文学鑑賞

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」彼女の恋人はセメント工場の事故で死んだ

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」彼女の恋人はセメント工場の事故で死んだ

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」読了。

本作は、1926年(大正15年)の「文藝戦線」に発表されたプロレタリア文学の作品である。

セメントになった労働者の物語

主人公の<松戸与三>は、発電所の建築現場で働くセメント工である。

一日十一時間、彼は鼻の中へ入ったセメントを取る暇もなく働き続けている。

一日の仕事を終えて、妻子が待つ長屋への帰路に着くとき、彼の汗ばんだ体は、急に冷えるような冷たさを感じ始める。

「チェッ!やり切れねえなあ、かかあはまた腹を膨らかしやがったし、、、」

彼はウヨウヨしてる子供のことや、またこの寒さを目がけて産まれる子供のことや、めちゃくちゃに産むかかあのことを考えると、まったくがっかりしてしまった。「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、べらぼうめ! どうして飲めるんだい!」(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」)

彼の暮らしは、まったく余裕のないものであった。

その日の仕事中、彼は、樽の中へ移したセメントの中に、小さな箱を発見した。

帰り道に開けた、その小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。

手紙は「私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です」という文章から始まっていた。

彼女の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていたが、10月7日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌まってしまう。

仲間たちは助け出そうとしたが、恋人は水の中へ溺れるように、石の下へ沈んだ。

石と恋人の体とは砕け合い、赤い細かい石になってベルトの上へと落ちていった。

ベルトは粉砕筒へと入り、やがて、彼女の恋人は、鋼鉄の弾丸と一緒になって、細かく細かく、激しい音に呪いの声を叫びながら砕かれ、焼かれて、立派なセメントになった。

骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いてこの樽の中へ、そうっとしまい込みました。(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」)

「あなたは労働者ですか? あなたが労働者だったら、私をかわいそうだと思って、お返事ください」と、彼女は綴っていた。

彼女の恋人の肉体が含まれているこのセメントは、いったい何に使われたのだろうかと問いながら。

手紙の終わりにある住所と名前を見ながら、与三は茶碗酒をぐっと呷りながら言った。

「へべれけに酔っぱらいてえなあ。そうして何もかもぶち壊してみてえなあ」

死んだ労働者の姿は、明日の与三の姿かもしれない

葉山嘉樹は、名古屋セメント会社の工務係で勤務していたとき、工場で働く労働者の怪我や死亡事故などに対し、工場法による補助金獲得のために奔走した経歴を持つ。

結局、彼は、労働組合を組織しようとして解雇されてしまうのだが、本作「セメント樽の中の手紙」は、そうしたセメント会社での体験が素材として活用されている。

ここで描かれているのは、主にふたつの事象で、ひとつは過酷な労働環境で働く、主人公<松戸与三>の姿であり、もうひとつは、工場内の事故で恋人を亡くした若い女性の悲しみである。

妻と多くの子どもたちを養うために、与三は必死で働いている。

一方、手紙を書いた女性の手紙は、仕事中の事故で呆気なく死んで、自身がセメントになってしまう。

死んだ労働者の姿は、明日の与三の姿かもしれない。

やりきれない気持ちを抱えたとき、与三は「何もかもぶち壊してみてえなあ」と強く感じたのだ。

ここから何かが始まるかもしれないし、何も始まらないかもしれない。

セメント工場で働く与三たちに、読者は自分たちの明日を重ね合わせただろう。

このまま生きるか、何か変えるか?

短篇小説「セメント樽の中の手紙」は、そんな問いかけを読者に投げかけているのだ。

作品名:セメント樽の中の手紙
書名:教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学
著者:葉山嘉樹
発行:2017/3/10
出版社:ちくま文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。