶋隆「六本木ジュリエット」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
当時を知る人には懐かしい文化や風俗のオンパレードと言っていい。
「誰なの!?」女の子が、また、ヒステリックに叫んだ。おれは、チンピラの方を見ると、「ラッツ・アンド・スターだよ」と、うるさそうに言った。(略)ラッツ・アンド・スター。もとの名前はシャネルズだ。(喜多嶋隆「六本木ハーバーライト」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
1980年(昭和55年)に『ランナウェイ』でデビューした「シャネルズ」が、「ラッツ&スター」に改称したのは1983年(昭和58年)のこと。
ラッツ&スター最初のヒット曲が『め組のひと』だった。
床に置いたラジカセが、マイケル・ジャクソンの<ビリー・ジーン>を流し始めた。(喜多嶋隆「六本木シシリアン」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
マイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』は、1983年(昭和53年)発売。
アルバム『Thriller』とともに、80年代のマイケル・ジャクソン人気を象徴する作品だった。
おれは<シーフード・カフェ STONE>のドアを開けた。モノトーンのインテリア。低く流れるケニー・Gのサックス。(喜多嶋隆「六本木ドルフィン」/『六本木シンデレラ』所収)
80年代、フュージョンをさらに洗練させた、オシャレなジャズが一世を風靡した。
いわゆる「スムースジャズ」である。
スムースジャズのブームを牽引するサックス奏者が、ケニー・Gだった。
「あのォ」と、テーブル席の客。男と女のカップルだ。男の方は<タケオ・キクチ>の服、女の方は<ジュンコ・シマダ>という感じで決めた客だった。(喜多嶋隆「六本木ジュリエット」/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
本作『六本木バナナ・ボーイズ』は、ファッション関係のブランドが頻繁に登場する。
当時の六本木を語る上で、ファッション・ブランドはマストアイテムだったということだろうか。
スーツ姿の男が立っていた。スーツといっても、ダサいものじゃない。メンズBIGIあたりの仕立てだ。(喜多嶋隆「六本木ファースト・レディ」/『六本木シンデレラ』所収)
当時は、いわゆる「DCブランド」の全盛期だった。
杉浦が、コートからロビーに出てきた。上下とも白のテニス・ウェア。首に、RENOMAのスポーツタオルをかけている。(喜多嶋隆「六本木ファースト・レディ」/『六本木シンデレラ』所収)
ブランドがモノを言う時代、それが、バブルという時代だったのだ。
バブル景気に沸く東京の高揚感
『六本木バナナ・ボーイズ』は、デイモン・ラニアンから生まれたらしい。
かつてアメリカの作家デイモン・ラニアンが、ブロードウェイの裏町を舞台に、軽妙で少しほろ苦いストーリーを書いたように、この「出稼ぎガイジンの街」六本木を舞台に、エンタテイメント小説を書いてみようと思った。(喜多嶋隆『六本木バナナ・ボーイズ』あとがき)
デイモン・ラニアンは、『ブロードウェイの天使』で知られるアメリカの作家である。
ニューヨークの裏町(ブロードウェイ)で生きる人々を、ユーモアと哀愁のタッチで描いた。
1987年(昭和62年)には、加島祥造の訳による『ブロードウェイ物語』シリーズ(全4巻)が刊行されているから、あるいは、作者(喜多嶋隆)も、当時のデイモン・ラニアン人気に触発されたのかもしれない。
デイモン・ラニアンは、人生を描いた作家だ。
当然、本作『六本木バナナ・ボーイズ』も、人生の断片を描こうとしている。
カンパリ・オレンジをひと口飲んだ。「いまいるところ、そして、これからいくところがワタシの故郷よ」つぶやくように、言った。(喜多嶋隆「六本木シンデレラ」/『六本木シンデレラ』所収)
故郷の国を遠く離れて、彼女たちは旅をしていた。
まるで、彼女たちの人生そのものが長い旅なのだ、とでも言うかのように。
