有島武郎旧邸を訪ねて|大正モダンの洋館に眠る、教授が愛した札幌の記憶
札幌芸術の森に「有島武郎旧邸」がある。
東京生まれの有島武郎は、今や札幌を代表する作家と言っていい。
豪華な邸宅は、今、芸術の森の一隅に、静かな資料館として活用されている。
数奇な運命をたどった「有島武郎旧邸」
有島武郎は学生時代と教員時代の二回、札で暮らしている。
妻・安子と家庭をもった教員時代には、札市内に自宅も建てた。
現在、札幌市内には有島武郎の住宅2軒が保存されている。
一軒は菊水の豊平川沿いにあった小さな住宅で、現在は北海道開拓の村に移築されているもの。
もう一軒が現在札幌芸術の森で保存されている、この「有島武郎日部」だ。
もともと、この建物は北海道大学前に建てられていたが、有島の帰京後は東区へと移され、その後、現在地である札魄芸術の森へと移築された。
有島武郎と同様に数奇な運命をたどることになる。
マンサード屋根が印象的な豪華な洋館
最初、この建物は、1913年(大正2年)に、北区北12条西3丁目に建てられた。
住宅跡地には、現在「有島武郎邸跡」の記念碑が建立されている。
菊水の小さな住宅に比べ、こちらの邸宅はマンサード屋根が印象的な豪華な洋館で、札幌に永住しようとした有島の強い決意が伝わってくる。
ゴージャスな教授邸は、当然、地元の話題にもなったらしい。
新築は妙なぬえ式のものと相成候得共田舎の事とて新聞にまで歌われ候事気はずかしき極みに御座候。建具ががたつかず冬寒からぬ丈には相成候事と存居候。(有島武郎より有島壬生馬夫妻宛て書簡より、1913/7/31付け)
有島一家が、この新築邸へ入居したのは、1913年(大正2年)8月10日。
当時の有島武郎は東北帝国大学農科大学(元・札幌農学校、現在の北海道大学)の教授で、妻・安子の病気治療のために帰京することがなければ、あるいは、有島武郎は、この札幌の住宅で最期を迎えていたのかもしれない。
名作短篇「お末の死」は、このマンサード屋根の洋館で執筆された作品だった。
「大学村の森」の寮だった時代
1914年(大正3年)、有島武郎が札幌を離れた後、この建物は親友・森本厚吉の手に委ねられた。
森本厚吉は、札幌農学校における有島武郎の友人で、学生時代、一緒に本を出版したこともある(『リビングストン伝』)。
有島武郎が信頼する、絶対的な親友だった。
その後、農林中央金庫札幌支所の「有島寮」として活用された後、この建物は、1959年(昭和34年)に北海道大学へと寄贈され、東区北28年東3丁目へと移築される。
現在「大学村の森」と呼ばれているエリアで、かつては北海道大学第3農場があった。
その後しばらく、職員集会所や独身男子職員寮、大学院生寮として使われていたものの、1983年(昭和58年)、寮の廃止とともに取り壊しの危機が訪れる。
保存活動を求める市民運動を経て、現在地である札幌芸術の森へと移築されたのは、1986年(昭和61年)のことだった。
有島武郎の功績を伝える記念館
現在「有島武郎旧邸」は、有島武郎の功績を伝える記念館として活用されている。
入場無料だが、駐車場利用料(1日500円)が必要となるため、この旧邸だけを目的として訪れる札幌市民は少ないようだ。
それでも、札幌旅行のついでに立ち寄る観光客は後を絶たないらしく、旧邸内には案内人が配置されていて、邸内のガイドを務めている。
貴重な資料を展示するというより、ここは有島武郎の功績を知ってもらうための案内所(記念館)と言っていいだろう。
大正時代に建てられた歴史的建造物の中で、時の流れはまるで止まっているかのようであり、静かに有島武郎の人生と向き合うことができる。
まとめ|札幌の歴史に包まれて
札幌芸術の森は、自然豊かな野外美術館である。
その一画にあって有島武郎日邸は、緑の街々に輝いて見える。
札幌らしさを楽しむという意味で、有島武郎日邸は実に素晴らしいスポットだ。
美しい自然と大正モダンな歴史的洋館、有島武郎という作家の人生。
有島武郎もその旧邸も決して平坦な人生ではなかったけれど、札幌に残した足跡は小さくなかった。
今、僕たちは「有島武郎旧邸」という洋館の中で、札幌の歴史に触れることができる。
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