昭和の時代、夏における庶民最大の楽しみと言えば海水浴と相場が決まっていた。
昭和30年代の「水泳こけし」は、庶民の夢を今に伝える海水浴遺産である。
夏休みの海水浴にあった昭和の父親の使命感
夏目漱石の『こころ』は、鎌倉の海水浴場で主人公と先生が出会う場面から始まっている。
私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻り返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。(夏目漱石「こころ」)
鎌倉の海は、都会から集まってきた人たちで雑踏のようだと描かれている。
『こころ』は大正3年の新聞連載小説(朝日新聞)だから、海水浴は、大正時代はじめには庶民の間で人気だったらしい。
戦争中から戦後にかけて、海水浴などできない時代が続き、海水浴が庶民のレジャーとして戻ってきたのは、戦後の混乱もどうやら落ち着きつつあった昭和30年代のことだと思われる。
この頃には、『サザエさん』で繰り返し描かれているような人混みの中での海水浴が、庶民のレジャーとして定着していた。
他に楽しみがないのか?と思うが、なにしろ現代のようにレジャーが多様化しているわけではないから、夏休みと言えばとにかく海水浴である。
まるで同調圧力でも受けているかのように、人々は競い合って雑踏の海水浴場へと集まった。
当時の子どもたちにとって、夏休みに海水浴へ行けないことほど、惨めなことはなかったのではないだろうか。
昭和40年代、山間の炭鉱町で暮らしていた我が家でさえ、夏休みともなると、一度か二度くらいは父親の運転する車で2時間近くかけて海まで出かけたものだ。
移動に時間がかかるのは、海辺の町は、どこも海水浴客の自動車で渋滞しているからである。
毎年毎年、よくあんなことやったよなー。
昭和の父親の使命感というのは、夏休みの海水浴にかかっていたのかもしれない。
夏休み明け、「何回海へ行った?」と訊ねるのが、ご近所の挨拶みたいなものだった。
あの頃に比べると、現在の夏は落ち着いているなあと思う。
最近の海水浴は、パリピな若者たちのイベントみたいなノリに見える。
数少ない家族旅行のひとつだった昭和の海水浴とは、ずいぶん趣きが違うんだろうなあ。
青い海パンと麦わら帽子で夏気分たっぷり
さて、写真は昭和30年代の「水泳こけし」である。
もはや、「こけし」の体をなしていないと言われそうだが、昭和30年代から40年代にかけて、日本各地の土産物屋には、よく分からない「お土産こけし」が大量に並べられていたという。
小さくて嵩張らないから、確かにお土産向きだっただろう。
値段もきっと買いやすかったに違いない。
いろいろなこけしがあるけれど、こういうお土産こけしは、手が込みすぎていない方が楽しい。
夏の間、戸棚の隅にちょこっと置いておくだけで、一夏癒されるような気がする。
何の役に立つというものではないけれど、昭和時代の雰囲気を味わうには、意外と最適ではないだろうか。
意外だけど、高価なものではないゆえ、手に入れることは逆に難しい。
アンティークとも言えないから、骨董屋さんが扱わない。
骨董市よりもフリマで地道に探すのが王道だろうな(たぶん)。
マニアックな店でこういうの探すと、結構高いよ。
相場感が難しいのが、昭和レトロなこけし人形の特徴でもある。
でも、この顔いいよねー。
青い海パンと麦わら帽子と夏気分たっぷり。
昭和の海水浴遺産として大切にしたい。