小沼丹「ミス・ダニエルズの追想」読了。
本書は、生誕百年記念で2018年に刊行された随筆集である。
「なつかしい旧い顔」を想い浮かべながら
中公文庫の新刊「古い画の家」を読んでから、小沼丹を続けて読んでいる。
この週末も、ジュンク堂書店まで行って、小沼丹の本を探してみた。
現代文学の棚には、予想以上に小沼丹の著作が並んでいて、庄野潤三よりも充実しているくらいなのでびっくりした。
『ミス・ダニエルズの追想』は、これまでに書籍化されていない随筆70篇を集めた作品集である。
落穂拾い的な随想集だが、随筆というのは、得てして落穂拾い的なものの中に、良い作品との出会いがあったりするものだ。
表題作「ミス・ダニエルズの追想」は、中学校時代の会話の教師を回想したエッセイである。
彼女は、懐中電燈の光を垣根に向けて云った。——薔薇が咲いている。雨に叩かれたあとの遅咲きの薔薇が見えた。僕らはもう一度ミス・ダニエルズと握手すると雨に濡れた暗い町に出て行った。(小沼丹「ミス・ダニエルズの追想」)
日本とアメリカとの間で戦争が始まりそうな気配が濃厚となる中、アメリカ人のミス・ダニエルズも元気がなかったらしい。
結局、太平洋戦争が始まって、ミス・ダニエルズは故国へ帰った。
著者の記憶に残る「なつかしい旧い顔」の中に、ミス・ダニエルズの顔もあったことは、もちろんである。
「なつかしい旧い顔」は、チャールズ・ラム「古なじみの顔(Old Familiar Faces)」の引用だろうが、本書では「なつかしい旧い顔」に関するエッセイが多いような気がする。
小学二年生の頃の英語の家庭教師を回想した「グンカン先生」も、そのひとつである。
もっとも、ここで登場してくるのは、英語の教科書に載っていた<ゼイムス>と<マリイ>である。
妙なことに、この両者の顔はいまでも何となく想い出せそうな気がする。この場合、連中をジェイムズとかメアリイと云ってはいけないので、どうしてもゼイムス、マリイでなければならない。ある意味では彼らも僕の「昔馴染の顔」と云えるかもしれない。(小沼丹「グンカン先生」)
イギリス文学の影響を強く受けている小沼さんは、殊更に「なつかしい旧い顔」を意識していたのかもしれない。
短い随筆に救われる人生というのもある
「お祖父さんの時計」は、イギリス滞在中にスコットランドへ旅行したときの回想である。
ロンドンの骨董屋には、箱型の大時計を「お祖父さんの時計」と言って並べている店が、たくさんある。
スコットランドのガラシイルズで泊ったベッド・アンド・ブレクフアストでは、二階へ上る階段の広い踊り場に、この古い大時計が置いてあった。
街のレストランで食事をして帰ってくると、宿の細君がにこやかに迎えて、客間で紅茶とビスケットを出してくれたので嬉しい。
紅茶を飲んで、御馳走様、お休みなさい、と二階へ上って行くと、踊場の大時計が、ちつく・たつく、と時を刻んでいて、大きな振子がゆっくりと揺れている。それを見たら、この夫婦者の両親も、またお祖父さん、お祖母さんもきっと好い人だったのだろう、何だかそんな気がしたが、そう云う気分になれるのは悪くない。(小沼丹「お祖父さんの時計」)
短いエッセイの中に「踊場の大時計が、ちつく・たつく、と時を刻んでいて」などという表現が、自然な形で現れてくるのも、小沼さんの随筆の楽しいところだろう。
妙なストーリーを追いかける小説や、小難しい文学評論などよりも、こうした随筆に救われる人生というのも、きっと少なくないはずだと思った。
書名:ミス・ダニエルズの追想
著者:小沼丹
発行:2018/11/9
出版社:幻戯書房「銀河叢書」