J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』は、世界中で読み継がれる名作ながら、「何を言いたいのかわからない」「意味不明」などの読後感想が多い小説でもある。
なぜ『ライ麦畑でつかまえて』は分からないのか?
それは、この物語が無数の「メタファー」によって構成された物語だからだ。
逆に言うと、メタファーの意味をひとつひとつ解き明かしていくことで、『ライ麦畑でつかまえて』は決して難しいだけの小説ではない、ということになる。
今回は、物語の中でも特に重要なメタファーの意味について、独自の観点も交えながら深く考察していきたい。
「赤いハンティング帽子」の意味
主人公の少年(ホールデン・コールフィールド)は、赤いハンティング帽子を大切にしている。
①「自己主張」としての帽子
赤いハンティング帽は、ホールデンの自己主張を意味している。
僕は例の赤いハンチングをかぶり、僕の好きなようにひさしをぐるっと後ろへ回し、それからありったけの声を張り上げてどなったんだ。「ガッポリ眠れ、低能野郎ども!」ってね。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
赤い帽子を被って彼は、欺瞞に満ちた社会を攻撃した。
むしろ、欺瞞に満ちた社会に抵抗するために、彼は赤い帽子を身に着けていたのだ。
②「自己防衛」としての帽子
一方で、赤いハンティング帽は、ホールデンの心を守ってくれる機能も果たしている。
それから彼女がどうしたかというと──僕はほんとに参っちゃったんだけど──僕のオーバーのポケットに手を突っ込んで、例の赤いハンチングを取り出して、そいつを僕にかぶせたんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
攻撃的でありながら、ガラスのように傷つきやすい少年だったホールデンは、赤いハンティング帽を被ることで、自分自身を守ろうとしている。
攻撃と防衛という二つの機能が「赤いハンティング帽」には与えられていたのだ。
③ ホールデンの「心」
つまるところ、「赤いハンティング帽」はホールデン自身の「心」を象徴していた、と読むことができる。
「君は、自分の本当の寸法を知り、それに合わせて自分の頭にかぶるものを選ぶことができる」と言ったのはアントリーニ先生だった。
まさしくホールデンは、彼自身の「心のサイズ」にマッチするような、「赤いハンティング帽」を手に入れていたのだ。
それから、例のハンチングをオーバーのポケットから取り出して、彼女にやったんだ。彼女はそういうヘンチクリンな帽子が好きなんだよ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
妹(フィービー)の好きな「ヘンチクリンな帽子」は、もちろん、兄(ホールデン)のことである。
「アリーの野球ミット」の意味
ホールデンが大切にしていたもの、それが死んだ弟(アリー)の遺した「野球のミット」だった。
① 失われてはならない純粋なもの
本作『ライ麦畑でつかまえて』は、弟(アリー)を亡くした喪失感から逃れることのできない兄(ホールデン)の物語である。
ホールデンにとってアリーは決して失われてはならない「イノセンス」の象徴だった。
弟のアリーはね、ギッチョの野手のミットを持ってたのさ。あいつ、ギッチョだったんでね。しかし、どこが描写向きかというとだな、アリーの奴が、ミットの指のとこにも手を突っ込むとこにも、どこにもかしこにも、いっぱい詩を書いてあったんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
たくさんの詩が書きこまれた野球ミットは、失われた「アリー」そのものだった。
② ホールデンとしての野球ミット
アリーの野球グローブは、ホールデンにとって特別な存在だった。
僕がアリーの野球のミットを、そこに書いてある詩から何からそっくり見せてやったのは、うちの者たちを除けば、彼女だけだった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
アリーの野球ミットを見ることのできた女の子(ジェーン・ギャラハー)は、ホールデンにとって、もちろん特別の存在だ(おそらく、サリー・ヘイズなどとは比べ物にならないくらいに)。
なぜなら、アリーの野球ミットは、既にホールデン自身の分身として機能していたし、それは決して損なわれるべきではない「純粋」なものだったからだ。
③「ライ麦畑」へとつながるミット
ホールデンにとって「野球ミット」が大切だったのは、それが「子どもたちをつかまえる」ために必要な道具だったからだ。
「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ──」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
失われたアリーを守るために、彼は「ライ麦畑のキャッチャー」であり続けようとした。
そして、アリーを守ることは、イコール、彼自身を守り続けるということでもあったのだ。
死んだ弟(アリー)は、主人公(ホールデン)の怒りと絶望の根底にあるものだ。
詳細は別記事「なぜホールデンは「インチキ」に苛立つのか?『ライ麦畑でつかまえて』怒りの裏の孤独とアリーの影」に詳しい解説があるので、併せてご覧いただきたい。
セントラルパークの「家鴨」の意味
作中、ホールデンは「セントラル・パーク・サウス」の池にいる家鴨(あひる)のことを、盛んに心配している。
彼は、いったい何を心配していたのだろうか?
