村上春樹『海辺のカフカ』の難しさは、登場人物の難しさでもある。
過去の村上作品には見られかった多彩なキャラクター群は、この物語の大きな特徴となっているし、彼らの存在によって物語世界は、より立体的なものとなっている(それだけに読み解きが難解になっている)。
今回は、登場人物の一人一人に着目しながら、この難しい物語を読み解くヒントを探していきたい。
この考察記事は「深読み1万字考察(全4回)」の第3回目の考察記事です。
登場人物たちの空白と葛藤を読み解く
ここで改めて『海辺のカフカ』の登場人物を整理しておこう。
| 登場人物 | 特 徴 |
| 田村カフカ | 本作の主人公である15歳の少年。中学3年生。 |
| カラスと呼ばれる少年 | カフカとだけ会話をすることができる。 |
| 田村浩一 | カフカの父親。世界的に有名な彫刻家だった。 |
| (カフカの母親) | カフカが4歳になったとき、姉を連れて家を出た。以来、その行方は知れない。 |
| (カフカの姉) | カフカと5歳違い。母と家を出た後は、カフカともまったく会っていない。カフカとは血のつながらない養女。 |
| 大島さん | 甲村記念図書館で働く21歳の青年。性同一性障害者にして同性愛者であり、血友病患者でもある。 |
| 佐伯さん | 甲村記念図書館の館長。50代の女性。学生時代に恋人を失って以来、孤独に生き続けている。 |
| さくらさん | 四国行き高速バスで知り合った若い女性。 |
| ナカタさん(ナカタサトル) | もうひとつの物語の主人公。初老の男性で、軽い知的障害を持つ。影が普通の人の半分しかない。 |
| 星野青年 | 20代半ばの長距離トラック運転手。ナカタさんの出会って行動を共にすることになった。 |
| ジョニー・ウォーカー | 猫の魂を集める連続猫殺しの犯人。生きることに疲れている。 |
| カーネル・サンダーズ | 窮地にあった星野青年を助けてくれる謎の人物。メタフィジカルな観念的客体で実体はない。 |
このうち、主人公(田村カフカ)については「詳細考察①」で考察済みなので、ここでは、カフカ少年以外の人物について、それぞれ考察していきたい。
今回、登場人物に注目するのは、彼らがそれぞれに「空白」と「葛藤」を抱えて生きている存在であったからだ。
空白と葛藤を抱えていたのは、主人公(カフカ少年)だけではない。
本作『海辺のカフカ』は、カフカ少年の成長物語だが、彼の成長を支えたものは、彼の周囲にいた大人たちの空白と葛藤だったのだ。
境界線で生きる者たち
多くの村上春樹作品に登場する「境界線で生きる者たち」が、この物語には登場していた。
彼らは、様々な形で「境界線」で生きていることを示唆している。
大島さん|空白を受け入れて
村上春樹の小説には、「こちら側の世界」と「あちら側の世界」を繋ぐ役割の(巫女的な)人物が存在する。
『ねじまき鳥クロニクル』で、女子高生(笠原メイ)が主人公を「涸れ井戸」へ案内したように、『海辺のカフカ』では、大島さんが主人公を「山のキャビン」へと案内した。
性同一性障害者である大島さんは「男性と女性の境界線」で生きる中立的な存在だ(『ダンス・ダンス・ダンス』のユキが、「おとなと子どもとの中立的な存在」であったように)。
自分という存在を見つけられない大島さんは、自分の中の空白を受け入れて生きていくしかない。
たぶん僕の中にある空白を埋めるために、この人の存在を僕は必要としていた。でも僕にはこの人の抱えていた空白を埋めることはできなかった。(村上春樹「海辺のカフカ」)
不登校だったため、独学で本を読んで勉強した大島さんもやはり、学校教育の犠牲者だった。
ただし、『海辺のカフカ』における大島さんの役割の中心は、言わば進行役(いわゆる「狂言回し」)である。
むしろ、物語全体を「解説」する任務こそ、大島さんにとって最大のミッションだったのではないだろうか。
なぜなら、『海辺のカフカ』という物語の謎は、ほぼ大島さんの発言によって読み解くことができる構造となっているからだ。
『海辺のカフカ』が抱える核心的な謎については、次の「詳細考察③」において、大島さんの発言をもとに読み解いていきたい。
