庄野潤三「道」読了。
妻の目線から描かれた夫婦小説である。
「私」は、小川ベーカリイで事務員として働いていたとき、パン職人であった今の夫と結婚をした。
二人に結婚を勧めてくれたのは、小川ベーカリイの主人だったのだが、実は「私」とパン屋の主人との間には、秘密の肉体関係があった。
今の主人との結婚が決まった後も、パン屋の主人との不倫関係は続けられ、今の夫との結婚を機に、不倫関係は自然に終わる。
ところが、結婚した後になって、夫は二人の不倫関係についての噂をあちこちで聞かされ、「私」はとうとうパン屋の主人との不倫を認めてしまう。
「お店の主人は好きでした。しかし、好きなことはどんなに好きでも、一緒に暮したいとは決して思いません。一緒に暮すのなら、今の主人の方がいいのです」
夫は離婚すると主張するが、妻が強硬に反対して、二人の結婚生活は続いていくことになるのだが、一度、大きくひび割れた夫婦関係を続けていくことは、決して簡単なことではない。
夫は、現在も小川ベーカリイの主人と妻との間に、不倫の関係があるのではないか、いつか二人の仲が復活するのではないかと疑っているし、妻には夫を裏切っていた弱みがあるから、夫に対して強く言うことができない。
しまいには、お店の主人がそんなに好きなら一緒に死んでしまえとか、殺してやると言い出しました。ふだんがおとなしい人であるだけに、私も恐くなりました。(略)悪いのは私で、あんなことさえしなかったら、こんなに云われることもないのにと思うと、私の眼からみるみる泪がこぼれ落ちました。(庄野潤三「道」)
お互いに決定的な亀裂を生まないように気を使いながら、不安定な結婚生活を続けていく様子が、日常生活のスケッチを通して子細に綴られているが、初期の庄野さんは、こうした「不安定な夫婦関係」を好んで描いた。
行く末が分からない不安定な夫婦生活の物語の作品名を「道」としているのは、人生が決して平坦ではなく、多くの選択肢(分れ道)と出会うものであることを示唆しているのだろう。
幾度も離婚の危機に瀕しながら夫婦生活を続けていく二人の様子は、傍から見ていてもハラハラするほどだが、逆に言うと、二人の関係は大きな亀裂を抱えたままで何とか日々を乗り切っていく。
夫婦関係は強いものなのか、もろいものなのか、その辺りがよく分からない、極めて微妙で不安定な関係を克明に描き出しているという点で、この作品は優れた物語だと言うことができると感じた。
「君のことは僕が責任を持つ」と言ってのける不倫相手の男
夫が離婚を切り出したとき、小川ベーカリイの主人(妻の不倫相手)は、「これは僕の責任だから、もし君が別れるんだったら、別れてしまいなさい。君のことは僕が責任を持つ」と、「私」に言い聞かせる場面がある。
奥さんと別れて自分と一緒になるのか、それとも、自分の家庭はそのままにしておいて、自分を二号さんにするつもりなのか、「私」は思い悩むが、そもそも小川ベーカリイの経営は苦しくなっていて、離婚だの二号さんだの言っている余裕はないはずなのだが。
「君のことは僕が責任を持つ」と安易に言ってのける小川ベーカリイの主人のいい加減な姿勢には、「私」が長く不倫関係を続けていた相手の男の人間性がよく現れているし、そうしたつまらない男と不倫関係にあったという事実は、「私」という女性の人間性さえも映し出してしまう。
もちろん、そうしたつまらない存在が人間というものなのだという前提が、この小説の根底にはある(いつまでも煮え切らない態度を取り続けている夫も同じだろう)。
描かれることのない二人の「道」の行く末は、果たしてどこまで続いていくのだろうか。
作品名:道
著者:庄野潤三
初出:新潮(1964/4)