① 家鴨はどこへ行くのか?
タクシーに乗るたびに、ホールデンは「家鴨(あひる)」のことを訊いた。
「つかぬことをきくけど、もしかしたら君、あいつらが、あの家鴨がさ、池がみんな凍っちまったとき、どこへ行くか知らないかな?」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
タクシー運転手は、もちろん、少年にからかわれていると受け止めたことだろう。
しかし、それでもホールデンは執拗に「家鴨」の行き先を訊ね続けていた。
「うん、あそこに家鴨が泳いでいるよね? 春やなんかにさ。ひょっとしたら、君、あれが冬にはどこへ行くか知らないかな?」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンは、なぜ執拗に家鴨(あひる)にこだわり続けていたのだろうか?
② 凍りついた世界で生き続けている
セントラル・パークにある「凍りついた池」は、ホールデンが生きている、この世界である。
アリーが死んで以降、凍りついた世界で、ホールデンは生き続けていた。
が、そのうちようやく潟は見つかった。どうなっていたかというとだな、半分は凍って半分は凍ってないんだよ。しかし、家鴨の姿はどこにもなかった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
「半分は凍って半分は凍っていない湖」はホールデンが生きている世界であり、ホールデンが探している「家鴨」は、彼自身のメタファーである。
行き場のない自分の居場所を探すように、彼は「家鴨」の行方を探していたのだ。
③ 自分探しの物語
本作『ライ麦畑でつかまえて』は、主人公(ホールデン・コールフィールド)の自分探しの物語である。
「僕にある考えがあるんだけどね。どう、君、こんなとこからとび出したくないかい? 僕に考えがあるんだ」(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンはガールフレンド(サリー・ヘイズ)に、一緒にバンガローで暮らさないかと誘うが、しょせん俗物であるサリー・ヘイズが、ホールデンと一緒に街を出たりするはずがない。
そもそも彼女は「都会の生活」そのものの象徴として描かれているのだから。
クリスマス・シーズンのニューヨークをさまようホールデンの家出物語は、彼の自分探しの物語だった。
行き場のない彼は、結局どこにもたどりつくことができなかったけれど。
博物館の「ガラスケース」の意味
ニューヨークの街の中でも、ホールデンは自然科学博物館を愛していた。
① 少年時代の博物館
それは、ホールデンが、まだ子どもだった頃に、学校の先生に連れられて行った博物館だった。
あの博物館は大好きだった。今でも覚えてるけど、講堂へ行くには、インディアンの部屋を通り抜けて行かなきゃならなかった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
不良少年の家出物語に、なぜ「博物館」が必要だったのだろうか?
