エレイン・ローブル・カニグズバーグ『Tバック戦争』読了。
本作『Tバック戦争』は、1993年(平成5年)に刊行された長編児童文学である。
原題は「T-Backs, T-Shirts, Coat, and Suit」。
この年、著者は63歳だった。
現代の魔女狩りの物語
人は、自分の意見を表明しない自由を有するのか?
Tバック戦争が始まったとき、バーナデットは、どちらの陣営に加わることも拒否した。
「わたしの表現の自由に対する考え方はこうよ。公職に立候補するとか、公職にある人を動かそうとするのでないかぎり、わたしが何をどう考えようと、自分の意見に対して権利があるように、自分の考えを発表しない権利も、わたしにはある」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
Tバック戦争は、ホットドッグの路上販売から始まった。
バーナデットがたずねた。「何、着ていた?」クロエは答えた。「ほとんどなんにも」バーナデットは言った。「その、ほとんどなんにもっていうのは、Tバックと呼ばれてるものよ」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
ホットドッグの売り上げを競う女性たちは、こぞってTバック姿で路上販売を始めたのだ。
収益にこだわる会社は、女性従業員たちに、Tバック姿を推奨するようになる。
「若い子がTバックを着れば、君の倍稼げるんだぜ」ザックは、バーナデットの前で記録表をひらひらさせて、言った。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
彼らは、盛んに「連帯」という言葉を使った。
「いったいだれなの? だれにTバック着ろっていわれたのよ!」「ワンダ。会社のために、そうしろってさ。連帯を示すことが、たいせつなんだからってさ」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
社内で孤立しても、Tバック姿にはならないバーナデットに、Tバック反対運動の連中が近づいてきた。
「わたしは、着たいと思っている人なら、だれにでもTバックを着る権利があると思っている。それと同時に、わたしが着たくないのであれば着ない権利がわたしにはある、と思っている。しかも、着ている人たちを応援しない権利も、わたしにはある」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
バーナデットは、Tバック賛成派にも、Tバック反対派にも、加わらなかった(「嘆願書に署名しないと、わたしたちの間に賛成していることになりませんよ」)。
彼女自身は、Tバックを着ることを拒否し続けたが、Tバック反対派を応援することも拒否した。
そして、その理由を、彼女は語ろうとはしなかった。
教会役員Bは、「では、なぜ着ようとしないのか、教えてください」と言った。「着る必要もなければ、なぜそうなのかを話す必要も、わたしにはありません」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
分断された社会の中で、彼女だけが孤立していった。
「もう、世界中がめっちゃくちゃになってる。普段どおりにやってるのに、節度があると言う人もいれば、節度がないと言う人もいるんだから」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
彼女には、少女時代にコミューンで経験した、苦い思い出があった。
「わたしは、あの刺青はちっとも誇りに思っていない。全員が刺青をしたのは、ニックがまだ十一歳のときだったんだけど、わたしがニックにもやらせたの。あのころは、そういうのがいいことだって思えたから。みんながまとまってひとつになろうっていうのに、あの子だけやらせないなんて言えない、そう思ってたから」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
主人公(クロエ)の父(ニック)には、刺青(タトゥー)があった。
ニックの左肩には、平和のシンボルをかたどった小さな刺青が彫られていた。ニックは、(ホウレン草の丘)という名のコミューンに暮らしていたとき、その刺青を入れた。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
ニック少年は、姉(バーナデット)と二人で、コミューンでの生活に参加していたのだ。
Tバックに反対する教会関係者は、コミューン時代の刺青を「悪魔」のマークだと主張した。
「告白するんだ。インプに吸わせる乳房と悪魔のマークをつけているから、Tバックを着ようとしないんだ。告白するんだ!」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
本作『Tバック戦争』は、現代の魔女狩りの物語である。
フィレンツェの市民は手をつないだ。サボナローラを捕まえ、異端だと非難した。フィレンツェの人びとを誤った道に導いた、と言って。彼を拷問し、告白させ、大きなたき火のなかに生きたままいれて燃やした。<虚飾のかがり火>が二回たかれた同じ中央広場で、だ。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
