テレサ・テン「スキャンダル」。
本作「スキャンダル」は、1986年(昭和61年)11月にリリースされた17枚目のシングル曲である。
この年、テレサ・テンは33歳だった。
アルバムとしては、1986年(昭和61年)7月に発売された『時の流れに身をまかせ』に収録されている。
いじらしい女性の姿と都会的なおしゃれサウンド
1980年代中期のバブル黎明期、テレサ・テンは、日本国内で爆発的な支持を受けた女性歌手である。
特に、「つぐない」(1984)、「愛人」(1985)、「時の流れに身をまかせ」(1986)と続く三部作は、いずれもテレサ・テンの代表曲となる大ヒットを記録した。
女性アイドル全盛期、アラサー熟女のテレサ・テンが、どうしてこれほどまでに活躍しているのか、当時10代だった自分には、いま一つ理解することができなかった。
ただの演歌じゃん、という気持ちが、心のどこかにあったことは確かである。
だって、演歌歌手が出るようなテレビ番組で姿を見ることが多かったような気がするから。
けれども、大人になって、改めてテレサ・テンの音楽を聴いたとき、随分と遅まきながら、僕も彼女の歌の良さというものを理解することができたような気がする。
テレサ・テンの歌の魅力は、控えめで献身的な古き良き女性らしさにある(旧時代的と言われるかもしれないが)。
「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」と続いた三部作は、間違いなく良い作品。
さらに、1987年発売の「別れの予感」も。
だけど、僕は、アルバム『時の流れに身をまかせ』(1986)からシングルカットされた「スキャンダル」に注目したい。
あなたの背広の移り香は
きっとどこかのきれいな人でしょう
三茶 下北 それとも吉祥寺
子供のように はしゃいでいたのね
(テレサ・テン「スキャンダル」)
「スキャンダル」は、酔って帰ってくる男を部屋で待ち続ける女性の心情を歌った恋愛ソングである。
普通に考えると、主人公は、夫の帰宅を待つ人妻だろう。
泥酔して帰ってきた夫のスーツに、嫁は女の匂いを嗅ぐ。
こいつ、また、どこかで女とイチャイチャしていたな──。
嫁は気付くが、夫を責めたりしない。
「子供のように はしゃいでいたのね」と、温かい眼差しを夫に向けるだけだ。
そんなこと、あるか?
スキャンダルなら 男のロマンス
夜明けの前には 帰ってきてね
お酒もいいの 噂もいいの
私のことを 忘れていないなら
(テレサ・テン「スキャンダル」)
「お酒もいいの、噂もいいの」と、嫁はどこまでも寛容である。
なんという、いじらしさ。
なんという健気さ。
男の作詞家じゃないと、書けないよね、こんな歌。
嫁はいつでも待っていてくれるとばかり思い込んでいる、自己中心的な男。
最初にこの曲を聴いたとき、「お酒もいいの、浮気もいいの」だと思った。
さすがに「浮気」はストレートすぎるから「噂」にしたのだろうか。
嫁にとっては「浮気」も「噂」も同じである。
これ、熟年離婚案件だろうな。
夫が定年になった瞬間、退職金持って出て行かれるやつ。
こういう女は、旦那の浮気の証拠とか、しっかり残しているからね。
「夜明けの前には 帰ってきてね」とか言いながら、帰宅が未明に及んだ日なんかは、ちゃんと日記とかに記録している。
世の中、そんなに甘くないんだよ。
とか思うけれど、テレサ・テンの歌の世界の女性は、どこまでも健気でいじらしい。
都合が良くて便利な女(男にとって)。
テレサ・テンが、世のオジサン連中に受けた理由は、きっと、そこにある。
それこそ「控えめで献身的な古き良き女性らしさ」というやつだ。
アラサー熟女・テレサ・テンの魅力
この「控えめで献身的な古き良き女性」を演じたのが、テレサ・テン(33)というアラサー熟女だった。
あなたの好みの お相手は
髪を肩まで 伸ばした人でしょう
恵比寿 十番 それとも西麻布
夢人みたいに 時間を忘れて
(テレサ・テン「スキャンダル」)
家でテレサ・テンみたいな良い女が待っていて、浮気するか?
