夏におすすめの小説が喜多嶋隆。
夏と海と青春の匂いしかしない。
あ、それと、1980年代の匂いっていうやつと。
喜多嶋隆の小説は夏におすすめ
夏になると夏らしい本が読みたくなる。
そんなとき、喜多嶋隆の小説がいい。
1980年代に流行した喜多嶋隆の小説。
海、ハワイ、水着の女の子、カクテル、ビール、素敵な音楽。
その繰り返しが、つまり、喜多嶋隆の小説っていうことだ。
角川文庫「島からのエア・メール」。
1990年(平成2年)の初版。
つまり、バブル絶頂期に書かれた小説の束っていうことになる。
小説の束。
なにしろ、この本には、全部で19篇の小説が収録されている。
19篇のショート・ストーリーズ。
1980年代、雑誌や広告の隙間を埋めるような、こんな小説が多かった。
ノリと雰囲気だけの小説。
ストーリーなんか関係ない。
ストレート・グラスに氷、カンパリ、オレンジジュース。そしてたっぷりとレモンを絞り落とした。カンパリ・オレンジのアレンジだ。それをベランダの彼女に渡す。彼女はグラスにそっと口をつけた。「ちょっと苦い……」「ハート・ブレイクの味だからね」(喜多嶋隆「湘南ハート・ブレイク」)
ストーリーなんか関係ない、ということじゃないな。
ストーリーは、読者の空想の中にあるのだ。
自分だけの物語というやつが。
30秒間のテレビコマーシャルのような小説
短すぎるセンテンス、名刺の羅列、ページの空白。
それなのに、イメージだけは鮮やかに浮かび上がる。
ポニー・テールに結んだ青いバンダナ。ほどよく色の落ちたTシャツ、ショートパンツ。陽に灼けた素足にNIKEのテニス・シューズ。フランスパン色の長い脚で、元気よく撮影現場を走り回っていた。(喜多嶋隆「トロピカル・カクテルが、胸に苦い」)
まるで、30秒間のテレビコマーシャルのように、残像だけが印象的に記憶に残る。
文章を読むというより、映像を読んでいるかのように。
登場する女の子は、みんな健康的で爽やかだ。
カレンは、ピンクのビキニ。髪は、きれいなポニー・テール。ビキニのピンクに合う。同系色の口紅をつけている。まっ白いスニーカーをはいて、砂浜に立つ。背景の青い海。ピンクのビキニ。鮮やかなコントラストだった。(喜多嶋隆「ダーティ・ハリーを捜して」)
夢のような世界が、短い小説の中にある。
著者のあとがき。
重いこと、長いことに価値を見いだしがちな日本人だけれど、僕は、軽いタッチで書かれた短編小説が好きだ。重く書こうと思えばいくらでも重く書けるモチーフを、あえてサラリと短く書く。(喜多嶋隆『島からのエア・メール』あとがき)
「軽いこと」が求められるというのが、1980年代という時代の特徴でもあった。
重々しい雰囲気は「根暗(ねくら)」と揶揄される。
大量生産大量消費の社会の中で、モノの価値も軽くなる。
読み捨てられる雑誌のように、時代もまた軽かったのだ。
そして、そんな時代にうまくマッチしたのが、喜多嶋隆という作家の小説だったと思う。
中身より雰囲気。
表現よりイメージ。
そんなものが小説と呼べるかどうかは別として。
当時の僕は、時代に酔ったように、喜多嶋隆の小説に酔いしれた。
テーブルに置いたラジカセから、J.D.サウザーの唄う<You’re Only Lonely>が流れていた。そうさ、君はちょっと淋しいだけなんだ。J.D.サウザーの優しい歌声が、芝生の上を漂っていく。(喜多嶋隆「アラ・モアナ・ビーチのたそがれは、煙が眼にしみる」)
軽くたって、中身がなくたって、そんなことは問題じゃない。
大切なことは、何を残すか?ということなんだ。
30秒間のテレビコマーシャルが、青春の日の記憶に残るように。
書名:島からのエア・メール
著者:喜多嶋隆
発行:1990/11/10
出版社:角川文庫