夏目漱石『夢十夜(第三夜)』考察|盲目の子と「文化五年」が示す罪の正体
夏目漱石『夢十夜』のうち「第三夜」は、心に抱える闇を描いた物語である。
主人公が抱える「闇」とは、いったいどのようなものだったのか?
この記事では、『夢十夜(第三夜)』のあらすじを整理した上で、この物語が伝えている主題について考察していきたい。
3行でわかる『夢十夜(第三夜)』
日常(異様な我が子)
六歳になる盲目の我が子をおぶって夜道を進む男は、背中から発せられる不気味な言葉や態度に言い知れぬ恐ろしさを募らせる。
事件(重加する罪)
こちらの内心を見透かしたように語る子は次第に石のように重くなり、男は導かれるように暗い森の大きな杉の木の根元へ追い詰められる。
結末(過去の告発と悟り)
「お前が俺を殺したのはちょうど百年前の文化五年だったな」と告げられた瞬間、男はかつて自分が犯した殺人の因果を悟り、罪の重さに押し潰される。
『夢十夜(第三夜)』あらすじとポイント
「第三夜」あらすじ要約
六歳になる生まれつき盲目の我が子をおぶって、暗い田圃道から森へと歩いている「自分」。親子の情愛があるはずなのに、背中の子はなぜか一切を悟りきったような冷ややかな態度を崩さず、男の心の内を見透かした言葉を投げかけてくる。
男は恐ろしさに耐えかねて山林の奥へ捨てに行こうとするが、それを察知したかのように背中の子は「重いかい」と嘲るように問いかけ、歩みを進めるごとに石地蔵のようにずしりと重さを増していく。
やがて一本の大きな杉の木の根元に辿り着いたとき、子は「ちょうど百年前の文化五年、お前が俺を殺したのはこの木の根元だったな」と告げる。その瞬間、男は自分がかつて殺した盲人を今まさに我が子として背負っているという恐ろしい因果を悟り、過去の罪悪感の質量そのものとなった背中の重みに倒れ伏すのだった。
押さえておくべきポイント(重要キーワード)
盲目の子
青白く光る鏡のような瞳を持つ我が子。肉親でありながら、男の罪を告発する冷徹な裁判官として機能する。
文化五年(1808年)
江戸時代後期の年号。『夢十夜』執筆時(1908年)から数えて「ちょうど百年前」に符合する。
杉の根元
百年前に殺人が行われた現場であり、因果が一周して記憶が甦る審判の場。
六部殺し
旅の巡礼僧(六部)を殺して金を奪った者が、後に生まれた我が子に前世の犯行を暴かれる有名な民間伝承。詳細は下の「【解説】「六部殺し伝説」とは何か?」を参照のこと。
【考察】「背中の子ども」が象徴するものは何か?
本作『夢十夜(第三夜)』は、「背負った子ども」がいつの間にか「100年前に殺した男」になっているという、怪奇小説風の仕立てとなっている。
背中の子どもの変貌は、いったい何を象徴しているのだろうか。
①「文化五年辰年」の意味
ひとつ、ヒントとして考えられるのが、「文化五年辰年だろう」という、子どもの言葉である。
「文化5年」は、樺太を探検中の間宮林蔵が「間宮海峡」を発見した年で、西暦では1808年になる。
『夢十夜』は1908年の夏に『東京朝日新聞』に連載された作品だから、「文化5年」からちょうど100年目の年だった。
つまり、「100年前の怨念」が、時代を超えて現代に復活したというのが、この物語の大きなプロットなのだ。
②「近代化の時代」が背負っていたもの
100年の間に日本は大きく変わった。
黒船来航から始まった開国は、1868年には明治政府の樹立へとつながり、明治ニッポンは近代化の波に大きく揺られていく。
日本の近代化が決して安楽なものではなかったことは、「第六夜」の運慶や「第七夜」の船など、『夢十夜』のその他の作品にも明示的に描かれているとおりだ。
近代人の姿をしている「第三夜」の主人公もまた、江戸以来の古い日本を背負う、ひとりの日本人だった。
日本と西洋との狭間で生きる人々の葛藤は、「背中に背負った子ども(未来)」が「100年前に殺した男(過去)」へと変わる物語として描かれたのである。
③ なぜ、背中の子は「石地蔵のように」重くなったのか?
おそらく、それは「古い伝統」を忘れて「新しい西洋文化」へと流れていく時代の流れに対する、人々の「罪悪感」を可視化したものだった。
しかし、日本の歴史は重い。
物語の最後で「背中の子が急に石地蔵のように重くなった」のは、簡単には棄て去ることのできない「日本文化の重たさ」を示したものである。
どんなに時代が変わっても、我々は「古い歴史」を背負い続けていかなければならないのだ。
【解説】「六部殺し伝説」とは何か?
本作「夢三夜」は「六部殺し伝説」を下敷きにした作品として知られている。
「六部殺し(ろくぶごろし)」とは、日本各地の昔話や伝説に広く残る、因果応報を主題とした代表的な怪異譚(説話)である。
「六部」とは、日本全国六十六カ所の霊場に法華経を納めて巡礼する「六十六部回国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)」という修行僧を指す。
彼らは巡礼の旅を続けるため、路銀(多額の金銭)を肌身離さず持ち歩くことが多かった。
物語の典型的な筋立ては次の通りである。
ある農家や宿の主人が、一夜の宿を求めて訪れた裕福な六部を泊める。主人は六部が持参した大金に目がくらみ、夜中に彼を騙し討ちにして殺害し、遺体を埋めて金を奪い取る。主人はその金を元手に富を築き、何不自由ない名士として栄える。
数年後、その家に玉のような男の子が生まれる。ある夜、親がその子をあやしていると、幼い我が子が不意に親の顔をじっと見つめ、「お前が俺を殺したのは、ちょうど何年前のあの夜だったな」と、殺された六部の声で犯行の現場や日時を暴く。
隠蔽されたはずの罪からは決して逃れられないという因果の恐怖を描いた説話であり、こうした構図は、夏目漱石の『夢十夜』第三夜をはじめ、近代文学においても「消せない原罪意識」の象徴としてしばしば援用された。
古い民間伝承を現代(明治時代)に甦らすことで、漱石は「近代化と日本の伝統との軋轢」を描こうとしていたのかもしれない。
近代化の明治時代、人々の背負っているものは、あまりにも大きかったのだ。
まとめ│近代化という不安定な社会
『夢十夜』の「第三夜」は、オカルト的なプロットが支持されて、『夢十夜』の中でも人気の高い作品として知られている。
しかし、「六部殺し伝説」に姿を借りたこの作品は、決して「怖い」だけの物語ではない。
「近代化」という不安定な社会を、夏目漱石は、「六部殺し」というあえて古くさい物語の中に入れて批判してみせた。
西洋文明だけでは解決できない「闇」が日本にはあることを、証明してみせたのである。
その闇は、作者自身の心の中にくすぶる「古いトラウマ」とも繋がっていたのかもしれない。
「社会の闇」と「心の闇」と。
人々が背負っているものは、いつの時代も小さくなかったのだ。
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『夢十夜』全十夜の全体像や、作品全体に通底する主題については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 夏目漱石『夢十夜』あらすじと伝えたいこと|全十夜の主題と構造を徹底解説
