文学鑑賞

夏目漱石「門」略奪婚で結ばれた裏切り夫婦の未来予想図

夏目漱石「門」あらすじ・感想・考察・解説

夏目漱石「門」読了。

本作「門」は、1910年(明治43年)3月から6月まで『朝日新聞』に連載された長篇小説である。

この年、著者は43歳だった。

単行本は、1911年(明治44年)1月に春陽堂から刊行されている。

『三四郎』『それから』に続く前期三部作の完結編。

略奪婚の行方を探る

本作「門」は、祝福されない結婚をした夫婦の未来予想図を描いた恋愛物語である。

二人は、なぜ、祝福されないのか。

<宗助>と<御米(およね)>は、一人の信頼できる男を裏切って結婚した、世間のならず者だったからだ。

彼等は親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれ等から棄てられた。学校からは無論棄てられた。(夏目漱石「門」)

そもそも御米は、宗助の親友<安井>の女だった(嫁? 内縁の妻? 愛人?)。

宗助は親友の女を寝盗って結婚したというかどで(つまり姦通、御米にとっては不倫)、夫婦ともども社会から抹殺されてしまったのである。

厳しい世の中だ。

しかし、その夫婦の過去は、物語の中でなかなか明かされない。

前半の三分の二は、暗い過去のある暗い夫婦としてしか書かれていないから、何が二人にそのような暗い影を落としているのか、読者は妄想をたくましくする。

御米がそれでも気が付かずに、なにか云い続けると、「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君は漸く気が付いて口を噤んでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、何時の間にか、自分達は自分達の拵えた過去という暗い大きな窖(あな)の中に落ちている。(夏目漱石「門」)

そして、この「暗い大きな窖」がいよいよ姿を現わすのが、実に「第十四章」のことである(全二十三章)。

第十四章では、宗助と御米の過去が明らかにされる。

ところが、宗助が御米を横取りしたことは分かるが、二人がどんなふうにして安井を裏切ったのか、具体は描かれていない。

それどころか、御米という安井の女の素性も明らかとはされていない。

御米は、安井の女であるときも、宗助に鞍替えしてからも、謎の女のままだった。

謎の女と謎の三角関係と謎の結婚。

あるのは、一人の人間を裏切ったという夫婦の「不幸な未来」そのものだけである。

世の中から棄てられた夫婦の未来とは?

物語の後半、不幸な生活を送っている宗助の前に、偶然にも安井が姿を現わそうとする。

ドラマで言えばクライマックスだが、ここで宗助は現場を放棄し、安井と再会することを避ける。

そして、思い余って禅寺へと駆け込む。

不幸な夫婦の生活を穏やかに綴りつつあった前半部と比べると、かなりの急展開である。

もちろん、禅寺へ参禅したところで、宗助の暗い過去は振り払われない。

宗助は途方に暮れたままの心持ちで、禅寺を後にする。

彼は門を通る人ではなかった。又門の前を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。(夏目漱石「門」)

結局、何も解決しないで、物語が終わる。

『三四郎』のような大失恋も、『それから』のようにドラマチックな略奪も、『門』にはない。

そして、その何もないところに、人間を裏切って結婚した夫婦の不幸がある。

自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の内側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。(夏目漱石「門」)

逃げようのない行き止まり。

それが、世の中から棄てられた夫婦の未来である。

切ないような呆気ないような拍子抜けしたような結末だったが、途中に特段の盛り上がりがあったわけでもないので、だからどうだという感慨もない。

男女の三角関係のことをしっかりと読みたい人は、『それから』か『こころ』を読んだ方がいいかもしれない。

書名:門
著者:夏目漱石
発行:2002/11/10
出版社:新潮文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。