② 永遠に変わらないもの
ホールデンにとって「博物館」は、変わらないものの象徴である。
何一つ変わらないんだ。変わるのはただこっちの方さ。といっても、こっちが年をとるとかなんとか、そんなことを言ってんじゃない。(略)こっちがいつも同じではないという、それだけのことなんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
「変わらないこと」への執着の背景にあるのは、最愛の弟(アリー)の死だ。
ホールデンにとって「生きている」ことがすべてだった。
生きていることに対するこだわりが、この「博物館」にはある。
③ 現実世界の生きづらさ
もちろん、容易に生きていくことができるほど、現実世界は簡単なものではなかった。
ところがそこに腰を下ろしてるうちに僕は、気が狂いそうなほど腹の立つものを見ちゃったんだよ。誰かが壁に「オマンコショウ」って書いてあるんだな。これは頭に来ちゃったね。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
彼が「オマンコショウ」という落書きに激怒したのは、そこが子どもたちの集まる聖域だったからだ。
いつまでもイノセントなままでは生きていくことのできない現実世界の生きづらさが、この落書きには投影されていた。
割れた「レコード」の意味
ブロードウェイのレコード屋で、ホールデンは一枚のレコードを買った。
① エステル・フィッチャー『リトル・シャーリー・ビーンズ』
ホールデンが妹(フィービー)のために買ったレコードは、エステル・フィッチャーの『リトル・シャーリー・ビーンズ』だった。
『リトル・シャーリー・ビーンズ』っていうレコード、これを僕はフィービーに買ってやりたかったんだよ。(略)エステル・フィッチャーっていう黒人の女が二十年ぐらい前につくった、とっても古い、すごいレコードだった。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
『リトル・シャーリー・ビーンズ』は、ホールデンが生まれる前の時代に録音されたレコードで、ホールデンにとって重要な意味を持っている。
それは、決して失われてはならない「イノセンス」の象徴である。
② レコードはなぜ割れたのか?
しかし、大切なレコードは、セントラル・パークの池へ向かう途中で割れてしまった。
それから、ちょうど《公園》の中へ足をふみ入れたときだ、恐ろしいことが起こったんだ。フィービーにやるレコードを落っことしちまったんだよ。レコードは五十ばかしのかけらに割れちまってさ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
この時代のレコードは、割れにくい塩化ビニールではなく、シェル製のSPレコードだった。
彼の「生きづらさ」を示す「公園」で、彼はレコードを守り続けることができなかった。
アリーが死んで以降、彼にとって「イノセンス」は守り続けることが難しいものとなっていたのだ。
それは(割れたレコードは)、二度と取り戻すことのできない「思い出」の象徴だったのだ。
③ フィービーが受け入れる「かけら」
割れたレコードを、妹(フィービー)は優しく受け入れる。
「そのかけらをちょうだい」と、彼女は言った。「あたし、しまっておくわ」そう言って彼女は僕の手からそのかけらを受け取ると、それをナイト・テーブルの引き出しの中にしまったんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンにとって、フィービーは最後の砦だったと言っていい。
もちろん、誰にもフィービーの成長を止めることはできなかった。
それでも彼らは、互いのイノセンスを分かち合い、この生きづらい世の中を生き抜こうとしていた。
ナイト・テーブルの引き出しに保存されたレコードの欠片は、ホールデン(とアリー)の失われたイノセンスの欠片である。
物語の最後の場面で、回転木馬に乗ったフィービーが回り続けていたように、ホールデンもまた、失われたイノセンスの欠片を守り続けようとしていたのだ。
散りばめられた「イノセンス」の象徴
既に大人の仲間入りをしつつあるホールデンは、失われていく「イノセンス」へのこだわりを見せている。
① フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』
ホールデンにとって、フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』は、守り続けられるイノセンスの象徴である。
『偉大なギャツビー』なんか大好きなんだ。ギャツビーの奴、友達に呼びかけるときに「親友」とかなんとか言っちゃってさ。あれには参ったね。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
生涯ただ一人の女性(デイジー)だけを愛して死んだギャツビーは、まさしく「イノセンス」の象徴だった。
『グレート・ギャツビー』については、別記事「小川高義・訳『グレート・ギャッツビー』光文社古典新訳文庫で読むフィッツジェラルドの名作」で詳しく解説しているので、興味のある方はご参照いただきたい。