田村浩一|正気と狂気の狭間で
カフカ少年が母に棄てられた喪失感を抱えていたように、父(田村浩一)もまた「妻に逃げられた」という大きな喪失感を抱えて生きていた。
本来の(『ねじまき鳥クロニクル』までの)村上春樹文学では、妻に逃げられた田村浩一こそが「主人公になるべき存在」だったのだ。
主人公の座を降りた田村浩一は(ジョニー・ウォーカーとして)「猫の魂」に転化することで、妻を失った「空白」を埋めようとする。
彼は、田村浩一とジョニー・ウォーカーとの境界線で生きる男だ。
おそらく、彼は自分が恐ろしかったのだろう。
「猫殺し」では済まされない、より大きな事件を引き起こしてしまうだろう、自分自身の裏側にある悪意が(つまりジョニー・ウォーカーが)。
田村カフカの中に「カラスと呼ばれる少年」が存在したように、田村浩一の中にも「ジョニー・ウォーカー」が存在した。
ジョニー・ウォーカーの存在は、我々の中の「空白」が、いつしか巨大な「悪意」へと成長する可能性のあることを示唆している。
それは、ドストエフスキーが『悪霊』の中で描いた、あの絶対的な「悪意」だったのかもしれない。
若者たちの居場所探し
居場所を探しているのは、主人公(カフカ少年)だけではなかった。
現代日本では、多くの若者たちが自分の居場所を探してさまよっているのだ。
さくらさん|性的な逃避場所
村上春樹の小説には、主人公にとって逃避場所のような存在の女性が登場する(『ダンス・ダンス・ダンス』の「ユミヨシ」さんのように)。
カフカ少年にとって、さくらさんもやはり「逃避場所」のひとつだった(精神的にも性的にも)。
逃避場所である彼女は、「あちら側の世界」と「こちら側の世界」を行き来するカフカにとって、「現実世界の拠点」として機能している(『ノルウェイの森』の緑ちゃんのように)。
高校を中退後に専門学校に学び、現在は美容師として働いている、さくらさんは、やはり、居場所探しに悩む若者の一人だった。
彼女もまた、両親にも学校にも馴染むことができず、16歳のときに家出をした、一人の少女だったのだ。
星野青年|空っぽの可能性
貧しい家庭で育ち、高校生の頃からぐれていたという星野青年。
両親から放置されていたため、彼の養育を実際に行ったのは祖父母だった。
高校卒業後、自衛隊に入隊してトラック運転手の資格を取得する星野さんは、ナカタさんと出会ったことで初めて、自分の中の「空白」を意識する。
ナカタさんは自分が空っぽだと言う。そうかもしれない。でもじゃあ俺はいったい何なんだ?(村上春樹「海辺のカフカ」)
教養のない若者として描かれる星野青年は「入口の石」を見つけるという、この物語で非常に重要な役割を果たしている。
それは、彼のような若者こそがこの国の未来を変えることができるという、作者からのメッセージではなかっただろうか。
まだ、何にも染まっていない彼は、「空っぽ」であることの可能性を、逆説的に示した存在でもあった。
「このたった10日のあいだに、俺は自分がすごく変わっちまったみたいな気がするんだ」(村上春樹「海辺のカフカ」)
「白いもの」を退治した翌朝、星野青年は新しい自分を生き始める。
「諸君、焚き火の時間だ」という彼の最後の言葉は、『ダンス・ダンス・ダンス』で主人公が呟く最後の言葉「ユミヨシさん、朝だ」に呼応するものだったとして読みたい。
村上春樹文学において、再生は常に「朝」に象徴されているのだ(『国境の南、太陽の西』のラストシーンのように)。
メタフィジカルな観念的客体
本作『海辺のカフカ』の特徴のひとつは、「メタフィジカルな観念的客体」が、実体をもって登場していることだ。
カラスと呼ばれる少年|もう一人の自分
カフカの内面に生きる「カラスと呼ばれる少年」は、カフカの中に潜む「もう一人の自分」だ(「カフカというのはチェコ語でカラスのことです」)。
父親・田村浩一の中に「ジョニー・ウォーカー」がいたように、田村カフカの中には「カラスと呼ばれる少年」がいる。
あるいは、カフカが「自分を失ったとき」に行動する存在こそ、実は彼だったのかもしれない。
ジョニー・ウォーカー|悪意の象徴
連続猫殺しの犯人、ジョニー・ウォーカー。
