青柳いづみこ「阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ」読了。
本書は、2020年(令和2年)に刊行されたエッセイ集である。
この年、著者は70歳だった。
昔の阿佐ヶ谷文士のエピソード
最近のエッセイ集なるものは、ほとんど読まないんだけれど、この本は最初から最後までスルスルと読むことができた。
昔の阿佐ヶ谷文士のエピソードが、本書の魅力ではあるけれど、全体を読み通してみると、決して阿佐ヶ谷文士の話だけのエッセイ集ではない。
「文士の町のいまむかし」というサブタイトルにあるとおり、この本は、今と昔の阿佐ヶ谷の街を、読みやすい文章で紹介する阿佐ヶ谷タウンガイドなのだ。
とりわけ「阿佐ヶ谷風土記」に出てくる、パールセンターとか七夕まつりとかいったローカルな話題は、ちょっとしたタウン情報誌を読むみたいな感じがする。
とは言え、昭和文学が好きな人間にとって、本書最大のポイントは、「文学青年窶れ」と題された阿佐ヶ谷文士物語だろう。
「文学青年窶れ」では、井伏鱒二の『荻窪風土記』からの引用を中心に、かつての阿佐ヶ谷会の様子が綴られている。
頭領は井伏鱒二。子分は発起人のほかに安成二郎、上林暁、外村繫、青柳瑞穂、村上菊一郎、木山捷平、中村地平、太宰治、亀井勝一郎、古谷綱武ら東中野から三鷹あたりまでの住人だった。(青柳いづみこ「阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ」)
僕は、東京生まれでも東京育ちでもないけれど、阿佐ヶ谷文士には好きな作家が多い。
昭和中期の随筆が好みで、いろいろと読み漁っているうちに、阿佐ヶ谷文士の作品に好きなものが多いことが分かってきたのだろう。
私小説作家の小説には、随筆に近い雰囲気があるから、私小説作家の多い阿佐ヶ谷文士に親しみを感じてしまうのかもしれない。
阿佐ヶ谷会の会場となった中華料理店「ピノチオ」の経営者は、鎌倉文士・永井龍男の弟である永井二郎で、店の名前は、佐藤春夫が翻訳した童話からとったものだという。
ウソをつくと鼻がのびる人形の物語を佐藤春夫が?と思って調べてみたら、大正14年に改造社から刊行されていた。原題は「ピノッキオ」だが、本当に「ピノチオ」というタイトルになっている。(青柳いづみこ「阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ」)
佐藤春夫の「ピノチオ」は、いつか読んでみたいと思った。
フランス文学者・青柳瑞穂のお孫さん
本書の著者・青柳いづみこは、フランス文学者・青柳瑞穂のお孫さんなので、リアルなこぼれ話もあちこちに出てくる(これが楽しい)。
1972年(昭和47年)11月、最後の阿佐ヶ谷会が開かれたとき、青柳家からは芸大3年生だった著者(青柳いづみこ)が出席した。
文学者の誰かが私の横顔が瑞穂に似ているとさわいだが、嬉しいような、嬉しくないような、だった。(青柳いづみこ「阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ」)
このときの出席者の中には、田畑修一郎や外村繫、伊藤整らの長男もいたという。
なにしろ、田畑修一郎、太宰治、火野葦平、外村繫、亀井勝一郎、木山捷平、伊藤整など、古いメンバーの多くが、当時既に物故会員となっていた。
これが、今から50年前の話かと思うと、時代の流れに驚くよりほかはない。
本署で紹介されている阿佐ヶ谷会のエピソードの多くは、当時の文士が書き残した随筆の中で読むことができるものだが、文士亡き後の後日譚もまた良し、ということだろう。
後半の「新阿佐ヶ谷会」「私の阿佐ヶ谷物語」「ディープな飲み屋街」は、昔話を離れて現代の阿佐ヶ谷が舞台となっていて、著者が本当に書きたかったのは、案外こっちの方だったのかもしれないな、と思った。
書名:阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ
著者:青柳いづみこ
発行:2020/10/21
出版社:平凡社