小泉今日子といえば、ショートカットのイメージがある。
トレンディドラマ『愛しあってるかい!』のイメージが強すぎるのだ。
『愛しあってるかい!』は、1989年(平成元年)10月から12月まで、フジテレビ系「月9」枠で放送された、学園コメディドラマである。
新しい女性像を示した『愛しあってるかい!』
女子校の教師役として小泉今日子と藤田朋子、男子校の教師役として陣内孝則、柳葉敏郎、近藤敦(バービーボーイズ)が出演していた。
生徒役には、田中律子、和久井映見、船田幸、角田英介、神田利則、江川芳文などの名前が並ぶが、本作『愛しあってるかい!』は、やはり、教師が主役の学園ドラマである。
主役(陣内孝則)の「野郎ども! 愛しあってるか~い!」という叫びに応えて、男子高生たちが「イェ〜イ!」と叫び返すお決まりの場面は、教師と生徒との強い信頼関係を象徴していた。
タイトル「愛しあってるかい!」は、男女の恋愛関係を意味するように見せながら、本当に伝えたいことは、愛し合っている教師と生徒との絆である。
教師が生徒を信じて、生徒が教師を信じるという学園ドラマの方程式は、90年代以降、急速に失われていった。
それは、教師という職業の無力化を示していたかもしれない。
『3年B組金八先生』(1979)以来の無垢な信頼関係は、やがて伝説化していく。
教師と生徒との理想的な関係性を象徴的に描いた最後の学園ドラマが、この『愛しあってるかい!』だったのではないだろうか。
「いろんな同僚の先生が出てくるけど、私がいちばんまとも。英語の先生なんです。このドラマの先生って現実感なくて、理想の先生じゃないかな。今の子どもってあざといから、先生の辛さなんか見抜いちゃうでしょ。でも、ここの先生は、もう生徒以上に青春しちゃってるんです」(小泉今日子「先生がオシャレで何が悪い!!」/1989年10月5日『週刊明星』NO.41)
南青山高校の古文教諭・日色一平(陣内孝則)は、自分のクラスの生徒たちを無条件に信頼している。
親が子どもを無条件に信頼するのと同じレベルで、日色一平は生徒を信頼していたのだ。
表参道女子高校の英語教諭・椎名吹雪(小泉今日子)が、単純軽薄な日色一平を軽蔑しつつも尊敬するようになるのは、教師としての日色一平の強い情熱を認めていたからに他ならない。
表参道女子高校の女子高生・真柴純(田中律子)から積極的に言い寄られても、日色一平は簡単に流されたりはしない(危ない場面が多々あるところは、やはりコメディー)。
教師と生徒との適切な距離感というものを、当時の若手教師はちゃんと理解していたのだ。
本作『愛しあってるかい!』を根底から支えているのは、教師と生徒との揺るぎない信頼関係である。
「教師役は初めてなんですよ。TV見てるやつらが「うそこけ、こんな教師いるかよ~」ちっゅう教師になれたらいいなと思ってます。(略)金八先生とは180度ちがう教師でね。生徒に説教こくんじゃなくて、逆に説教くらっちゃうような、ラブリーな教師っスね」(陣内孝則「オシャレ教師いてもいいのに」/1989年12月『明星』)
強い信頼関係を前提として、数々のコメディーが展開されていくというところに、この学園ドラマの(安心できる)楽しさがあったのだ。
難しいことは、何一つない。
彼らの笑いは、他者をイジることによって得られるネガティブな笑いではない。
シンプルに笑ってしまえる楽しさが、そこにはあった。
あくまでも『週刊少年マガジン』のように爽やかでシンプルなラブコメ物語が、そこでは展開されている。
陣内孝則(ザ・ロッカーズ)、柳葉敏郎(一世風靡セピア)、近藤敦(バービーボーイズ)という3人のコンビネーションもいい。
「このドラマは陣内さんにひっぱってもらって、オレとコンタさんが肩組みながらついていくドラマだと思うんス。すげえと思ったのは、それを連ドラ初めてのコンタさんが、ちゃんとわかってやってくれるんスよね」(柳葉敏郎「オシャレ教師いてもいいのに」/1989年12月『明星』)
