村上春樹の『ファミリー・アフェア』は、価値観の不確かさを描いた短編小説である。

なぜ、妹の結婚が「不確かな価値観」に繋がっていくのか?

この記事では『ファミリー・アフェア』のあらすじを整理するとともに、象徴としての「妹の結婚」と「婚約者・渡辺昇」について、独自の視点から考察していきたい。

3行でわかる『ファミリー・アフェア』

日常(兄妹の気楽なモラトリアム)
東京のマンションで気ままな同居生活を送る「僕」と妹。他人に干渉されない適度な距離感と、心地よい日常の平穏を保ちながら暮らしている。

事件(健康すぎる婚約者の侵入)
妹が突然、結婚相手として善良で実直な男「渡辺昇」を連れてくるが、「僕」はどうしても彼の無邪気で健康的な善人ぶりに馴染めず困惑する。

結末(モラトリアムの終焉と受容)
妹が家を出ていく寂しさと割り切れなさを噛み締めながらも、「僕」は二人の関係を祝福し、ひとりで大人の現実へ足を踏み出す。

『ファミリー・アフェア』簡単なあらすじ(ネタバレ要約)

東京のマンションで二人暮らしをしている「僕」(27歳)と妹(23歳)。適度な距離感を保ちながら気ままな共同生活を送っていた二人のもとへ、ある日妹の婚約者が現れた。24歳のコンピューター・エンジニア「渡辺昇(ワタナベ・ノボル)」である。

渡辺昇は善良で、真面目で、礼儀正しい非の打ち所のない好青年だったが、皮肉っぽく斜に構えて生きている「僕」にとって、彼の屈託のなさや「絵に描いたような健全さ」はどうにも居心地が悪く、打ち解けることができない。悪人ではないからこそ拒絶もできず、「僕」は妹がなぜ彼を選んだのか理解できずに苛立ちを募らせていく。

妹と言い争いになりながらも、やがて「僕」は二人の結婚が避けられない現実であることを受け容れる。妹が去り、気楽だった同居生活(モラトリアム)が終わる寂しさを抱えながら、「僕」は義弟となる渡辺昇とともに、新たな日常を引き受けようとしていた。

【解説】村上春樹的な主人公像の魅力

本作『ファミリー・アフェア』は、1985年(昭和60年)の女性ファッション誌『LEE』に発表された短編小説である。

趣味の悪いジョークの好きな「僕」は、いかにも(1980年代の)村上春樹的な人物造型によって生まれた主人公像だった。

『ファミリー・アフェア』が好きだという読者のほとんどは、この主人公の生き方に惹かれているのではないだろうか。

「でも、最近になって、こういうのは本当の生活じゃないと思うようになったの。なんていうか、生活の実体というものが感じられないのね」(村上春樹「ファミリー・アフェア」)

こうした主人公像は、やがて、長編『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)へと受け継がれていく。

一方で、妹の婚約者・渡辺昇は、主人公とは異なる価値観を持った若者で、そのことが主人公の日常を大きく変える予感を感じさせている。

この渡辺昇と主人公との(物語的な)対立は、本作『ファミリー・アフェア』の大きなプロットとなっている。

なぜなら、渡辺昇の登場によって脅かされるものが、主人公の価値観だったからだ。

それにしても、「妹」が登場する小説は、家族小説の少ない村上春樹の小説としては珍しい作品である。

なぜ『ファミリー・アフェア』には、「妹」が登場しているのだろうか?

【考察】妹と渡辺昇の結婚が意味するものとは?

①『象の消滅』との共通点

本作『ファミリー・アフェア』のテーマは、変容する価値観の中で揺らぐ自己存在への不安である。

そういう意味で、この作品は、同時期に発表された短編『象の消滅』(1985)に似ているかもしれない。

なぜなら、この二つの作品に共通するテーマこそ、「不確かな価値観」だったからだ。

妹の婚約者・渡辺昇の登場によって明らかとなるのは、主人公が持つ「価値観の不確かさ」である。

本来「妹」は、「僕」と価値観を共有することのできる「こちら側の人間」だったはずだ。

ある意味で「妹と僕」は、同じ価値観の上で生きる共同体だったのだ。

ところが、渡辺昇の登場によって、妹の価値観が大きく揺らいだとき、それは「僕」の価値観にまで大きな影響を与えようとしていた。

『象の消滅』に置き換えたとき、「象」は妹であり、「僕」は「象の飼育係」ということになる。

「妹」は「象」のように第三者的な存在ではないから、「僕」に与える直接的な影響は大きかった。

「僕」の苛立ちは、第三者の介入によってあっけなく崩壊してしまう、自己存在への不安だったと言っていい。

②「僕」の分身としての「妹」

この作品に「妹」が登場しているのは、主人公と同じ価値観を共有する存在が「妹」だったからだ(なにしろ、妹が生まれたときから二人は一緒だった)。

その意味で、「妹」には「僕」の分身的な役割が与えられている。

その「妹」の価値観が揺らぐことは、「僕」にとって大きな問題だった(「正直なところ、僕はがっかりしていたのだと思う」)。

それまで、自分の価値観を絶対的なものだと信じていた「僕」は、それがあまりに不確かなものであることを知って、大きな不安に襲われている。

彼は彼自身の存在意義としての「女性との性行為」に安らぎを求めるが、そんなところに本当の安らぎがあるはずもない。

共同体である「妹」との分裂は、やがて「僕」に大きな決断をうながしていった(「どこかでやめなくちゃいけないんだろうけど、自分でもきっかけがつかめないんだ」)。

③ メタファーとしての「渡辺昇」

彼らに価値観の変容を促しているのは、「コンピューター技師」の渡辺昇である。

時代の先端で働く渡辺昇は、おそらく新しい80年代という時代の象徴だった。

古い価値観と新しい価値観とのせめぎあいは、「僕」と「渡辺昇」との対立という形で可視化されていく。

いわば、「渡辺昇」という80年代的でスマートな生き方に、「僕」は嫌でも向き合わざるを得なくなったのだ。

「熱中しなくてもいいんだ」と僕は言った。「どうせ他人のやってることなんだから」(村上春樹「ファミリー・アフェア」)

デタッチメントと呼ばれる「かかわらない生き方」に、「僕」は限界を感じていたはずだ。

渡辺昇の買ってきた「はんだごて」は、コミットメントと呼ばれる新しい生き方を暗示している。

新しい時代への予感──。

そこに、この物語の伝える大きなメッセージがあったのではないだろうか。

まとめ│変わりゆく時代の中で

本作『ファミリー・アフェア』が描いているのは、変わりゆく時代の中で生きていくことの難しさである。

人は誰も自分の価値観だけに固執して生きていくことはできない。

なぜなら、他者との調和を図りながら生きていくことが、現代人には求められているからだ。

「僕と妹」という二人の暮らしは、「渡辺昇」の登場によって、あっという間に崩壊してしまった。

「パン屋再襲撃」「象の消滅」「ファミリー・アフェア」と続く短編三部作の中で、確かに作者は新しい時代と向き合っていたらしい。

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本作を収録した短編集『パン屋再襲撃』については、次の記事で詳しく解説しています。

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