世論は、時代によって変化するものだ。
およそ絶対的な見解というのものは、この地球上には存在しない。
世論に反する人々は異端児となり、中世ヨーロッパでは「魔女」と呼ばれて処刑された。
「虚飾のかがり火(虚栄の焼却)」は、移ろいやすい世論を象徴している。
バーナデットとニックがコミューンを去り、その後二か月もたたずに、<ホウレン草の丘>はつぶれた。みんなは、連帯に最初にひびを入れたのはバーナデットだ、と非難した。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
そして、今、バーナデットは、Tバックを着ることも、Tバック反対運動に参加することも拒否し続けている。
12歳の自分探し
主人公(クロエ)は、仲間たちとの距離感に苦労している12歳の少女だ。
「髪の毛の誓約書」にサインを求められたときも、彼女は巧妙な嘘をついて逃れるだけだった。
「わたしだって署名はしたいんだけど」とクロエは言った。「でも、できないの。夏は、ここにいないんだもん。守ることのできない誓約に署名するなんて、ずるいじゃないの。法律違反なのかもしれないよ」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
夏休みに、クロエがバーナデットの住むペコ市へ出かけたのは、「髪の毛の誓約書」から逃げるためだった。
われわれのうちの一人が気に入らない髪型で一日をすごしているさいには、その者は残りの署名者を集め、全員いっしょにプールに入ることを、われわれはここに同意し署名するものである。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
それが「連帯」を強いるものであったことを、クロエはペコ市で発生した「Tバック戦争」から学ぶことになる。
本作『Tバック戦争』は、一人の少女の精神的な成長を描いた夏休みの物語だ。
この夏ずっとパジャマ・パーティーに出ないですむんだなあ、とクロエは思った。助かったぜ。九歳や十歳のころには、あれも楽しかったけど、最近は、とくに六年になってからは、ちっとも楽しくない。招かれているのは自分なんだけど、なかに入ったとたん、みんなと同じようにしなきゃなんない。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
12歳の少女は、仲間たちが生みだす同調圧力に辟易していたのかもしれない。
だからこそ、クロエは、バーナデットの生き方に強い感銘を受けるのだ。
「あなたの年頃には、つまり、みんなにデッタって呼んでもらいたがったころには、雑誌や友達の顔で気に入ったものがあると、そのイメージにそっくりの顔になろうとして、しょっちゅう鏡をのぞきこんでたの。でも、あるとき、そんなこと卒業しようと思った。鏡をのぞきこんで、そっくりになろうとするんじゃなくて、顔を見つけだすことにしたの。そう、これは自分の顔だというものを見つけること。大切なのは、化粧だとか大変身だとかを問題にする前に、それを見つけるってことなの。十二歳って、ちょうどいい年頃よ」(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
「自分の顔」とは、つまり、自分そのものを意味している。
人は、12歳にもなれば、本当の自分自身に出会えるものなのだ。
Tバック戦争という混乱の中でも、自分自身を見失うことのなかったバーナデットから、クロエの学んだものは多い。
「浸水洗礼」やら髪の毛の誓約書やらをこわがったりは、もうしない。それは、はっきりとわかっていた。行きたくないお泊りパーティーに行きたくないって言うのも、もうこわくない。それもはっきりわかっていた。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
新しい自分に出会い始めているクロエは、もしかすると、生きにくい時代を生きることになるかもしれない。
バーナデットが、生きにくい時代を生きているのと同じように。
それも、また、彼女自身の人生だった。
いわゆる「一人前」なんかよりはずっと大きくなってリッジウッドにもどるってことは、たしかだ。まるっきり、完璧にそうだってわけではないにしろ、そうなりつつあるような、そんな気がする。じっくりと鏡をのぞいて、自分の顔をさがしてみよう。(E・L・カニグズバーグ「Tバック戦争」小島希里・訳)
これは、12歳の少女の、自分探しの物語である。
もちろん、彼女が、本当の自分自身をしっかりとつかむまでには、まだ、もう少し時間がかかるだろう。
確かなことは、彼女が階段のステップを上り始めていたということだ。
Tバックを着ることは正義か、悪か?
そんな冗談のようなテーマだって、世論を分断し、時には、戦争にまで発展してしまうものなのだ。
カニグズバーグには『クローディアの秘密』(1968)や『ティーパーティーの謎』(1996)という名作があるけれど、本作『Tバック戦争』も、夏休みにおける中学生の読書リストに加える価値のある作品だ。
隠れた名作というのは、意外と、こんな作品のことを言うのかもしれない。
書名:Tバック戦争
著者:E・L・カニグズバーグ
訳者:小島希里
発行:1995/06/08
出版社:岩波少年文庫