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ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」サリンジャーの歴史の教科書

ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」あらすじと感想と考察

ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」読了。

本作は、1999年(平成11年)に刊行されたJ.D.サリンジャーの評伝である。

原題は『Salinger : a biography』。

日本では、2003年(平成15年)、田中啓史の訳によってDHCから刊行された。

ロリータ趣味と隠遁生活

本書は、作家サリンジャーの生涯を網羅的に綴ったバイオグラフィーである。

その内容は、極めて俯瞰的・大局的であり、ひとつの「サリンジャー史」として完成されているものだ。

サリンジャーの歴史の教科書と言っていいくらい、サリンジャーの個人的な経歴がきちんとまとめられている。

一方で、このバイオグラフィーは、サリンジャーに好意を持つ人物によって制作されたものではない。

著者の視点は常にシニカルで批評家的であり、その割に内容は薄っぺらい印象を与える(エピソードの羅列が中心で、深い分析がないからだろうか)。

作品考察は、独創的な作品解釈が目立つものの大雑把な印象を拭えず、文学的な参考書としてはあまり使えないだろう。

つまり、本書『サリンジャーを追いかけて』は、職業的な伝記作家の手によって、ゴシップ的な関心から制作された商業的な伝記本だということだ。

これがサリンジャーが幼い女性を描いているときに問題となる点だった。つまり、彼女たちの年齢ではありえないような感情、むしろ成人の女性にこそふさわしい感情を、彼女たちに抱かせたがっているように思えたのだ。(ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」田中啓史・訳)

著者の関心は、サリンジャーの文学作品よりも、サリンジャーの私生活、とりわけ、サリンジャーの女性関係、それも幼い少女に対する性的偏愛(ロリータ趣味)に向いている。

サリンジャーの性的嗜好が、主として10代の少女たちに向けられていたという事実について、著者はもっと深く掘り下げたかったのではないだろうか。

もうひとつ、著者が、本書のテーマとしているのは、サリンジャーは、なぜ、隠遁生活を選んだのか?という大きな謎の解明である。

世間から身を隠し、以前と同様に隠遁生活にもどることによって、彼は確実に世間の人々を魅了しつづけてきた。新作の出版を拒否し、出版していない新作が手元にあることを人々に知らせて、すでに出版されている4冊の本の魅力をひきつづき確実なものにした。(ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」田中啓史・訳)

サリンジャーは、有名になりたくないことで有名になった。

そして、それが、サリンジャーの巧妙な人生設計だった、というのが、著者の結論だ。

ヒュルゲルトンの森とコーニッシュの森

本書の評価はともかく、俯瞰的にサリンジャーの生涯を見たとき、サリンジャーの人生を大きく左右する転機が二つあったことに気づく。

ひとつは、1944年(昭和19年)の「ヒュルゲルトンの森」に象徴される悲惨な戦争体験であり、もうひとつは、1953年(昭和28年)のコーニッシュの森への転居、つまり、本格的な隠遁生活の始まりである。

そして、真に文学史的な意味で注目しなければならないのは、やはり、第二次大戦が作家に与えた影響だった。

サリンジャーがいやというほど見てきた残酷な戦いが、あきらかに戦争と軍隊にたいする考え方、描き方そのものを変えてしまっていた。戦争と軍隊にたいする彼のロマンチックな考え方は、彼が目撃した死、苦痛、破壊というみじめな現実によって壊滅したのだ。(ポール・アレクサンダー「サリンジャーを追いかけて」田中啓史・訳)

1945年3月『サタデー・イヴニング・ポスト』に発表された「フランスまで来た新兵」で、サリンジャーは、それまでの作風とは明らかに異なる軍隊ものの物語を描いている。

戦争のPTSDは、サリンジャーがその後に執筆する多くの作品に、多大な影響を与えた。

むしろ、その後のサリンジャーは、戦争のトラウマから逃れるために、小説を書き続けていたのではないかと思われるくらいだ。

もっとも、こうした文学的な考察は、本書の持つ本来的な役割ではない(そこに本書から与えられるストレスもある)。

本作『サリンジャーを追いかけて』は、サリンジャー史を紐解く上での入門書として、大きな力を発揮してくれるだろう。

書名:サリンジャーを追いかけて
著者:ポール・アレクサンダー
訳者:田中啓史
発行:2003/10/26
出版社:DHC

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。