6月まで『ハートに火をつけて!』(浅野ゆう子主演)で二枚目を演じていた柳葉敏郎が、本作『愛しあってるかい!』では徹底的な三枚目を演じている。
表参道女子高校の体育教諭・篠田里美(藤田朋子)との不器用な恋愛ドラマにも、胸を打たれるものがある(「同情じゃない! 愛情だ!」)。
バービーボーイズ・コンタ(近藤敦)の演技にも注目したい。
「陣内さんと柳葉さんとは、バカ話、ホラ話ばっかりしてますね。演技について話し合うことはほとんどありません。ここのギャグはこう決めたい、みたいな悪だくみは念入りですけど(笑)」(近藤敦「オシャレ教師いてもいいのに」/1989年12月『明星』)
柳葉敏郎と二人で陣内孝則を脇から支える役柄ながら、男性教師に憧れる女子高生の不安定な心をしっかりと受け止め、優しく導いていく教師としての姿を真摯に演じ切っていた。
そして、彼らの中心にいたのが、髪を短く切ったばかりの小泉今日子演じる椎名吹雪である。
1989年(平成元年)6月9日『an an』(No.678)では、長い髪をすっぱりとカットする小泉今日子の様子がレポートされている。
ヘア&メークを担当したのは、美容師の渡辺サブロオ(サッシュ)だった。
「ボクのイメージする小泉さんは ”前向きの代表選手” みたいな人。スッパリ切ってシャープな感じ」今回のカットを担当した渡辺サブロオさんの提案に、小泉さんもスタッフも同意。(「小泉今日子が、長い髪をスッパリ切った」/1989年6月9日『an an』(No.678))
小泉今日子本人は、長い髪への執着はほとんどなかったらしい。
「昔と違って、今は男の子の方が ”髪は命” で、深刻な問題なんじゃないですか(笑)それに私、仕事がない時なんかはすごく自分の髪に無頓着。シャンプーしてもタオルドライするだけだし、寝る時もこんがらがるから、たまにみつ編みにするくらいで」(「小泉今日子が、長い髪をスッパリ切った」/1989年6月9日『an an』(No.678))
もともと「短くしたい」との希望はあったらしいが、映画やコマーシャルの都合などで、自分の自由にはならなかった。
仕事のタイミングと『an an』の企画が、ちょうどベストマッチしたことで、今回のショートヘアが実現したのだ。
シャープなオカッパを強く推したのは、スタイリストの堀越絹衣だった。
「せっかく切るんだから強いイメージの方がいいと思う。短いオカッパなら、どんな服も可愛く着れると思うんだけど」議論百出、延々と1時間近くに及ぶ、手に汗握る白熱の話し合いの末、結局、当初のイメージを尊重してシャープなオカッパにすることに決着。(「小泉今日子が、長い髪をスッパリ切った」/1989年6月9日『an an』(No.678))
女性ファッション誌『an an』は「もう、長い髪の時代じゃない」と、ショートヘアの時代を宣言している。
この時代、つまり、1989年(平成元年)という時代は、バブル景気の真っ最中で、同時に、女性の活躍が強く主張され始めた時代だった。
1986年(昭和61年)4月に男女雇用機会均等法が施行されて、女性の社会進出が大きなテーマとなった。
いわゆる「ワンレン・ボディコン」に体現されるイケイケな女性像は、新しい女性の時代を象徴したものと言っていい(「オヤジギャル」も同じ文脈だった)。
同時に、ショートヘアの活発な女性像が求められたのも、やはり、この時代だった。
ロングヘアからショートヘアへの転身は、新しい自分を確立するためのプロセスとして読むことができる。
『愛しあってるかい!』に登場したショートヘアの女性教師は、女性が活躍する新しい時代の象徴である。
軽薄な男性教師(陣内孝則)を何度も何度も張り飛ばす椎名吹雪(小泉今日子)は、新しい時代を生きる強い女性そのものだった。
おそらく、この物語は、バブル時代以外には生まれ得なかったドラマだろう。
そこに、トレンディドラマとしての宿命がある。
しかし、ほとばしるエネルギーと、ひたむきなまでに前向きな情熱は、現代の我々が忘れているものではなかっただろうか?
