朝井リョウさんの『正欲』を読み終えたあと、私たちは「多様性」という言葉を二度と軽々しくは使えなくなるでしょう。本作が描き出したものは、単なる「マイノリティの物語」ということではなく、私たちの「正しさ」が実はどこかで歪んでいるのではないかという、見えない現実です。
なぜ、彼らの「正欲(性欲)」は「児童ポルノ」という形に変換されなければならなかったのか。検察官・寺井が恐れる「想像力の外側」とは何だったのか。
今回は、本作が突きつける問題の核心を、独自の視点で深く考察していきます。読後のモヤモヤを言語化したい方は、ぜひこの深い物語を一緒に振り返ってみてください。
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『正欲』のあらすじ:3つのポイント
考察に入る前に、物語の骨子を振り返りましょう。本作は、一般社会で静かに生きる「普通の人々」が「児童ポルノ事件」で摘発される物語です。
「普通」を信じる検事・寺井
不登校の息子に悩みながらも、社会のルールと「正しい家族」の形を守ろうとする。
「水」を聖域とする夏月と佳道
誰にも理解されない「特殊な欲求(水フェチ)」を共有する二人が、生き延びるために「擬装結婚」という契約を結ぶ。
矮小化される事件
白昼の公園で起きた「児童ポルノ事件」。このニュースは、彼らと世界との大きな「ズレ」を象徴していた。その背景を探るのが、この『正欲』という物語なのだ。
主要登場人物・属性一覧
読者の利便性を高めるため、登場人物の立ち位置を整理しました。
| 名前 | 属性 | 特徴・役割 |
|---|---|---|
| 寺井 啓喜 | マジョリティ | 横浜地検の検察官。自分自身の想像の範疇でしか世界を信じることができない。 |
| 桐生 夏月 | マイノリティ | 「特殊な欲求(水フェチ)」を抱える女性。佳道と生存のための契約を結ぶ。 |
| 佐々木 佳道 | マイノリティ | 夏月の同級生。水フェチを共有し、社会から身を隠すため偽装結婚を提案する。 |
| 諸橋 大也 | マイノリティ | 水フェチの大学生。周囲の「薄っぺらな多様性」に激しい嫌悪感を抱いている。 |
| 神戸 八重子 | マジョリティ(男性恐怖症) | 大也の同級生。善意から「多様性」を推進するが、無自覚に他者を傷つける。 |
| 寺井 泰希 | 境界線(不登校) | 啓喜の息子。YouTubeを通じて、父とは異なる世界の広がりを見出している。 |
【独自考察】矮小化される社会と「正欲」の行方
物語の冒頭と結末に置かれた「児童ポルノ事件」。なぜ彼らの苦しみは、これほどまでに歪んだ形で処理されなければならなかったのか。その裏側に潜む「社会の病理」を解き明かしていく。
三層構造の「正欲」
本作『正欲』は、三層構造の物語である。
表層的に、この作品は、「正欲(性欲)」とは何かを問い質す物語である。
しかし、少し深掘りしていくと、実際に問われているのは、世の中に蔓延している薄っぺらな「多様性主義」への疑問だということがわかる。
そこからさらに踏みこんで、その核心部分へたどりつくと、そこにあるのは、想像力が欠如した硬直的な現代社会に対する強い警鐘だった。
この物語の本当に伝えたかったことは、ここにある。
社会通念という名のフィルター
白昼の自然公園で摘発された児童ポルノパーティー。本作はこの衝撃的な事件を入り口に、現代社会が抱える「歪み」を浮き彫りにしていく。「正欲」とは「正しい欲望」のことだが、そこには「正しいものは何か」という問題提起がある。
登場人物たちが抱える欲望「水フェチ」は、社会通念上の「性欲」という枠組みでは語ることのできないものだ。しかし、社会は彼らを「児童ポルノ」というカテゴリーに当てはめずにはいられない。
なぜなら、それが「社会通念」の限界点だったからだ。
削ぎ落とされる個人の真実
「水フェチ」という特殊事情を抱えた登場人物たちの苦しみは、最終的に「児童ポルノ事件」という極めて矮小化された形でまとめられる。彼らの「真実」を社会が知ることはない。
社会はいつでも自分たちの理解できる範囲でしか、事実を整理することができない。その社会の代表が「寺井」という検事だった。
【世界のズレ】寺井啓喜が恐れた「想像力の外側」
検察官・寺井啓喜という男は、決して特殊な悪人ではない。彼が抱く「理解できないものへの拒絶」は、現代人が抱える無自覚な恐怖の裏返しである。
想像できる範囲しか信じられない病
検事・寺井啓喜は「自分には理解できないものがある」という事実を受け容れることができない。不登校の息子が運営するYouTubeチャンネルも、世の中に「水フェチ」という性癖があることも、彼は決して認めることができなかった。
