今村夏子『星の子』は、カルト宗教にハマった一家の物語である。
一般社会にとって「異質な存在」である新興宗教は、彼らに何を与えてくれるのか。
そして、そんな家庭で育つ子どもたちは、何を感じているのか。
普通とは違う「幸せの在り方」を、この物語は伝えてくれる。
今回は、第39回野間文芸新人賞を受賞し、芦田愛菜主演で映画化もされた原作小説について、「家族の幸せ」という観点から独自に考察していきたい。
「宗教」を棄てることは「家族」を棄てること
林家の人々にとって、それは「救い」だった。
生まれつき体の弱かった次女(林ちひろ)のために両親は、不思議な力を持つ水「金星のめぐみ」を手に入れる。
もちろん、普通の社会から見たとき「金星のめぐみ」は、新興宗教が放つ「怪しさ」の象徴でしかなかった。
「……今までがまんしてきたけど、さすがにもう限界だ……」先生はいった。「……あのな。いいか? 迷惑なんだよ。その紙とえんぴつ。まずその紙とえんぴつをしまえ。それからその水。机の上のその変な水もしまえ」(今村夏子「星の子」)
大好きだった南隼人先生から、クラスメートの前で「水」を全否定されて、それでも主人公は「金星のめぐみ」を捨てることはできない。
なぜなら、「怪しい宗教」の象徴である「水」は、主人公に対する両親の「愛情」の象徴でもあったからだ。
過去四回引っ越しをし、そのたびに我が家はどんどんせまくなっていった。新しい引っ越し先を見にいくたびに、そのうち我が家は消えてなくなるんじゃないだろうかと思った。(今村夏子「星の子」)
高校を中退した姉(まさみ)が家を出てしまってからも、ちひろは両親を信じ続ける。
自分たちが「異質」であることを知りながら、彼女は宗教を棄てることはできなかった。
宗教を棄てることは、つまり、家族を棄てることだったからだ(姉まさみのように)。
南先生や友人たちに「両親」を目撃された夜は、さすがに眠れなかった。
その夜、わたしはひろゆきくんの気持ちがはじめてほんの少しだけわかるような気がした。はじめて口がきけなくなった日のひろゆきくんは、たぶん布団のなかのわたしと同じだったのだ。(今村夏子「星の子」)
宗教仲間である落合家の一人息子(ひろゆき)は、話をすることができなくなったために、自室に引きこもっている。
ひろゆきの両親は、それが仮病であることを知りながら、もう2年も不安定な家庭生活を続けていた。
息子の仮病を告発することは、彼らの宗教を否定することへと繋がってしまう。
知っているのだ、彼らだって。
自分たちが異質の存在であり、一般社会とうまくコミュニケーションしていくことが難しいことくらい。
一般社会との摩擦を抱えながら、それでも「水」を棄てられなかったのは、彼らが「幸せ」だったからだ。
母は水の入ったペットボトルを持っていた。おもむろに手を伸ばし、隣りに座る父の頭の上の白いタオルに、その水をチョロチョロかけてやっていた。(今村夏子「星の子」)
そこに描かれているのは、睦まじい夫婦愛である。
異質の存在でありながら、彼らは彼らなりに「幸せな家庭」を築き、彼らなりの「幸せ」を享受していた。
彼らにとっての幸せは、平和で健康に生活するということでしかない。
「金星のめぐみ」は家族の健康を支え、家族の幸せを支えている。
そんな両親の愛情を理解しているからこそ、主人公も「水」を棄てることができなかった。
そこに、この物語の難しさがある。
幸せと不幸の境界線は明確ではない
我々(一般社会)の目から見て、主人公(ちひろ)は不幸な家庭に育つ、不幸な少女である。
雄三おじさんやいとこの慎吾は、一般社会の代表だった。
「……あのね、ちひろ。ちひろはおじさんとおばさんから少し距離を置いたらどうかなって、おれたちずっと考えてたんだ」「わかってるよ。でもわたし、まーちゃんみたいに家出したいと思ったことないんだ」(今村夏子「星の子」)
狭い自宅は大きな祭壇でさらに狭くなり、修学旅行費用を捻出することもできないくらい家計は逼迫していた。
一方、主人公(ちひろ)にとって、林家は幸せな家庭だった。
研修旅行で「星々の郷」に宿泊したとき、彼らは家族三人で流れ星を見る。
わたしの左側で、わたしの背中に腕を回した父が「見えなかったなあ」といった。わたしの右側で、わたしの右のほっぺに顔をくっつけた母が「見えなかったわねえ」といった。わたしの体は、父と母に両側から強く抱きしめられていた。(今村夏子「星の子」)
主人公は既に中学3年生になっていた。
両親の見た流れ星を彼女は見ることができないし、彼女の見た流れ星を両親が見ることはできない。
一緒にいてさえ、彼らは違うものを見ていたからだ。
彼らの「幸福な生活」が、実は「不安定な幸福」でしかなかったことが、ここに示唆されている。
家族3人が寄り添う場面は、物語冒頭部分に対応したものだ。
わたしの湿疹が金星のめぐみのおかげで完治した話は、奇跡の体験談として顔写真付きで会報誌に掲載された。(略)カメラのほうを向いてにっこり笑う小さなわたしの体を、父と母が両側からぎゅっと抱きしめている写真だ。ふたりともわたしのほっぺたに顔をくっつけて、幸せいっぱいの笑顔を見せている。(今村夏子「星の子」)
おそらく彼らには、我々には見えない「幸せ」が見えていたはずだ。
それは「金星のめぐみ」に支えられた、彼らだけの「幸せ」である。
「幸せな生活」の中にいる彼らに、我々の言葉が届くことはない。
「あんたはどう?」ときいてきた。「なにが」「だまされてるの?」「わたし? だまされてないよ」そのあと妙な沈黙があった。(今村夏子「星の子」)
そもそも、この物語の本質は、彼らが「金星のめぐみ」なしには幸せを実感できないという、現代社会の在り方にある。
なぜ、彼らはカルト宗教にすがらなければならなかったのか?
統一教会であれ、オウム真理教であれ、そこから見えてくるのは、人々が幸せを実感できないという頼りない現代社会の姿である。
もしかすると、彼らの「幸せ」は、現代社会が失っているものだったのではないか。
不幸と幸福という相反する価値観の中で、ちひろは大人になろうとしていた。
そこから先は、彼女自身が判断することだ。
雄三おじさんの家から高校へ通うのか、自宅に留まり続けるのか。
そして、その判断は、読者に与えられた宿題でもある。
この物語が伝えているものは「幸せと不幸の境界線は明確ではない」ということだ。
我々に見えていないものを見ている彼らは、果たして本当に「不幸な家庭」だったのだろうか。
『星の子』の次に読みたい本
今村夏子さんの『星の子』は、カルト宗教が抱える複雑な問題を、分かりやすい形で可視化する物語でした。
ここでは、『星の子』に続いて読みたい本をご紹介します。
村上春樹『1Q84』
宗教2世の少女が、どのような人生を辿るのか。パラレルワールドの向こう側で、カルト宗教と向き合った女性の物語です。
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J.D.サリンジャー『フラニーとゾーイー』
メンタルを病んだ女子大生が、信仰の力によって復活する物語。『ライ麦畑でつかまえて』で知られるサリンジャーは、東洋思想の持つ不思議な力を描き続けました。
▶ サリンジャー『フラニーとゾーイー』あらすじと詳細考察はこちら
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朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
推し活や陰謀論など、現代社会に潜む「信仰」の形を、ファンダム経済をモチーフに描いています。信仰における「物語」の持つ力を実感できる小説です。
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