「不思議な街ね、この六本木は」と雪美。「毎日がお祭りみたいで、でも、誰もがみんなお祭りが終わってしまうのを恐れているように急いで遊んでいる……」(喜多嶋隆「六本木シンデレラ」/『六本木シンデレラ』所収)
もちろん、バブル景気というお祭りは永遠ではなかった。
束の間の享楽に、日本は酔いしれていただけだったのかもしれない。
そして、それは、気楽なだけの時代でもなかった。
「何もかも、若かったよ……。私も若かった。彼女も若かった。戦争はあったが、何も汚れてはいなかった。あのシシリーの風も、陽ざしも、何ひとつね……」(喜多嶋隆「六本木シシリアン/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
シシリーの風を汚したものは、チェリノブイリだ。
「去年の4月26日、ソ連で原子力発電所が事故を起こした」「チェリノブイリか」「ああ。その放射能は、ヨーロッパの農業地帯に降り注いだ。農作物とそれを食った牛からとれた乳製品が主に被害をうけた」(喜多嶋隆「六本木シシリアン/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
チェリノブイリ原発事故は、1986年(昭和61年)4月に発生、全世界に大きな衝撃を与えた。
当時、ブルーハーツは『チェリノブイリ』という曲を歌い、忌野清志郎(RCサクセション)は『サマータイム・ブルース』という曲を歌い、尾崎豊は『核』という曲を歌った。
佐野元春が『警告どおり 計画どおり』と歌ったとおり、原発は、世の中の大きな関心事だったのだ。
その頃、日本は、世界でもトップレベルに裕福な国だった(まるで嘘みたいだけれど)。
サンディの家の周辺で、日本の会社によるリゾート開発がはじまったという。ゴルフ場やホテルを含む、広大なリゾートだ。「まわりの土地は、札束で顔をひっぱたくようなやり方で買いとられていって……。とうとう、私の家と土地だけが残ったの」(喜多嶋隆「六本木ドルフィン」/『六本木シンデレラ』所収)
日本経済を支えていたのは、大規模な不動産事業だ。
バブル期でさえ慎重に行動したため、バブル崩壊の影響を最小限に食い止めたという「鈴木建設」でさえ、リゾート開発には、しっかりと参戦していたのだ(やまさき十三・北見けんいち『釣りバカ日誌』を読んでください)。
それは、贅沢なものが尊いとされる、狂った時代だった。
「スカッシュをやるだけあって、スカしたところだなあ、こりゃ」と岩田。そのロビーを見回して言った。広尾のど真ん中。<フィットネス・アーベイン>に入ったところだ。(喜多嶋隆「六本木ファースト・レディ」/『六本木シンデレラ』所収)
最高級のスポーツクラブに、裕福な人々は集まった。
アスレチック・ジム。温水プール。エアロビクス・スタジオ。スカッシュ・コート。フィンランド・サウナ。エステティック・サロン……。なんでも揃っている。(喜多嶋隆「六本木ファースト・レディ」/『六本木シンデレラ』所収)
本作『六本木バナナ・ボーイズ』の世界観を支えているのは、バブル景気に沸く東京の(あるいは六本木の)高揚感だ。
ブラが、バサリと床に落ちた。グレープフルーツぐらいのバストが、おれの眼の前にあった。(喜多嶋隆「六本木シシリアン/『六本木バナナ・ボーイズ』所収)
誰もが簡単に裸になり、誰もが簡単に金を稼いでいた時代。
まるで、この物語は、遠い異国のお伽噺みたいだ。
馬鹿馬鹿しいほどに荒唐無稽で、センチメンタルな夢がある。
それは、楽しかった時代を懐かしむ、ノスタルジックな夢だ。
ジャック・ダニエルが、ボトルごと冷えていた。それで、オン・ザ・ロックをつくる。グラスをあげる。「六本木の思い出に」とカレン。「君の瞳と、鼻と、唇と、バストと、ウエストと、ヒップと、脚線に、乾杯」(喜多嶋隆「六本木オリンピック」/『六本木シンデレラ』所収)
風俗小説の楽しさは、タイムマシンの楽しさと言っていい。
人は、忘れ物を取りに戻るみたいに、物語の世界に浸りながら、楽しかったあの頃を懐かしんでいるのだ。
書名:六本木バナナ・ボーイズ
著者:喜多嶋隆
発行:1989/07/20
出版社:光文社文庫
書名:六本木シンデレラ
著者:喜多嶋隆
発行:1992/12/20
出版社:光文社文庫