現代日本文学

ココロのスキマと、メガチャーチ。

ココロのスキマと、メガチャーチ。

ココロのスキマ、お埋めします──。

朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』を読みながら、そんな言葉を思い出していた。

誰もが「ココロのスキマ」を埋めたくて、もがき苦しんでいる。

そんな時代を生きているということを、この物語は容赦なく突きつけてくるからだ。

「推し活」という名の喪黒福造

あれは、藤子不二雄Ⓐの『笑ゥせぇるすまん』だっただろうか。

「ココロのスキマ」を抱えた人々が次々に登場して、自分は寂しい時代を生きているんだと、しみじみ感じたことを覚えている。

1989年。

時代は昭和から平成へと変わり、日本は狂乱のバブル景気を謳歌していた。

何一つ悩みなんてない「経済大国ニッポン」だったはずなのに、テレビの中の喪黒福造は、次々と「ココロのスキマ」に入りこんでいった。

豊かすぎる故の心の空白を、あの頃の人々は抱えていたのだろうか。

あれから35年以上が経ち、日本は豊かでも経済大国でもなくなったけれど、「ココロのスキマ」だけは、相変わらず埋められなかったらしい。

「推し活」という名の喪黒福造が現れ、「陰謀論」という名の喪黒福造が現れる。

それが、僕にとっての『イン・ザ・メガチャーチ』だった。

「ココロのスキマ」を埋める物語

朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』が今年の本屋大賞を受賞したと聞いたときも、だから僕は特別に驚いたりしなかった。

現代は「ココロのスキマ」を抱えた人たちで溢れているし、僕らはどうにかして「ココロのスキマ」を埋めようともがき苦しんでいるからだ。

武藤澄香にとってのそれが「推し活」であり、隅川絢子にとってのそれが「陰謀論」だったというだけのことだ。

ファンダム経済を操っている側にいるはずの久保田慶彦でさえ、「ビジネス」という名の喪黒福造から逃れることはできなかった。

悲惨な時代だと思う。

経済的に豊かではなく、「ココロのスキマ」さえ埋めることができない。

『黒ィせぇるすまん』が登場した高度経済成長期よりも、『笑ゥせぇるすまん』が登場したバブル時代よりも、社会は着実に劣化しているのだ。

劣化した社会を認めることができなくて、僕たちは僕たちを救ってくれる「物語」の中へと入りこんでいく。

ちょうど、喪黒福造が「ココロのスキマ」へと潜りこんでいったように。

思えば、彼もまた「物語(ストーリー)」を創る優れた才能を持っていたのかもしれない。

「ユリちゃん」になれなかった人たち

「ココロのスキマ」から解放されたいと願う人のための選択肢が、ひとつだけある。

それは、現代社会には「何も期待しない」ということだ。

未来さえも放棄した時点で、人は「ココロのスキマ」から自由になることができる。

どの物語にも属することなく、自分の道を歩き続けたユリちゃんのように。

そして、現代社会においては「物語に属さず生きることほど難しいことはない」ということも、また真実だ。

『イン・ザ・メガチャーチ』が描いているのは、そんな現代社会の生きづらさである。

誰もが「ユリちゃん」になれるわけではないし、むしろ、僕たちは「ユリちゃん」になることを恐れている。

だからこそ、巨大なメガチャーチは、「ユリちゃん」になれなかった人たちのための巨大な受け皿として、強く機能していたのだろう。

生きづらさを抱えて生きていく

「物語には “分断” に対抗する力がある」と言ったのは、ノーベル賞作家のイシグロ・カズオだ。

一方で、彼は、物語の持つ危険性についても指摘している。

現在のように分断された世界では、感情を揺さぶる物語を作るときに気をつけるべきことがあります。その感情を常に『真実』に結びつけることです。(ノーベル賞作家が語る「創作の意義」と「次世代への期待」/『クーリエ・ジャポン』2022.12.25)

「持つに値しない感情を意図的に揺さぶろうとする企てからは、身を守らなければなりません」「そのためには、映画、本、テレビなどのコンテンツに批判的になることが求められます」と、彼は続けている。

ファンダム、スマホゲーム、選挙活動、そして戦争。

様々な「物語」が、そこにはあった。

果たして、僕たちは『イン・ザ・メガチャーチ』が突きつける「巨大な物語」から逃れることができるだろうか?

できるかもしれないし、できないかもしれない。

確かなことは、僕たちは、この生きづらさを抱えたままで、この生きづらい時代を生きていくしかないということだ。

今日も「ココロのスキマ」を抱えた人たちが、美しい「物語」の中へと吸いこまれていく。

明日には僕が、そして明後日にはあなたたちが──。

 

朝井リョウさん、本屋大賞の受賞、おめでとうございます。

あなたが見せてくれた「現実」は、もはやフィクションとは言えないかもしれない。

そんな不安を抱えて、僕たちは明日からも生きていこうと思います。

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ジェン
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