松原一枝「文士の私生活」読了。
本書「文士の私生活」は、同人誌『こをろ』で活動した著者による文壇回想記である。
外国製の極上のオーバーを着ていた辰野隆
冒頭に「この著はかつて文壇で活躍した作家たちと私の、或るときの日常を書いたものである」とある。
著者は、未知の文学青年だった<矢山哲治>と偶然に出会い、「こをろ」に参加したという経歴を持つ。
だから、彼女の文壇的回想の多くは「こをろ」に関するものである。
もっとも、「第一章 同人誌「こをろ」とその時代」は、九州帝国大学仏文科の臨時講義にやって来た、辰野隆教授の思い出から始まる。
さて九大に臨講で来られた辰野教授は、小脇に抱えていたオーバーを、教室に入るなり、空いていた右前列の机の上へ、ばさっと投げ捨てるように置いて登壇された。オーバーの置かれた机の隣に座っていた私には、それが外国製の極上のものと分かった。(松原一枝「文士の私生活」)
当時の辰野教授は「仏文学者としてはもとより、軽妙な随筆、その洒脱な人柄などが、仏文学界のみならず、ジャーナリズムにも人気のある学者であった」らしい。
阿川弘之との出会い
同人誌「こをろ」は、九州帝国大学農学部在籍の矢山哲治を中心に集まった友人たちで構成されていて、主なメンバーに、島尾敏雄、阿川弘之、那珂太郎、真鍋呉夫、小島直記などがいた。
本書中で、最も名前の登場する文士が、阿川弘之だろう。
同人の阿川弘之さんは、矢山さんの福岡高後輩、吉岡達一さんと広島の小学校で同級生だった関係から、吉岡さんにすすめられて広島高に在学中、「こをろ」同人となった。矢山さんを直接、知っていたのではない。阿川さんは外様のせいか、最初は気分的に馴染めないことがないでもなかったらしい。(松原一枝「文士の私生活」)
阿川弘之に関するエピソードは、随所に散りばめられていて楽しい。
広島在住の阿川弘之が、福岡の矢山哲治の家に一泊したときの話。
朝食のとき、阿川さんは緊張しながら行儀よく箸を使っていた。矢山さんは音をたてて味噌汁を吸い、乱暴な箸づかいをしながら、ちらと阿川さんをみて、「谷崎潤一郎先生ば、飯ばボロボロこぼして、行儀の悪かとたいね」といった。(松原一枝「文士の私生活」)
後に、阿川弘之は、このときのことを回想して「自分がひどくつまらない人間に思えた」と綴っているが、著者に対しては「矢山さんは、谷崎先生とめしを喰ったことがあったのかね」と気色ばんでいたというから、やはり、おもしろくなかったのだろう。
東京の中村地平を訪ねる
東京では、矢山哲治と一緒に、中村地平の自宅を訪ねている。
「晩年を書いた太宰治は、どげな思想的傾向を持っているとでしょうか」「太宰ね、小心な臆病者ですよ。一緒に佐渡にいったけど、宿の女中にはいくらほど心づけをやればいいか、などと道中から頻りと気にしていてね。番頭でも連れていかないと何もできない」(松原一枝「文士の私生活」)
中村地平は、太宰治とともに井伏鱒二に師事していて、南方文学を提唱するなど、当時、かなり注目される作家の一人だった。
著者たちは、中村地平と一緒に散歩を楽しんでいるが、その頃は「特別な作家を除いては、作家は万事こんなふうにのんびりと散歩を楽しんだりした」のであり、「普通の人と比べて特別な時間が流れていたわけではない」。
文壇の大家であろうと、「先生の作品の愛読者です」といって訪問し、作品やその他文学について雑談をすることも珍しくなかったようだ。
本書には、このように、文士に関わる小さなエピソードが中心に盛り込まれている。
文壇史というのは、歴史に残る大事件よりも、何気ないゴシップの方が楽しいものである。
書名:文士の私生活—昭和文壇交友録
著者:松原一枝
発行:2010/9/20
出版社:新潮新書