『さっぽろ青春街図』読了。
本作『さっぽろ青春街図』は、1974年(昭和49年)8月に有文社から刊行されたタウンガイドである。
編集の和田由美は、この年、25歳だった。
シリーズ最初の札幌青春街図
インターネットのなかった時代、若者たちは「タウンガイド」を片手に街を歩いた。
1970年代から1980年代にかけて計4回出版された『札幌青春街図(ガイド)』は、札幌の若者たちから絶対的に支持されたタウンガイド本である。
本作『さっぽろ青春街図』は、1974年(昭和49年)に刊行された、シリーズ最初の『札幌青春街図』だった。
有文社から『大阪青春街図』『京都青春街図』『名古屋青春街図』に続いて発行されたもので、近刊として『東京青春街図』『神戸青春街図』の案内が掲載されている。
編集は「ステージガイド札幌」で、伝説の編集者・和田由美は、このときから制作に関わっていた。
●和田由美(わだ・ゆみ)知る人ぞ知るステ・ガイの鬼年増とは、私の事。今更語るのもおこがましいので、それは省略。この本の制作スタッフ11人の共通点をつらつら考えてみるに、全員独身で、昭和20年代生まれであるということ。余っ程モテない人種が集まったんだなあ。(和田由美「さっぽろ青春街図」)
昭和20年代生まれのスタッフが、若者のタウンガイドを制作する時代だった。
なにしろ、当時の若者(20歳)は、1954年(昭和29年)生まれである。
札幌に住む多くの若者。ある者は喫茶店の片すみで歌をうたい、また、ある者はコツコツと映画を撮り、そして、ある者は仲間同士で雑誌を創る……。かと思えば、酒でやるせなさをまぎらわし、スピード狂い、女、男にいちまつのやすらぎを求めている……。でも、皆んな札幌に住む若者なのです。そして、この本を創ったのも、登場する人間も、場所も全て札幌、この本を読むあなたも、札幌の若者なのです。(「さっぽろ青春街図」)
誌面には、札幌を代表する「若者たち」がたくさん登場している。
トップを飾るのは、まずは「音楽」関係だった。
北海楽器札幌店勤務で「ブルーグラスガゼット」メンバーの関野文雄、旧「第1巻第百章」リーダーの稲村一志、「スーパーパンツ」リーダーの高瀬清志などの姿がある。
「誰でもがフリーな形で音楽に参加して欲しいんだ。俺達のバンドでさ。大滝詠一が歌ってくれる、なんて最高だしさ。そうなったら死んでもいいなあ」と熱っぽく話す彼。そんな彼だから「食えない者同志が集まって1日でも早く食えるようにしたいんだ」と答えるのもうなずける。(稲村一志「さっぽろ青春街図」)
稲村一志(いなむら一志)が『遊々アウトドア』でテレビ画面に登場するのは、1990年代になってからのことである。
「”ふきのとう”、東京へ進出!」というコラムもある。
「札幌でより大きな活動をするために、今は東京に出る」こう云って、山本康世、細野基佳の ”ふきのとう” はいよいよ出発する。(略)「僕らはポップスをやっていく」と云うように、その活動は札幌においてもポピュラーであった。(ふきのとう「さっぽろ青春街図」)
北海学園大学フォークソング研究会出身「ふきのとう」のデビューは、1974年(昭和49年)の『白い冬』だった。
「酒と音楽の店」では、伝説の「エルフィン・ランド(南2西5)」はじめ、「言うから(南5西3)」「ローレライ(南4西4)」「パフ(南4西2)」「MOJO(南3西5)」「ホンキー・トンク(南5西4)」などが紹介されている。
僕の友達の ”ヨウ” ”トコ” ”クジラ” の3人が今年4月に始めたお店です。とにかく安い!の一言。(略)ヨウさんがブルース、トコちゃん(とってもかわいいんです)はリリィが好きなんです。今日も1人の若者が幸福になって帰りました。「八月の濡れた砂」を聴きながら……(エルフィン・ランド「さっぽろ青春街図」)
「お茶と音楽のお店」では、「楽屋(南1西15)」「どりっぷ(北5西27)」「act:(南3西5)」「ロック・ハウス(南2西5)」「ぽっと(南3西5)」「ジャマイカ(南2西5)」「ビートルズ(北8西4)」「ZIGZAG(北28西4)」「ヴァンローゼ(北3西2)」「とも(南8西4)」など。
たてに長く薄暗い、小さなジャズの店、それが ”ジャマイカ” です。レコード枚数は約3,000枚。札幌では古い方に入るジャズ喫茶です。モダン・ジャズが中心で、ヴォーカルものは少ないとのこと。(ジャマイカ「さっぽろ青春街図」)
後に「伝説の喫茶店」となる「ミルク」「ボッサ」「B♭」は、コメントなしの紹介だった。
