庄野潤三「流木」読了。
舞台は昭和25年。
主人公の「沼四郎」は、阪神間の私立大学で、劇研究会の部長を務めている。
新入生の「真柄涼子」が入部してきたのは、彼が四年生に進んだ四月の初めのことだった。
演劇にすべての情熱を傾け、強いリーダーシップを発揮する沼の指導は厳しかった。
新学期の始めに四十人以上いた部員が、夏になる頃には十人以上も辞めていったのは、沼の指導の厳しさによるものだったのである。
その夏、劇研究会は、小豆島へ恒例の地方公演に出かけた。
公演の夜、偶然に涼子が着替える場面を見てしまった沼は、涼子の固い果実のような乳房を見た瞬間、心の中に潜んでいた涼子に対する愛を呼び覚ます。
公演が終わった日の午後、海で遊んでいた部員が危うく遭難しかけたときに、沼は持ち前のリーダーシップを発揮して危難を救うが、この事件が、沼と涼子とを強く結びつけた。
その夜、二人は初めての接吻を交わし、愛し合うようになる。
しかし、演劇に集中したい沼は、劇研究会の部長の任期が終わるまで、涼子との交際を公のものにしようとはしなかった。
二人が正式に交際を始めたのは、最後の冬休みが終わった後のことで、沼は涼子の両親に紹介され、頻繁に彼女の家を訪れるようになる。
仲間たちとスキー旅行へ出かけた夜、沼は涼子と結ばれた。
沼が焦り始めたのは、卒業式が近くなった頃のことである。
大学を卒業しても就職せずに、東京で演劇を続けたいという沼の希望は、両親の理解を得ることができず、涼子の両親たちも彼の就職先が決まらないことを不満に思う様子を示すようになった。
涼子でさえ「沼さん、あなた将来どうするつもりなの?」「お願いだから、早く、どこでもいいから就職して頂戴」と、沼の就職を促すほどだった。
しかし、就職先を見つけるでもなく、沼は大学を卒業してしまい、毎日をブラブラして過ごすようになる。
劇研究会では猛烈なリーダーシップを発揮していた沼も、卒業後はすっかりと自信をなくし、やがて、涼子の心が少しずつ離れていっていることを意識するようになった。
去りゆく涼子の心を引き戻そうと、沼は無様な姿をさらけ出しながらも涼子に近づこうとするが、意識的に沼を遠ざけようとする涼子と話し合う機会はなかった。
涼子から正式に別れの手紙を受け取った数日後、沼は酒と一緒に睡眠薬を飲み、橋の上から飛び降りた。
川の流れの中で、沼は自分の体が海へ向かって流れていくのを感じていた。
いつかはうまくゆかないときが来るかもしれないという自戒
本作は、昭和28年12月、「群像」に発表された短篇小説である。
芥川賞候補作となったが、残念ながら受賞には至らなかった。
作品集としては、第一創作集である『愛撫』に収録されている。
本作は、一年生の女子学生・真柄涼子と恋愛するようになった、劇研究会の部長・沼四郎の栄華と没落を描いた青春小説である。
演劇では、部員たちに尊敬されるリーダーだった沼が、大学を卒業後にきちんと就職しなかったことから、毎日をブラブラして過ごす身となり、やがて、涼子を含めた後輩たちから軽蔑される存在へと変わっていく。
酒と睡眠薬を飲んで川の流れの中に飛び込んだ沼の体が、浮き沈みしながら海へと押し流されてゆく様子は、あたかも沼の青春そのものを暗示しているかのようだ。
結局、沼は死ぬことができず、流木と一緒に海岸に打ち上げられているところで目を覚ますのだが、人間の営みは、まるでこの流木みたいなものだという、著者の強いメッセージを感じる。
それは、何もかもがうまく進んでいるときにも、いつかはうまくゆかないときが来るかもしれないという、著者の自戒のようなものであったのかもしれない。
作品:流木
著者:庄野潤三
初出:群像(昭和28年12月)