随筆とエッセイの違いとは?語源と歴史から文学的境界線を徹底考察
随筆とエッセイの違いについて、最近は議論されることも少なくなった。
本来、随筆とエッセイは、明確に区別されるべきものだったのだが。
この記事では、随筆とエッセイの違いについて、その歴史も踏まえながら考察していきたい。
【要約】随筆とエッセイの違い
随筆
小説や戯曲などのジャンルに入りにくい散文の総称。雑文や学者の記録まで含む。日本オリジナルの考え方で、英語では「エッセイ(essay)」よりも「ノート(notes)」や「雑記(miscellany)」に近いニュアンスを持つ。
エッセイ
文学におけるひとつのジャンルで、作者による「主張」や「批判」が含まれている。フランスやイギリスで生まれ、特にイギリスでは「おとなの文学」として、小説と並ぶ重要な文学ジャンルとなった。
【解説】「随筆」の特徴
もともと「随筆」は、日本オリジナルの考え方だった。
日本最初の随筆文学である『枕草子』(1002)をはじめ、『方丈記』(1212)や『徒然草』(1349)は、日本の三大随筆と言われている。
以降、一貫した統一のもとに構成されていない文章を、次第に「随筆」とみなすようになった(佐久間保明『文学の教室』)。
江戸時代には「考証随筆」のほか、様々な雑文が「随筆」として庶民の間にも広まっていく。
近代以降、随筆人気は高まり、随筆専門の雑誌が生まれるまでになった。
【解説】「エッセイ」の特徴
一方、エッセイは、フランスのモンテーニュ『随想録』(1580)が、その始まりとされ、イギリスではフランシス・ベイコン『随想録』(1597)以降、エッセイ文学が発展した。
チャールズ・ラムの『エリア随筆』(1823)は、イギリスにおけるエッセイ文学の最高峰と言われている。
日本では、明治以降、イギリスから「エッセイ文学」の輸入が始まり、日本語による「エッセイ」も発表され始めた。
夏目漱石『硝子戸の中』や内田百閒『百鬼園随筆』などは特に有名で、岡倉由三郎や平田禿木、戸川秋骨などの英文学者たちによるエッセイも盛んになった。
「随筆」と「エッセイ」の混同
ところが「エッセイ文学」が市民の人気になる頃、従来の「随筆」を「エッセイ」と混同する動きが出てくる。
1933年(昭和8年)、平田禿木は「エッセイと随筆」というタイトルの文章を発表した。
今こちらでいう「随筆」なるものは、エッセイ材料であって、エッセイそのものではないように思われる。(略)こちらの雑筆、随筆の材が芸術という溶炉をくぐって来たものがエッセイであろうけれど(略)(平田禿木「エッセイと随筆」)
平田禿木は「一篇を読み終わってもまだ何か読みおえた気のしないのが、真のエッセイの味でなければならない」と指摘している。
また、「イギリスの随筆」(1937)においても平田禿木は、「随筆」と「エッセイ」の違いについて強調している。
エッセイと随筆と、今日こちらではほとんど同じもののようになっているが、実は大分にその趣が違う。(平田禿木「イギリスの随筆」)
随筆は「実話雑筆」であり、エッセイは「文学上の小品」というのが、平田禿木の強い主張だった。
しかし、随筆とエッセイとの混同は、戦後になってますます進んだ。
平田禿木の流れをくむ英文学者・福原麟太郎は、1953年(昭和28年)、「随筆について」という文章を発表している。
だが随筆というものは、そう思われているよりは、もっと文学作品のはずだと思う。(略)いま日本に流行している随筆は、総じて、時評的なものか、そうでなければ露悪的な、あばずれたものである。(福原麟太郎「随筆について」)
結局、日本型の「随筆」に飲みこまれた「エッセイ」は、小説よりも気軽に読むことのできる雑文のような立ち位置になってしまった。
「おとなの文学」であるイギリス流のエッセイは、日本では定着しなかったのだ。
日本に残ったエッセイ文学
それでも、イギリス文学に影響を受けた作家を中心に、イギリス流のエッセイは、しぶとく生き残り続けた。
多くの随筆作品を遺したことでも知られる井伏鱒二は、日本におけるエッセイ文学の第一人者と言っていい。
また、井伏鱒二の流れをくむ庄野潤三や小沼丹も、井伏鱒二同様にエッセイを愛した文学者たちである。
庄野潤三は、福原麟太郎のエッセイを高く評価していた。
庄野「こういうふうな随筆は、それまでの日本の随筆というものとはまた違う、新しいもので、これはやはり福原さんの学んでこられたイギリスのエッセイを、日本の文章に移し植えて(略)根づかせたものじゃないかというふうに思うんですけれども」(福原麟太郎・庄野潤三「瑣末事の文学」)
庄野潤三も、イギリス流の「エッセイ」に、強いこだわりを持つ作家だった。
庄野「いまのジャーナリズムで、随筆の注文がある場合に、肩の凝らないもので、四枚書いてくださいとか、五枚書いてくださいとか、よくいわれます」福原「軽いものでいいって言っても、軽いっていうわけにはいかない。たかが三枚でもね」(福原麟太郎・庄野潤三「瑣末事の文学」)
庄野潤三は「枚数は短くても、ほんとうに短編小説をひとつ書くのと変りがないエネルギーを要すると思うんです、そういう随筆には」とも、主張している。
結局、エッセイ文学の定着しなかった日本で、井伏鱒二や庄野潤三は「随筆のような小説」を書くことで、読者の支持を得ることに成功した。
エッセイが小説と並ぶ文学ジャンルだったイギリスと違って、日本における「随筆」は文学作品ではない「軽い読み物」とみなされていたためだ。
エッセイという言葉は、日本流の随筆をカッコよく飾るための言葉として変換されてしまったのである。
まとめ│本物の「エッセイ」を読みたい方へ
端的にまとめると、日本流の「随筆」は文学作品の枠には入らず、イギリス流の「エッセイ」は小説と並ぶ、ひとつの文学ジャンルだったということだ。
ただし、日本流の随筆にも「エッセイ」という言葉が使われるようになって、今は「エッセイ」そのものが「軽い読み物」の総称となってしまった。
随筆とエッセイとの違いなんて、今ではなくなってしまっているのだ。
大切なことは「もともと随筆とエッセイとは違うものだった」ということを、しっかり認識しておくべきだということである。
軽い読み物のエッセイと、文学作品としてのエッセイとではまったく違う。
文学ブログ『時空標本』では、文学作品としてのエッセイ(随筆)の紹介に力を入れているので、興味のある方は、次の記事からご確認いただきたい。
▶ 大人のための随筆(エッセイ)案内|教養ある大人が嗜むべき名作の歩き方ガイド
