庄野潤三の『明夫と良二』(1972)は「盆踊りの晩」で終わる。
七時になったが、盆踊りの始まる気配はなかった。何も聞えて来ない。「レコード鳴らないぞ」(庄野潤三「明夫と良二」)
古き良き昭和の家族小説である『明夫と良二』の中で、盆踊りは地域の楽しいイベントして描かれている。
どこの町内会でも盆踊りはあったから、お盆の晩ともなればあちこちで盆踊りの音楽が聴こえてきたことだろう。
令和の時代になっても、盆踊りという風習は廃れていない。
8月13日(木)の夜、盆踊りの音楽に誘われて、山鼻どんぐり公園まで出かけてみた。
山鼻どんぐり公園の夏休み盆踊り大会
子どもたちが太鼓を叩いている。
やぐらの周りで輪になって踊っているのも、子どもたちが中心らしい。
時刻は、もう20時を過ぎていたが、どんぐり公園の盆踊りは、あくまでも子どもたちが主役である。
公園の隅では、町内会の露店が焼き鳥を焼いている。
調理されたやきそばが、山のように積まれている。
わたがしを売っている本格的な夜店もある。
ここは完全にお祭り会場だ。
昭和の時代、子どもたちは、こんな地域の盆踊り大会を楽しみにしていた。
早朝のラジオ体操と同じように、盆踊り大会は地元の子どもたちが集う、貴重な機会でもあった。
陽が沈んでから出会う友だちの顔は、いつもとは違うように見えた。
あの頃と同じような輝きが、盆踊り大会にはある。
こんな地域のイベントは、いつまでも消えないでいてほしいものだ。
さっぽろ夏まつり「北海盆踊り」
一方、大通公園では観光客を交えた盆踊り大会が、盛大に盛りあがっていた。
札幌中心部である大通公園の盆踊りは、既に地域のイベントではなかった。
これは、外国人観光客(いわゆるインバウンド)の誘客を目的とした観光イベントである。
実際、会場には多くの外国人観光客が集まっていた。
生唄が披露される大通公園の盆踊りは、実にゴージャスなものだ。
観光客のために浴衣の貸し出しプランも用意されているなど、旅行者のための企画も充実している。
日本の伝統文化を体験できる旅行コンテンツとして、外国人観光客に盆踊りは魅力的なイベントだろう。
つまり、観光客用イベントとしての盆踊りには将来性がある、ということだ。
もはや盆踊りも、観光化されることで何とか持続されていくという、そんな伝統文化になりつつあるのかもしれない。
まとめ│変わりつつある時代の中で
庄野潤三の『明夫と良二』の中で、主人公の井村一家は、五人家族が揃って盆踊りへと出かける。
七時を十分ほど過ぎると、風の合間に最初のレコードの音が聞えた。それは、まるで強い風に吹き飛ばされるように、ちょっと聞えて、すぐにやんでしまった。(庄野潤三「明夫と良二」)
盆踊りが当たり前のように日常生活の中にあった時代。
庄野潤三は、そんな「当たり前の日常」を執拗に描き続けた。
もしかすると、彼は知っていたのかもしれない。
そんな「当たり前の日常」が、いつか「当たり前」ではなくなってしまう日が来ることを。
変わりつつある時代の中で、僕たちは「盆踊りの今」を見つめていた。
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古き良き昭和時代の暮らしを描いた小説『明夫と良二』については、次の記事で詳しく解説しています。
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