私が猫を殺すのは、その魂を集めるためだ。その集めた魂を使ってとくべつな笛を作るんだ。そしてその笛を吹いて、もっと大きな魂を集める。(村上春樹「海辺のカフカ」)
小動物(猫)を殺すことによって麻痺した恐怖は、やがてもっと大きな暴力へと発展していく。
そこに、現代社会における重大犯罪やテロ事件へと繋がる、心理的な構造がなかっただろうか(ドストエフスキーの『悪霊』のように)。
「私が猫たちを殺すか、それとも君が私を殺すか、そのどちらかだ」とあるのは、明らかに理不尽な戦争に対する警鐘として読むことができる。
つまり、ジョニー・ウォーカーは、世の中の「悪意」を象徴する、メタフィジカルな観念的客体だったのだ。
カーネル・サンダーズ
メタフィジカルな観念的客体である「カーネル・サンダーズ」は、星野青年の前にだけ姿を現す存在だ。
つまり、その実体は、星野青年の中に潜んでいると考えていい。
大切なことは、その役割が「星野青年」に与えられていた、ということである。
星野青年が持つ「空っぽの可能性」は、カーネル・サンダースによって裏打ちされたものだったのだ。
損なわれた影の意味
村上春樹の小説には、いつでも「影」の存在があった。
初期三部作に「鼠」がいたように、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には「影」がいたし、『ダンス・ダンス・ダンス』には「五反田君」がいた。
彼らは、主人公の内面を反射する存在として描かれている。
一方で、本作『海辺のカフカ』では、影を半分失った人たちが登場している。
それは、損なわれたアイデンティティを抱えて生きる、損なわれた人たちだった。
ナカタさん|損なわれたアイデンティティ
戦争によって「影」を半分失ったナカタさんは、戦後ニッポンが抱える「損なわれたアイデンティティ」の象徴的存在だ(「ナカタには半分しか影がありません」)。
猫と会話できる能力は、戦後日本を生きる我々が「日本とアメリカとの境界線」で生きてきたことを示唆している(「わしらは世界の境めに立って共通の言葉をしゃべっておる」)。
敗戦によって、日本人は受け継がれてきたアイデンティティを失った(神様だった天皇が「普通の人間」になったように)。
我々は「空っぽの世代」である。
「ジョニー・ウォーカーさんはナカタの中に入ってきました。ナカタが望んだことではないことをナカタにさせました。ジョニー・ウォーカーさんはナカタを利用したのです」(村上春樹「海辺のカフカ」)
ナカタさんにあって、ジョニー・ウォーカーは、戦後アメリカを投影した存在だったかもしれない。
戦争中の奇怪な事件によって生まれた「ナカタさん」は、太平洋戦争と戦後社会とを繋ぐ存在として描かれているのだ。
もちろん、家庭的な事情をナカタさんは抱えていた。
「それはたぶん家庭環境に起因する問題ではなかったかと私は推測しております」(村上春樹「海辺のカフカ」)
少年時代のナカタさんが受けた「複雑な要素を持つ、そしてもっと内向した暴力」は、現代のカフカ少年が受けた「暴力」へとリンクしていく(ここでナカタさんとカフカ少年が繋がっているのだ)。
ナカタさんが殺したものは、カフカ少年の父であり、戦勝国アメリカの象徴たる「ジョニー・ウォーカー」であると同時に、自分が育てられたエリート家庭の残像でもあったのだ。
小学校時代の担任教諭(岡持節子)は、カフカ少年とナカタさんとを繋ぐ「ミッシング・リンク」を解き明かす証言者として登場している。
佐伯さん|損なわれた人生
一方で、佐伯さんは、損なわれた人生を象徴する存在である。
彼女が示唆しているものは「人生というものの不確かさ」だ。
我々の人生は、いつ、どのようなことで、大きく変化してしまうか分からないという、未知の可能性(ある意味では危険性)を持っている。
「この僕らの住んでいる世界には、いつもとなり合わせに別の世界がある」(村上春樹「海辺のカフカ」)
ナカタさんに重ねて読むと、彼女が失ったものも、やはり、戦後の日本が失ったものだったはずだ。
もしかすると、この物語で村上春樹は、戦後の日本社会を描きたかったのではないだろうか?