② 登場しない女性「ジェーン・ギャラハー」
幼なじみの女の子(ジェーン・ギャラハー)は、ホールデンにとってイノセンスなものの象徴として描かれている。
ストラドレーターと殴り合いの喧嘩になったのも、イノセントなジェーンが汚されることへの怒り故だった。
しかし、そんなジェーン・ギャラハーは、実際には一度も登場することがない。
途中、電話ボックスに入って、西部へヒッチハイクで出かける前に、ジェーン・ギャラハーに電話してもいいなとも思ったけど、どうにも気が進まなくてね。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
おそらくホールデンは、ジェーン・ギャラハーと繋がることはできない。
なぜなら彼は、既に大人の仲間入りをしつつあったからだ。
彼がデートできるのは俗物のガールフレンド(サリー・ヘイズ)であり、ありーが失われたのと同じように、ジェーン・ギャラハーもまた失われつつあったのだ。
③ 自殺した少年「ジェームズ・キャスル」
ホールデンの心の中には、アリーの他にも死んだ少年がいた。
エルクトン・ヒルズで知り合ったジェームズ・キャスルである。
それで僕も、バスローブをひっかけて階段を駆け下りてみると、石の段々の上にジェームズ・キャスルが倒れてたんだ。もう死んでてね(略)。彼は僕が貸してやったタートルネックのセーターを着ていたよ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
ホールデンのタートルネック・セーターを着て飛び降り自殺したジェームズ・キャスルも、やはり、ホールデンの化身として読むことができる。
朝食の席で一緒になった「二人の尼さん」とともに思いだされるジェームズ・キャスルは、失われていくホールデンその人だった。
エレベーターボーイ(モーリス)と若い娼婦(サニー)が、インチキな大人社会を象徴しているのと対照的に、彼らはホールデンの中にある(あった)「純粋なもの」を象徴している。
本作『ライ麦畑でつかまえて』では、次々と登場する物事を象徴的に読むことが求められる小説だった。
ハリウッドの兄「D.B」の意味
ホールデンにはハリウッドで活躍している兄(D.B)がいる。
①「D.B」はサリンジャーだった
ハリウッドで活躍する作家(D.B)は、作者(J.D.サリンジャー)その人である。
D.Bっていうのは僕の兄貴ってわけだけどさ。今、ハリウッドにいるんだ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
かつて『秘密の金魚』という優れた短編集を出したD.Bは、今、ハリウッドで映画の脚本を書いている。
インチキな俗社会の象徴であるハリウッドで働く彼は、インチキな大人たちの象徴でもあった。
② 大人になったホールデン
それは、ある意味で、大人になったホールデンの未来予想図とも言えた。
「興味ないね。アナポリス(海兵学校)だなんて。いったい、アナポリスのことなんか、D.Bは何を知ってるっていうんだい? アナポリスがD.Bの書くような短編とどんな関係がある?」僕はそう言った。いやあ、こういうことを聞かされると僕は頭に来ちゃうんだな。ハリウッドのチキショウメ。(J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝・訳)
憎悪の象徴と言っていい「ハリウッド」は、やがてホールデン自身が生きていかなければならない現実社会だ。
その「ハリウッド」で働く兄(D.B)の姿は、未来のホールデンの姿でもあったかもしれない。
③ 彼らは一人の人間の分身だった
コールフィールド家の三人の男の子たちを並べてみると、ひとつの傾向を読み取ることができる。
死んだ弟(アリー)は、永遠のイノセントの象徴であり、主人公(ホールデン)は大人へと変わりつつある少年、そして、兄(D.B)は大人になったかつての少年である。
おそらく、彼らは一人の人間の分身だったのだ
イノセンスを失いながら大人になっていく一人の人間の成長段階。
それが3人の登場人物として描かれている。
一人の人間とは、もちろん、作者であるJ.D.サリンジャー自身のことだっただろう。
まとめ│深読みのすすめ
本作『ライ麦畑でつかまえて』は、深読みが求められる文学作品である。
何も考えずに読み進めても、おそらく物語の意味を理解することはできない。
そこに、この小説の面白さがあり、難しさがある。
しかし、「探究」が尊いものとされる今の時代、『ライ麦畑でつかまえて』ほど楽しい小説も他にないのではないだろうか。
サリンジャーは、読者に「探究」を求めた作家である。
正解はどこにもないし、正解は無数にあるとも言える。
小説の中に登場するひとつひとつの言葉に意味を見出しながら読み進めていくこと。
それが『ライ麦畑でつかまえて』という小説の正しい読み方だったのではないだろうか。
物語り最大の謎は、もちろん「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルにあった。