小さな常識を笑い飛ばしてしまうだけの度量が、当時の社会にはあった。
新しい時代を生きるとは、つまり、そういうことだったのだ。
明るくて前向きな情熱を歌った『学園天国』
トレンディドラマ『愛しあってるかい!』を象徴する音楽として、主題歌『学園天国』がある。
本作『学園天国』は、1988年(昭和63年)12月に発売された、小泉今日子初のカバーアルバム『ナツメロ』に収録された作品だ。
オープニング曲の「学園天国」(1974)は、小泉が大好きだったフィンガー5のカバーで、本アルバムのコンセプトを明快に示す曲だ。発売翌年、ドラマ主題歌としてシングルカットされヒットした。(チャッピー加藤「小泉今日子の音楽」)
『学園天国』というセレクトは、テレビ局側の意向だったという。
ドラマのプロデューサーが「ぜひこの曲を」と熱望したからで、まるでドラマのためにカバーが企画されたのではないかと思うほど、小泉版『学園天国』はドラマのテイストにハマっていた。(チャッピー加藤「小泉今日子の音楽」)
1974年(昭和49年)の古い曲だから、古い時代の学校生活が、そこには描かれている。
本作『学園天国』は、クラスの席替えをテーマに歌った作品だった。
あいつもこいつもあの席を
ただ一つねらっているんだよ
このクラスで一番の美人の隣を
あー みんなライバルさ
あー いのちがけだよ
運命の女神さまよ
このぼくにほほえんで一度だけでも
勉強する気もしない気も
この時にかかっているんだよ
もし駄目なら
このぼくはもうグレちまうよ
(フィンガー5「学園天国」)
クラスで一番の美人の隣になることに命を賭けている男子生徒の心情が、そこでは歌われている。
なにしろ、「勉強する気もしない気も この時にかかっている」のだ。
1970年代の高校生は、なんと純真で前向きだったのだろう。
2番目の歌詞に、それが象徴されるフレーズがあった。
二枚目気どりの秀才や
あのいやな悪党番長も
胸はずませ待っている
どの席になるか
(フィンガー5「学園天国」)
「二枚目気どりの秀才」や「いやな悪党番長」も、席替えの前では平等だ。
重要なことは「クラスで一番の美人の隣の席に座りたい」と、誰もが公に宣言できたことである。
明るい学園生活が、この歌にはある。
そして、1970年代テイストの明るさを、バブル時代風に変換して提供したトレンディドラマが、『愛しあってるかい!』というドラマだった。
ショートヘアの小泉今日子が歌う『学園天国』と、陣内孝則の叫ぶ「愛しあってるか~い!」が、見事にマッチングしている。
本来の高校生活というのは、こうあるべきだという理想形の姿が、このトレンディドラマにはあった。
もちろん、小泉今日子の『学園天国』は、バンドブームの時代を反映したロック・サウンドとなっている。
小泉版の『学園天国』は、ギター・野村義男、ベース・渡辺茂樹、ドラムス・小澤亜子の3人だけで演奏。ビクター401スタジオでレコーディングされた。アルバムバージョンは、野村がイントロで演奏をミスって「ごめ~ん!」と謝り、頭からやり直すところも収録されているが、シングルではその部分はカットされている。(チャッピー加藤「小泉今日子の音楽」)
『学園天国』のバッキングは、THE GOOD-BYEの野村義男、C-C-Bの渡辺英樹、ZELDA(ゼルダ)の小澤亜子で構成された野村義男BANDが担当。
ガールズバンド「ゼルダ」の小澤亜子が参加しているところも、新しい時代を感じさせていい。
ギターは、野村が当時傾倒していたヴァン・ヘイレン風のイントロで始まる。ヨッちゃんは本曲のバンマス(&編曲者)でもあり、小泉のやりたいことを的確にとらえた上で、自分の趣味に走っているのが素晴らしい。(チャッピー加藤「小泉今日子の音楽」)
この年、小泉今日子23歳、野村義男25歳、渡辺英樹29歳、小澤亜子26歳。
やりたいことをやりたいようにできるだけのエネルギーとスキルが、当時の彼らからは感じられた。
ところで、このバンド、本曲がシングルカットされたので、歌番組対応のため再び集結。野村・渡辺・小澤に加え、キーボードで井上ヨシマサらも参加した。小泉と野村はこのバンドを「三喜屋・野村モーター’S」と命名(由来は、渡辺と野村の実家の屋号)。(チャッピー加藤「小泉今日子の音楽」)
成人しても、彼らは高校生の頃と同じように、青春を楽しんでいた(ように見えた)。
それは、高校教師の陣内孝則や柳葉敏郎、近藤敦たちが、やはり、高校生と一緒に(あるいは高校生以上に)青春を楽しんでいたのと似ている。
本気で青春を楽しんでいるからこそ、彼らには高校生の気持ちを理解できたし、高校生よりも先に怒ったり、笑ったり、泣いたりすることができたのだ。
いつから、時代は、こんなにもこじんまりとしてしまったのだろう?(もちろん、バブルが崩壊して、失われた30年が始まってしまってからだ)。
『学園天国』にも『愛しあってるかい!』にも、活き活きと生きる高校生の姿があった。
誰もが軽薄で積極的で前のめりだった、あの頃。
もしかすると、弾けるようなエネルギーと明るくて前向きな情熱は、バブルという時代そのものだったのかもしれない。