村上春樹「古くて素敵なクラシック・レコードたち」読了。
村上春樹がクラシック音楽のエッセイ集を出した。
正確に言うと、クラシック音楽のレコードについてのエッセイ集で、さらに正確に言うと、村上さんがコレクションしているクラシック音楽のレコードについて書かれたエッセイ集ということになる。
村上さんが長年かけて個人的に蒐集してきたレコードの中から、面白いもの486枚を紹介するという企画なので、クラシック音楽の研究とか評論とか、あまり難しく考える必要はない。
例えば、「ハチャトゥリアン ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」では、レイモンド・チャンドラーの小説「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」で、私立探偵フィリップ・マーロウが夜中の三時に自宅で、このヴァイオリン協奏曲を聴くシーンに触れて、マーロウが「私の耳にはトラクター工場の、ろくでもない緩んだファン・ベルトとしか聞こえなかった」と語っていることを紹介している。
村上さん的には「それほどひどい音楽じゃないと思うんだけど」と言いながら、ダヴィッド・オイストラフとドゥヴィ・エルリーとルジェロ・リッチの3人の盤を丁寧に解説しているといった具合だ。
いわゆる名盤案内ではないので、中古レコード店のバーゲン棚から100円で見つけてきたものやレコード会社のプレゼント企画でもらったものなども含めて、とにかく村上さんが個人的に良いと思っているレコードが、次々に登場してくるのが楽しい。
村上さんの小説では音楽が重要な小道具として使われている場合が多いので、村上さんの作品からクラシック音楽に興味を持つことになった読者も少なくないはずだ(僕はそうでした笑)。
そんなクラシック音楽のリスナーが、村上春樹的な解説を読みながらクラシック音楽の世界をフラフラと彷徨うには、ちょうど良いガイドブックになっているのではないだろうか。
村上さんと対談している小澤征爾についてのエピソードは多い。
若き日の小澤征爾が当時天才少女と呼ばれていたムターと、ラロの「スペイン交響曲」を録音したことについて、小澤さんは「あれね、カラヤン先生に『おまえ、やれ』って言われてやったんだよ」と語ったそうだ。
全篇を通して、村上さんが小澤征爾のレコードをしっかりと愛聴していることが伝わってくるエピソードは多い。
クラシック音楽好きにも村上春樹好きにもお薦めしたくなる音楽エッセイ集である。
ジャズ七割、クラシック二割、ロック・ポップス一割
村上春樹が熱心なレコード・コレクターであることは有名だが、コレクションの内訳としては「ジャズ七割、クラシック二割、ロック・ポップス一割」となるそうだ。
ジャズレコードは、いかにもマニアックな蒐集をしているようだが、クラシックレコードに関しては、あまりマニアックではないようで、必死に蒐集しているというよりは、自然と集まってきたという印象の方が強い。
レコードの魅力として、ジャケット鑑賞はもちろんだが、手入れをすればするほど音が良くなることだという。
レコード盤は磨けば磨くほど確実に音質が良くなっていくので、村上さんはこれを「レコードの恩返し」と呼んでいる。
小説家というのは、本当にいろいろな言葉を考え付くものだと思う。
CDはあまり恩返しをしてくれそうにないし、インターネット配信については相互交流そのものが存在しないから、貸し借りなしのドライな関係と言えそうである。
言ってみれば、レコード盤には血の通い合うような人間同士の交流に近い感覚があるということだろう。
人間関係の希薄な現代社会に疲れた人たちが、アナログレコードの世界の魅力にハマってしまうのも分かるような気がする。
書名:古くて素敵なクラシック・レコードたち
著者:村上春樹
発行:2021/6/25
出版社:文藝春秋