と思うが、どのような環境下でも浮気をするのが男性という存在(らしい)。
でも、「あなたの好みの お相手は 髪を肩まで 伸ばした人でしょう」とか言われているあたり、もう嫁に見放されてるよね。
文句を言う気もなくなっているんだから。
冷めた夫婦愛だよ、それ。
給料持って帰ってきてくれたらいいから──。
もしかすると、夫婦愛が冷めているからこそ、夫は夜明けまで帰ってこないのかもしれない。
本当にラブソングなのか、これ(笑)
でも、こんな男の妄想みたいな歌でも、テレサ・テンが歌うと、リアリティを持って聴こえるから不思議だ。
男の妄想を商業的にパッケージングして成功したのが、テレサ・テンという女性だったのかもしれない。
ある意味の「あざとい系女子」だ。
1980年代なシティポップ的サウンドも、彼女にマッチしていた。
演歌のようなジメジメした作品になっていないのは、都会的なアレンジの影響が大きい。
イントロのサックスとか、ほとんどチェッカーズだもんね。
そもそも、本作「スキャンダル」が収録されているアルバム『時の流れに身をまかせ』は、シティポップとして実に優れたアルバムだった。
最初のトラックから最後のトラックまで、捨て曲がまるでない。
どの曲もAORの洋楽みたいにオシャレで洗練されている。
「桃源郷」(3曲目)なんてカッコいいよ。
「あなたの空」(8曲目)なんて、ワム!の「ケアレス・ウイスパー」(1984)だよ。
「エレジー」(9曲目)なんて、村下孝蔵の「初恋」(1983)だよ。
こういうアルバムを聴くと、1986年というのは、凄い時代だったんだなあと思う。
ちなみに、空前のバブル景気が始まったのは、1986年からと言われている。
男女雇用機会均等法が施行され、ボディコンが登場し、後に日本大学の理事長となって大麻問題で謝罪する林真理子が『最終便に間に合えば』で脚光を浴び(直木賞受賞)、日本社会党の土井たか子委員長が「やるっきゃない!(やるしかない!)」と叫んだ時代。
日本社会に対する女性の猛攻が始まったこの1986年に、テレサ・テンは、男の帰りを家で待ち続ける健気な女のテーマソング「スキャンダル」を歌った。
もしかすると、この歌は、女性の社会進出に対する男たちのアンチテーゼだったのだろうか。
「女には家で男を待っていてほしい」と願う男たちの無言のメッセージが、テレサ・テンの人気を支持したのだ。
もっとも、この年、テレビCMから「亭主元気で留守がいい」というキャッチコピーが大流行している。
「夜明けの前には 帰ってきてね」と歌う嫁の優しさは、「朝まで帰ってくるな」と聴くこともできるかもしれない。
深いね、テレサ・テンの歌謡曲も。
台湾出身の歌手テレサ・テンが日本へ登場するのは、1974年(昭和49年)、彼女が21歳のときのこと。
既にアジアのスターとなっていた彼女は、日本でも流行歌手の座を手に入れるが、旅券法違反で国外退去処分を受けたため、長く日本の芸能界から姿を消してしまう。
次にテレサ・テンが日本の芸能界へ姿を現わすのは、1984年(昭和59年)の「つぐない」を歌ったときで、彼女は既に31歳になっていた。
しかし、このアラサー熟女の失恋ソングは、日本のオジサンたちに爆発的な支持を得る。
テレサ・テンの「ちょっと翳のある不幸な女」みたいなイメージも、多分に手伝っていたのではないだろうか。
キラキラしたアイドルが歌っても、響かないよ、きっと。
この歌の良さ、十代の子どもには分からないよね、やっぱり。
そして、アラサー女子テレサ・テンの魅力を理解できるのも、やっぱり三十歳を超えてからだと思う。
できるなら三十歳のときにリアルタイムで、アラサー熟女のテレサ・テンを見てみたかったなあ。
曲名:スキャンダル
歌手:テレサ・テン
作詞:荒木とよひさ
作曲:三木たかし
編曲:佐孝康夫
発売:1986年11月21日