今回の青春ベストバイは、村上春樹さんの『スメルジャコフ対織田信長家臣団』です。
村上さんからコードネームをもらったときの自分のメールも収録されました。
日本のパソコン黎明期の思い出ですね。
村上朝日堂ホームページの読者&村上春樹フォーラム
本棚を整理していたら、『スメルジャコフ対織田信長家臣団』という本が出てきた(朝日新聞社)。
表紙の隅に「CD-ROM版 村上朝日堂」と小さく書かれている。
その文字を読んだとき、ああ、懐かしいなと思った。
『スメルジャコフ対織田信長家臣団』は、2001年(平成13年)に刊行された村上春樹の著作である。
いわゆる「村上朝日堂」シリーズの一冊で、付録としてCD-ROMが付いている。
我々、村上朝日堂の読者にとって大切だったのは、このCD-ROMだった。
その頃、村上春樹は「村上朝日堂ホームページ」というウェブサイトを運営していて、その中に「読者&村上春樹フォーラム」というコーナーがあった。
これは、読者が村上春樹にメールで送った質問と、村上春樹による答えが掲載されているもので、けっこうくだらない質問が多くて楽しかった。
何らかの生産性を求めるというよりは、作家と読者とのコミュニケーションこそが、本当の目的だったのだ。
そして、希に期間限定で「コードネームプレゼント」という企画があった。
メールを送ってくれた読者に、村上さん命名のコードネームをプレゼントしてくれるというもので、この企画は村上春樹ファンにかなり人気があったような気がする。
競争が激しくて、なかなか当たらないと、2ちゃんねるでも話題になっていたから。
もちろん、僕もコードネーム欲しさに村上さんへ質問メールを送った口で、本当に村上春樹からメールの返信が届いて、ひどく興奮したことを覚えている。
当時、僕は31~32歳、まだまだ熱烈な村上春樹ファンだったのだ。
Windows98時代のCD-ROM
いつものように、朝、メールソフトを起動すると、深夜の間に、村上春樹からのメールが届いていた。
一応、このメールは、村上春樹本人が、ひとつひとつ読者へ返信しているという触れ込みだったから、このときのメールは本当にうれしかったなあ。
念願だったコードネームもいただいて、僕の村上春樹熱はいよいよ盛り上がっていくことになる。
この『スメルジャコフ対織田信長家臣団』の付録版CD-ROMには、当時、村上朝日堂ホームページに掲載された読者と村上さんとのメールのやりとりが保存されている。
別に、CD-ROMじゃなくて、普通の書籍でいいのにと思うけれど、当時はCD-ROMで出すことに意義があったのだろう。
ちなみに、我が家でパソコンを導入するのは、Windows95が社会現象ともなった1995年(平成7年)の夏で、村上朝日堂ホームページの開設は1996年(平成8年)6月。
当時、自宅にパソコンを所有していて、さらにインターネットを使えるということは、時代の先端を行く、かなりクールなことだったのだ。
だから、作家と読者がコミュニケーションを図るというウェブサイトの開設自体、当時としては、間違いなく斬新な企画だった。
なにしろ、「山田家のホームページ」とか「佐藤家のホームページ」みたいなサイトが、主流だった時代である(まるで冗談みたいだけれど)。
トップページには、玄関ドアのアイコンがあって、そこをクリックしてサイト内に進んでいくパターンが、実に多かった。
入門書に「ホームページはあなたの家のようなものです」と書かれていたからだろう。
あのとき、村上さんから届いたメールを、僕は大切にMO(エムオー)ディスクに保存した。
MOというのは、莫大な情報を保存できると言われた光磁気ディスクのことで、まさか、MOの時代が短いなんて、当時は思っていないから、大切な情報は、何でもMOに保存するというのが、いわば、PC上級者の常識だった。
おかげで、当時買ったMOドライブも、未だに手放すことができない。
まあ、万が一、僕のMOディスクが壊れたところで、僕と村上さんとのメールのやりとりは『スメルジャコフ対織田信長家臣団』の付録版CD-ROMの中にあるんだけれどね。
CD-ROMが、いつまで読み込めるものなのか知らないけれど、僕の生きている間は、なんとなく持つような気がしている。
なお、CD-ROMの稼働条件(OS)は、Windows95/98、Me、2000。
時代が進歩するのも、いいような悪いようなという感じだなあ。