読書体験

成瀬桜桃子「久保田万太郎の俳句」十七文字の中に人生のドラマがあった

成瀬桜桃子「久保田万太郎の俳句」あらすじと感想と考察

成瀬桜桃子「久保田万太郎の俳句」読了。

あとがきには「俳句門下の一人として、三十三回忌を期して今まで書き綴ったものを一本にまとめて捧げることにした」とある。

単行本の刊行は、1990年(平成2年)10月。

久保田万郎が赤貝の寿司を喉に詰まらせて窒息死したのは、1963年(昭和38年)5月6日のことだった。

本書は、久保田万太郎から始まる「春燈」三代目主催の成瀬桜桃子が、師である万太郎を偲んだ短文を一冊にまとめた随筆集である。

折々に万太郎を偲んで書かれたものの収録だから、紹介されているエピソードには重複も多いが、それだけに印象深い話も含まれている。

大雑把に勉強になったのは、万太郎は、その生涯で八千百余句、季題の数では一千五百余りを記録し、季題のうちのベストテンまでが天文・時候のものだったという、そのキャリアである。

ちなみに、万太郎が好んで用いた季題は、その多い順から「時雨」「桜」「秋風」「寒さ」「短日」「梅雨」「月」「梅」「雪」「露」で、具体を写実するよりも、雰囲気の中に人生を詠みこむような俳句を愛した久保田万太郎らしさを象徴する考察だ。

例えば「東京に出なくていい日鷦鷯(みそさざい)」という句を披露した句会で、同席の人たちから「先生、みそさざいがいましたか?」と訊かれたときには「見なけりゃ作っちゃいけませんか?」と憮然と答えたという。

万太郎にとって、俳句はまさに自分の心境を表現するための文学だった。

技巧を重視するのも万太郎俳句の特徴で、「十七音、季題、切字」という俳句の基本的な約束事を徹底して貫きながら、たった十七音の技巧を極めることにこだわり続けた。

ちなみに、「白夜」を夏の季語として用いたのも久保田万太郎で、オスロで詠んだ「誰一人日本語知らぬ白夜かな」などの作品が遺されているが、この「白夜」という言葉は現在、夏の季語として歳時記にも加えられている。

久保田万太郎が提唱した「俳句剃刀説」

おもしろいのは、久保田万太郎が提唱したという「俳句剃刀説」だろう。

俳句は日本カミソリのようなもので、平生はヒゲを剃る道具だが、いざというときには命を守り人を殺すことができる。ナマクラの日本刀以上の切れ味を持つ。小説や戯曲を日本刀とすれば俳句はカミソリの大きさだ。だからと言って下手な短篇小説以上の内容を持つことができることを忘れてはいけない。それでこそ本物の俳句なのである。

日本には「寸鉄人を刺す」という言葉もある。

何かを伝えるメッセージとしての力は、言葉の多寡だけによるものではないということだろうが、なるほど、万太郎俳句には下手な短篇小説以上に伝わってくる作品が少なくない。

自殺した妻に捧げた「来る花も来る花も菊のみぞれつつ」、芥川龍之介を偲んだ「芥川龍之介佛大暑かな」、一人息子を病死で失ったときの「親一人あとに残りし蛍かな」、そして愛人を亡くしたときの「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」など、どの作品にも十七文字の中にドラマがある。

本書全体を通して書かれていることだが、順風満帆に思えた久保田万太郎の人生は、決して華やかなだけのものではなかったという。

むしろ、親しい人たちを見送る俳句の中に、万太郎の孤独があるとさえ思われる。

万太郎俳句の魅力は、意外とそんなところにも隠されているのかもしれない。

ちなみに、講談社文芸文庫版の解説「プラトン的枯野」を齋藤礎英が寄せているが、この解説が充実していて、本文とともに読み応えのあるものになっている。

万太郎の死を惜しむ多くの仲間たちの追悼文の引用なども多く、こうした解説もまた、久保田万太郎の俳句を理解する上で有効なものだと思われる。

書名:久保田万太郎の俳句
著者:成瀬桜桃子
発行:2021/8/6
出版社:講談社文芸文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。