アメリカとの戦争に負けたことで、「もうひとつの道」を歩かなければならなかった、敗戦ニッポンの現在進行形の姿を。
僕の身体に温かい血が戻ってくる。それは僕が彼女からゆずられた血だ。(村上春樹「海辺のカフカ」)
「血」は家族の血であり、日本人としての血でもある。
それは、この作品が家族小説であると同時に、歴史小説でもあることを意味していたのではないだろうか。
敗戦後の日本を生きるということ
こうして考えていくと、ナカタさんから佐伯さんへと繋がるラインは、現代社会を生きる星野青年、そして主人公(カフカ少年)へときれいに繋がっていく。
紛れもなく彼らは、敗戦の延長線上で生きる「子どもたち」だったのだ。
サリンジャーとの共通点
本作『海辺のカフカ』(2002)に続いて、村上春樹は、サリンジャーの小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(2006)の翻訳を出版している。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』にサリンジャーが戦争体験を色濃く反映させたように、村上春樹もまた『海辺のカフカ』に「敗戦後の日本」を投影しようとしていたのかもしれない。
もちろん、そこには、個人の中に潜む「悪意」が、やがて「巨大な悪意」となって社会を大きく動かしていく危険性に対するメッセージも含まれていたに違いない(ドストエフスキーが『悪霊』で描いたように)。
「個人の物語」から「社会の物語」へ
本作『海辺のカフカ』の大きな特徴は、個人と社会とが密接にリンクしている、ということだ。
登場人物一人一人を見たとき、そこに描かれているのは確かに「個人」なのだが、彼らの集積を見たとき、物語はいつの間にか「社会の物語」となっている。
切り取り方によって「カフカ少年の物語」にも「現代社会の物語」にもなり得るのは、この作品があらかじめ立体的な構造をもって描かれているからだ。
最高傑作としての『海辺のカフカ』
もしも、本作『海辺のカフカ』が「村上春樹の最高傑作」として評価されることがあるとしたら、それは、この小説の構造的な成果ということになるかもしれない。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』といった過去の大作と比べて、本作『海辺のカフカ』は確かに、過去にない規模で複雑かつ難解な立体構造を持つ長編小説だったのだから。
まとめ│物語最大の謎へ
さて、各登場人物の考察を終えたところで、次回はいよいよ、この物語の持つ核心的な謎について、詳細に読み解いていきたい。
テーマは、この物語は何を伝えたかったのか?ということだ。
先にも記したように、この物語を読み解く鍵の多くは、図書館司書たる大島さんの発言の中にある。
太平洋戦争の怪事件が、なぜ、カフカ少年の家出物語へと繋がっていくのか?
次回は「深読み1万字考察全4回」の最終章「『海辺のカフカ』からのメッセージ」である。
▶【深読み1万字考察】『海辺のカフカ』からのメッセージ(近日公開予定)
なお、『海辺のカフカ』の全体考察について興味のある方は、親記事「なぜこの難しい物語は僕たちを惹きつけるのか?」からご覧いただきたい。