「音楽」コーナーの終わりには「取材を終えて」という記者のまとめがある。
おそらく、音楽の分野が一番、東京に対抗するアーティストになろう、育てようという意識が強いように思える。と同時に、東京で仕事をしたい、と願っているアーティストも数多い。(略)強力なブレーンが必要なことも事実だ。しかし、支持する一般の人たちが、地元のアーティストにそっぽを向いていたのでは……。いつまで、前座アーティストを続けるのだ!(「さっぽろ青春街図」)
単なるタウンガイドと言うよりは、より積極的なメッセージが、そこにはある。
音楽の次に登場するのが「演劇と映画」で、映像作家の日野弘章、北大映研出身の映画監督の中島洋、劇団「びーどろ」共同経営者の麻生知宏などのインタビューが掲載されている。
本当は、自分のフィルムを上映してメシが食えるというのが理想なんだけれど、現実面としてはなかなかそうもいかない。だから、仲間と一緒にエルフィンランドという飲み屋をやりながら、フィルムを撮っているわけです。(略)自分のフィルムを上映するときは、40人、50人程度の会場で、自分でフィルムを回して上映してみたいと思っています。(中島洋「さっぽろ青春街図」)
この青年(中島洋)は、その後「イメージ・ガレリオ」(1986~1992)や「シアター・キノ」(1992~)などを立ち上げることとなる。
「映画」の次が「美術」だが、タウンガイドで「画廊」や「画廊喫茶」が特出しされているところは、いかにも1970年代と言える。
西線電車通りの「GooD MaN(南4西14)」のほか、「ACA(菊水東町)」「可否茶館(南1西1)」などの紹介が並ぶ。
地下街にある数多い喫茶店の中で、ツウを自認する人が楽しめるお店といったら、やっぱりこのお店だろうか。(略)壁には、高橋英生氏の絵が飾られ、半年に一度交換するとか。(可否茶館「さっぽろ青春街図」)
アートな70年代はまだまだ続いて、「美術」の次に「詩と創作」がある。
札幌時計台文化会館勤務の新林計範、女性詩人の高原のり子、同人誌『雑唱』などの紹介だ。
誰かが
わたしとあなたを視て
”貧しすぎる……” と云ったけれど
わたしとあなたには
あまり関係のない言葉だった
だって
わたしはサイフの中の百円玉一枚で
1ヶ月を過ごした事があったし
あなたはインスタントラーメンで
1ヶ月を過ごした事のある人だったから
(高原のり子)
タウンガイドに現代詩が掲載されているところに、70年代という時代性がある。
誰もが何かを考え、表現したいと考えている、それが1970年代という時代だったのかもしれない。
インターネットのない時代、タウンガイド『さっぽろ青春街図』は、それ自体が何かを発表する場所だったのかもしれない。
お店の紹介などのタウン情報よりも、より精神的なメッセージにページが割かれていた。
地下鉄が真駒内と北24条間を走り出した。ある人間いわく、北24条周辺はリトルススキノだ。このことは、今後の札幌を考えた場合、重要なことだ。つまり、北24条周辺が言うならば、一つの街と化し始め、ススキノ界隈で遊んでいた若者が北へ動き始めるわけだ。(能代谷秀樹「さっぽろ青春街図」)
「何かやってみた」のコーナーには、編集者の自由な作品(エッセイや詩やイラスト)が掲載されている。
あれは’70.6.15、札幌祭り。8番テーブル。actは素敵。白と黒のインテリアに一目ぼれ。まるで僕のイメージの女(ひと)そのもの。以来5年、その魅力奥深く……。(小林光成「恐怖の酔っぱコケ人間」)
20歳の編集者(小川純子)は詩を発表していた。
あかね色の
けしの花が
部屋中に
敷きつめてあり
そのまんなかに
黒いわくで
ふちどられた笑い顔
あとは 何もなく
そして 誰もいない
それが
私の…葬式
明日の
扉に
ゆりの花を
飾ろう
昨日の
ベッドには
私の死体を
ねかせよう
(小川純子「みちくさ」)
ダークな現代詩あり、アングラなイラストあり、難しい評論あり、自作の歌ありで、タウンガイドと言うよりは、ディープな同人誌的といった色彩が濃い。
「ヤブニラミ 札幌ススキノ史」なる特集コラムもある。
ここには、あらゆるものがそろっている。安直な飲み屋からクラブ・キャバレー、トルコ風呂から街娼に至るまで、選り取りである。また、これは、土地の人間はかえって気づかないのであるが、トルコ風呂が表通りに堂々と店をかまえている数少ない所でもある。(「ヤブニラミ 札幌ススキノ史」)
若者の関心は(やはり)性風俗サービスにあった。