寺井にとって、結婚とは恋愛感情のゴールであり、夫婦とは愛情によって結ばれた絆である。生きにくい世の中を生き延びるために結婚する男女がいることなど、彼には想像さえできなかったのだ。
想像できないのは「怖い」から
寺井が「自分の理解を超えた存在」を受け容れられないのは、それが「自分自身の否定に繋がるかもしれない」という恐怖があるからだ。彼もまた、「普通の世界」に踏みとどまるために、異質な存在を排除せずにはいられなかった(「みんな不安だったのだ」)。
「水フェチ」と「児童ポルノ」。世界は、こうして決定的にズレていく。
【薄っぺらな多様性】「繋がり」という名の幻想
世の中に溢れる「多様性」という言葉が、時として誰かを傷つける。「繋がり」という名の「余計なお世話」が、当事者にとっていかに迷惑なものであるか。そこにも想像力の欠如がある。
「みんな違ってみんないい」の嘘
世の中に蔓延する「多様性」という言葉は、「普通でいたい」人々の価値観によって支えられている。彼らは「自分が想像できる範囲」の中でだけ「多様な違い」を受け容れてみせる(「自分が想像できる ”多様性” だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」)。
しかし、彼らに理解できないものは「存在しないもの」でしかない。
「多様性という言葉が誰かを傷つけているかもしれない」ということさえ想像できない八重子の鈍感さ。それは、実は我々自身の姿でもあったかもしれない。
押し付けられる「繋がり」
想像力の欠如した人々は、安易に「繋がろう」とする。「繋がる」ことに苦痛を覚える人がいるとは考えもしない。
神戸八重子の押し付けがましい「支援」を、果たして我々は笑うことができるのだろうか。
【救いの兆し】創造力ではなく「想像力」が未来を拓く
本作は絶望だけの小説ではない。物語の随所に散りばめられた小さなヒントの中にこそ、この世の中を生き延びるための「救いの兆し」が提示されていた。
絶望の中に見出す「救いの兆し」
この物語に救いはないのか。いや、本作はむしろ「救いの兆し」という啓示を示した物語である。
「水フェチ」の可能性に気づいた検察事務官・越川や、不登校児童のYouTube配信に肯定的な若者・右近。彼らは新しい価値観を受け容れようとしている。
AIとSNSの世の中で、人間が人間として生き延びるために必要な能力は、もはや「創造力」ではない。「想像力」である。
「想像できないことを想像する力」こそが、本当のダイバーシティに必要なスキルなのだ。
「水」が象徴する固定観念の破壊
「水」は、「まともな側の人間」を投影したモチーフとして登場している。
まとも側の住人は水に似ている。温度も形状も何もかも、外からの刺激にあまりに従順に反応する存在。(朝井リョウ「正欲」)
一方で、形を持たない「水」は、「想像力」の象徴としても読むことができる。
固定観念を吹き飛ばす水は、我々が生きていく上でも不可欠な存在だ。同じように、様々な「欲望」もまた、我々には否定することのできないものだった。
マジョリティの中のマイノリティ
妻・由美の「涙」に勃起する寺井もまた、「普通ではない」人間である。人間は誰もが「普通ではない」という示唆が、そこにある。
そもそもクローン人間でない以上、すべての人間はそれぞれが完全に異なる存在である。「完璧に普通の人間」など、どのように判別することができると言うのか。
我々は誰もが、正解のない「正欲」の中で生き続けているのかもしれないのだ。
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まとめ:想像力が欠如した社会を生きていくために
本作『正欲』は、想像力が欠如した現代社会に対する痛烈な警鐘です。しかし、同時にそれは、固定観念を超えて「想像する」ことで、新しい未来を築けるという希望でもあります。
自分にとって「普通のこと」が、誰かにとって「普通ではないこと」かもしれない。その視点を持つだけで、世界は少しだけ「生きやすく」なるのではないでしょうか。
この物語を通じて、私たちの心にあるモヤモヤが、新しい「想像力」へと変わるきっかけになるといい。そう思いました。
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朝井リョウの小説は、心の中のモヤモヤを見事なまでに可視化してくれます。
『何者』は、現代社会では当たり前となった「自己プロデュース」の脆さを描いた物語です。ぜひ、『正欲』とセットで読んでみてはいかがでしょうか。