中学生時代に最も影響を受けた漫画が、小山田いくの「すくらっぷ・ブック」だった。
80年代の王道ラブコメな青春グラフティ漫画「すくらっぷ・ブック」が「週刊少年チャンピオン」に連載されたのは、1980年(昭和55年)4月から1982年(昭和57年)3月までで、これは、ちょうど自分が中学1年生から中学2年生だった時期と重なっている。
つまり、晴ボンやイチノ、理美ちゃん、マッキーなど、2年7組(進級後は3年7組)の登場人物たちは、自分よりひとつ年上の学年の、ほぼ同世代の中学生だったのだ。
漫画の世界に自己投影しやすい環境に自分自身もいたわけだが、この「すくらっぷ・ブック」最大の特徴は、登場人物のほとんどが善良で小市民的な子どもたちであり、この学級ではトラブルらしいトラブルがまずもって発生しなかったということだろう(晴ボン・イチノ・坂口の三人の家出が、最大のトラブルだった)。
なぜ、わざわざこんなことを言うのかというと、この1980年代というのは、日本中で校内暴力が社会問題化し、「荒れる学校」が一つの教育課題になっていたという、日本の戦後教育史的にも大きな傷跡を残した時代だったからだ。
例えば、この時期、武田鉄矢の「3年B組金八先生」では、「腐ったミカンの方程式」や「卒業式前の暴力」「心を病む子供達」など、かなり重いテーマが続く<第2シリーズ>が放映されていた。
中島みゆきの「世情」が流れる中、加藤マサル(直江喜一)や松浦サトル(沖田浩之)が警察に逮捕されていたとき、一方の「すくらっぷ・ブック」では、仲良しクラスメートたちが、スカートめくりや片思い問題など、他愛ない男女関係で心を痛めていたのである。
実際に「指導困難校」とまで呼ばれる荒れた中学校へ通っていた自分としては、「すくらっぷ・ブック」の世界観は、あまりに平和で非現実的だったけれど、この非現実性が、緊張感しかない日常の学校生活に心の癒やしを与えてくれていたことは確かだったと思う。
当時、「少年チャンピオン」を読んでいなかった<不良少年A君>に、この漫画を貸してあげたところ、すごく感動してくれて、加藤マサルみたいなツッパリ野郎でも、「すくらっぷ・ブック」の世界観には共有できるんだなあと、無闇に感動した記憶があるほどだ。
もしかすると、著者の小山田いくは、社会の人々が協調しながら一つの目標へ向かっていくことの大切さを子どもたちに伝えるため、第三者の集合体である「学級」を舞台として、理想郷的な学園物語を創作したのかもしれない。
<芦ノ原中学校2年7組>は、現実世界には存在しないユートピアだが、そこには、平穏な学校生活を夢見る子どもたちの祈りが投影されている。
端的に言って「すくらっぷ・ブック」は、現実の学校生活に満足することができない子どもたちにとって、逃げ場所のような存在になっていたのだろう(そして、僕自身も、その一人だった)。
そこでは、特別な能力を持たない平凡な子どもたちが、それぞれの個性を発揮しながら、クラスの中で活躍できる居場所を見つけている。
価値観の多様性を認め合い、互いの短所を互いに補い合う学級社会が、つまり、「すくらっぷ・ブック」という漫画の世界観だったのだ。
現実の80年代的世界に、もしも晴ボンのような中学生がいたとしたら、あるいは強烈ないじめの対象になっていたかもしれない(漫画の中でも下級生からバカにされる場面はあったが)。
しかし、「すくらっぷ・ブック」的世界観に陰湿ないじめはないし、ちょっとしたトラブルがあった後でも、彼らは互いを認め合い、穏やかに理解し合うことができる。
今となっては、かなり嘘くさいような気もするけれど、そんな理想郷の中にこそ、当時の中学生たちの憧れがあったことも、また事実だろう。
そういう意味で「すくらっぷ・ブック」は、1980年代に生まれた一つの「優れた童話」だったのかもしれない。
あれから40年。
登場人物の彼らも、今では50代後半の立派なおじさんとおばさんである。
当時の中学生カップルの中から、もし一組でも結婚している男女があったとしたら、それは本当に奇跡のようなものだろうな。
彼らの現在を読んでみたいという気持ちはあるけれど、著者の小山田いくは既にいない。
どうやら、理想郷は理想郷のままとして、心の中に留めておくしかないようだ。