そしてそこでは、あらゆる種類のセックスサービスが提供され、また若い男女の社交場ともなっている。(略)南4条通りを越えると日常の規制がゆるむ。通りすがりに女性の尻にさわったとて、外でのような大事にはならない。(「ヤブニラミ 札幌ススキノ史」)
近年のタウン情報誌のメインとなっている「市内食べ歩き(グルメガイド)」は、後半になってから登場。
おでんの「一平(南4西4)」や天ぷら「えび天本店(南4西3)」、寿司「東寿し(南4西3)」、ラーメン「味の三平(南1西3)」、蕎麦「一福(南6西5)」など、往年の名店が名前を連ねている。
サッポロラーメンのトレード・マークとなった「みそラーメン」を発明したのは、ここのご主人。モヤシを初めてラーメンに持ち込んだのも、この店が初めてだそうである。(可否茶館「さっぽろ青春街図」)
「郷土料理」は、後に全国チェーンとなる居酒屋「いろはにほへと(南4西2)」を筆頭に、「サイロ(南5西3)」「ゆきぐに(南1西6)」「屯田の館(南3西6)」「かにっこ(南4西4)」「氷雪の門(南5西2)」「ウタリ(南5西2)」「まりも茶屋(南5西5)」「ユック(南3西4)」と、豊富なラインナップが並ぶ。
昭和時代のグルメガイドには、必ず「郷土料理」のインデックスがあって、他のカテゴリより充実していたものだ。
外から見ると、細長い赤ちょうちんが目立って、まるっきりの飲み屋さんに見える。そのせいもあって、女の子だけじゃ、ちょっと入りにくいかもしれない。でも、イヤラシイ酔っぱらいの客は、まず来ない。大安心! 店内も開拓当時を思わせる造りで、いろりなんかもある。(いろはにほへと「さっぽろ青春街図」)
当時の札幌は、東京から単身赴任で来ている会社員や出張旅行のサラリーマンも多かったから、イカめし、石狩鍋、鮭のバター焼き、かに雑炊といった、いかにも北海道らしい郷土料理がアピールしたのかもしれない。
「札幌味自慢」というコーナーでも「にしん漬」「馬鈴薯」「毛ガニ」「ししゃも」「ほたて貝」「つぶ焼き」などが紹介されている。
今でも狸小路や夜のススキノあたりには、毛ガニを売る屋台が出る。ちらちらと粉雪の舞う街角で見かける紅葉いろの毛ガニは、旅人の旅情をそそる。(毛ガニ「さっぽろ青春街図」)
つぶ焼きも、夜のススキノに並ぶ屋台で食べるのが人気だった。
いまどきタウン情報において最も重要な「カフェ情報(喫茶店)」は、巻末近くになってようやく登場。
当時は、コーヒーよりもお酒という時代だったのかもしれない。
「アトリエ」「イレブン(南3西1)」「仏蘭西市場(南5西2)」「オットー(南2西5)」「街かど(南5西7)」など、いかにも70年代なお店が多い。
女の子に人気のある店。特に短大、大学生。しかも美人ばかり!とは責任持てないけど……。木造りのインテリアが和らいだ雰囲気と適当な落着きを生んでるみたいです。店の中は、大時計といい、それぞれのカップといい、全くのヨーロピアン・スタイル。女の子に人気があるのもうなずけるというもの。(アトリエ「さっぽろ青春街図」)
ナンパ・スポットやトルコ風呂(現在のソープランド)の紹介があったりするのは、完全に男性目線に立つ編集だったからだろう。
観光客向けには「雪印パーラー(北3西3)」や「不二家札幌店(南1西4)」などがある。
さっぽろの女性を見たかったら、この店に行くといい。何しろ女性客でいつもいっぱい。というのも、アイスクリームの本当の美味しさを味わえる店だからだと思うヨ。(不二家札幌店「さっぽろ青春街図」)
「あとがき」に相当するものとして「 ”若者文化論” いま語る札幌の若者の実態!」が掲載されている。
こんな状況の中で、日本の音楽の流れを変えた関西フォーク、日本の演劇の流れを変えたテント興行に匹敵するモノが、この札幌から生まれ出るだろうか。これは単に金銭的な貧しさで言うのではない。だが、しかし、前半で述べたように、何かを探そうとするより自分でやってみなければいけないのだ。この本が、その手引き、つまりガイドブックとなってくれれば……(「 ”若者文化論” いま語る札幌の若者の実態!」)
もしかすると、当時のタウンガイドは、お店という「物質的なガイド」というよりも、人間や考え方という「精神的なガイド」を重視していたのかもしれない。
様々な意味で、現代のタウンガイドとはまったく異なるタウンガイドが、本作『さっぽろ青春街図』だった。
現在まで続いている店は、間違いなく老舗なので、古いタウンガイドを手に札幌巡りをしてみるのも楽しい。
書名:さっぽろ青春街図
編集:ステージガイド札幌
発行:1974/08/30
出版社:有文社

