『十和田操作品集』(冬樹社)の巻末に、庄野潤三が「十和田操覚え書」という作家案内を寄せている。
この作家案内は、庄野さんの作品集には収録されていないようなので、ここに書き留めておきたい。
初めに、本書は昭和45年(1970年)3月に刊行された、小説家・十和田操の作品集である。
全部で31篇の短篇小説が収録されており、この十和田作品の醍醐味について、十和田文学の最も良き理解者の一人であった庄野さんが、愛情の籠った作家案内とも作品解説も言うべき文章を寄せている。
ちなみに、庄野さんの『ザボンの花』があかね書房「少年少女日本文学」シリーズから刊行された際に、巻末の「人と作品」を書いたのが十和田操だった。
さて、本書『十和田操作品集』に収録された「十和田操覚え書」における庄野さんの解説は、非常に丁寧で、作家とその作品に対する愛情が全面に現れている。
十和田操の作品を読んだことがなくとも、庄野さんの「十和田操覚え書」を読んだだけで、十和田操という作家に対する興味がふつふつと湧いてくるような仕掛けがある。
例えば、庄野さんは「戸の前で」という短篇小説の中に出てくる「ガミガム、ガミガム戸を叩き」とか「ゴト、ゴト、ゴトンと呟き、ビリ、ビリ、ビリと震え、シャガ、シャガ、シャガと鳴る」などといった表現を引用して、「最初のガミガムで先ずびっくりさせておいて、すぐそのあとに次が待っている。油断も隙もない、と云った感じであり、実際、防ぎようはないのである」「これはもう擬声語(オノマトベ)といったものではない」「この人は、手軽にありきたりの擬声語を用いて事を済ますのではない。手間を省くのではなく、反対に手間をかけるのである」「それは音というよりももっとこまやかなものであり、詩行のひらめきに近い性質を持っている」と指摘した後で、「「戸の前で」を書く時、作者はガミガムという言葉を捉えた瞬間、もうこの短篇小説に成功していたと云っても、云い過ぎではあるまい」と、この作品に対する最高の賛辞を綴っている。
「戸の前で」という作品については、庄野さんの敬愛すべき英文学者であった福原麟太郎さんの随筆「読書日記」からの長い引用もあり、「「戸の前で」という短篇を読む。これははじめて読むのだが、その構成にも思想にも精緻な照応があって計算されており、これは見事なものだと感服した」という福原さんの感想は、十和田文学の応援者たる庄野さんにとっても、さぞ勇気付けられる激励となったのではないだろうか。
「十和田操覚え書」では、十和田文学に対する庄野さんの敬意が惜し気もなく披露されているが、その最大級のものが一番最後に収められた長い長い一文である。
私は、まだこの他にも「葡萄園」に出した三作目の小説「饒舌家ズボン氏の話」がたまたま泉鏡花の目にとまって推賞を受けたこと、客嫌いで有名な鏡花が十和田さんの数度にわたる訪問の度にすこぶる打ちとけて話をしたこと、坐って煙管を持っているところと云い、小柄なことろと云い、十和田さんのお父さんとそっくりで、生れ年まで同じ明治六年と分って一層不思議な気持がしたこと、田舎へ手紙で云って鏡花先生のところへ飛騨の甘魚(ヤマメのこと)を一籠送ったが、食べたかどうか分らないこと、鏡花は土俗的な話が好きで、自分でいろいろ想像をまじえてふくらませて行く、美しいものをつくり上げてゆく、要するに詩人だと十和田さんは云うが、そう云う十和田さん自身にもその批評は当てはまらないことはないと思うこと、更に十和田さんの童話にいいものがあり、この集に収録されなかったのは惜しいこと、昭和三十五年に東光出版社から出た『トルストイ童話』がいい本で、私は子供よりも先に読み、殊に「ふたりのおじいさん」という民話に深い感銘を覚えたのは、トルストイの書いた物語が、十和田さんの理解力、感受性を通してもう一回新しい芸術的生命を得たからであり、この人の文学の源泉がそういうところにも隠されているかも知れないこと、「屋根裏出身」に登場するお八重さんは、日本文学の中で最も愛すべき女性の一人に数えてもいいのではないかということ、十和田さんは人差指くらいの紅葉のひこ生えを旅先から持って帰って、いまのお家の小さな裏庭で、何べんか雪に折られながら二十五年もかかって塀より高く育てたことなど、書きとめたいことは残っているが、これで終りにしたい。(庄野潤三「十和田操覚え書」)
この長い一文を読んだだけで、庄野さんがどれほど十和田文学を愛していたかということが、伝わってくるだろう。
書名:十和田操作品集「十和田操覚え書」
著者:庄野潤三
発行:1970/3/20
出版社:冬樹社