ジョイス・メイナード「ライ麦畑の迷路を抜けて」読了。
本書は、1998年(平成10年)に刊行された自伝的回想録である。
原題は『At home in the world』。
この年、著者は45歳だった。
35歳年上だったサリンジャーとの同棲生活
1972年(昭和46年)4月、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に「十八歳の自叙伝」というタイトルのエッセイが掲載された。
著者は18歳の女子大生、ジョイス・メイナード。
表紙には、セーターとデニムとスニーカーというスタイルで、イェール大学の図書館の前の階段に足を組んで座り込んでいる、彼女の写真が掲載された。
「十八歳の自叙伝」は、大きな反響を呼び、彼女の元にはアメリカ中から手紙が舞い込んでくる。
その中に一通だけ特別な手紙があった。
J.D.サリンジャーからの手紙である。
文通を始めた二人は、互いに共感を深め合い、やがて本格的な交際を始める。
女子大生の彼女にとって、サリンジャーは35歳も年上のおじさんだった。
たぶん、わたしはイェールの中で──いや、一九七二年の全米のキャンパスで、あるいはそこから二十年さかのぼった大学生全員の中でも──ほんのひと握りの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいない一人だった。もしくは『ナイン・ストーリーズ』を。(ジョイス・メイナード「ライ麦畑の迷路を抜けて」野口百合子・訳)
4月下旬にサリンジャーの手紙を受け取ったジョイスは、5月にはサリンジャーと電話で話し合うようになり、6月の週末をサリンジャーの自宅で過ごした。
彼女がイェール大学を中退し、本格的にサリンジャーとの同棲生活を始めたのは、その年の九月のことである。
切なさと虚しさが激しい自叙伝
この物語の印象は、ジョイス目線で読むか、サリンジャー目線で読むかによって、大きく変わるような気がする。
もちろん、本書はジョイスの主観によって描かれているから、基本的には、ジョイス目線で読むことになる。
一時期は激しく愛し合い、翌年(1973年)の3月には冷たく自分を放り出した35歳も年上の男のことが、温かい文章で書かれているはずはない。
サリンジャーの冷徹な心変わりを、彼女は淡々と綴っているが、行間に漂っているのは、かつて(25年前に)自分を棄てた男への恩讐である。
「きみはもう家へ帰ったほうがいい」彼が言った。「きみの荷物をぼくの家から片づけてくれ。いま帰れば、子どもたちとぼくが戻る前に全部すませられる。子どもたちに一部始終を見せて、動揺させたくない」(ジョイス・メイナード「ライ麦畑の迷路を抜けて」野口百合子・訳)
フロリダのデイトナ・ビーチで、サリンジャーは一方的に通告した。
非情な仕打ちだが、サリンジャーは自分の私生活が脅かされることに、ひどく怯えていたらしい。
もともと、ジョイス・メイナードはジャーナリスト志望の女の子である。
一流の新聞や雑誌にコラムを書き、ベストセラーとなるべく本を出版し、様々な著名人と交際する。
それが19歳の彼女の夢だった。
社会と断絶して隠遁生活を送る中年男性との生活がうまくいくとは、到底考えられない。
『タイム』から電話がかかってきたとき、サリンジャーは激怒する。
自分の私生活が浸食されつつあることに、彼は耐えきれなくなっていたのだろう。
コーニッシュの家を出た後も、ジョイスは盛んに連絡を取っているが、サリンジャーが再び彼女の方を向くことは二度となかった。
本書の執筆にあたり、ジョイスは一度だけ、コーニッシュのサリンジャー邸を訪れている。
元カノの突然の訪問に、女性(コリーン)と一緒に暮らしているサリンジャーは激しく動揺し、「何をしに来たんだ?」と問う。
「あなたにお訊きしたいことがあって来たの、ジェリー」わたしは答えた。「あなたの人生で、わたしの利用価値はなんだったの?」(ジョイス・メイナード「ライ麦畑の迷路を抜けて」野口百合子・訳)
サリンジャーと過ごした一瞬の日々は、彼女の人生に大きな影響を残した。
すべてを隠して生きようとするサリンジャーとは真逆に、ジョイスは私生活を切り売りして原稿料を稼ぐ人生を選んだのだ。
読み終わった後の切なさと虚しさが激しい自叙伝だった。
作家の私生活をさらけ出すことの難しさを、この本は語っているのではないだろうか。
それにしても、「ライ麦畑の迷路を抜けて」っていう日本語タイトル。
サリンジャーだったら激怒しているだろうな(笑)
書名:ライ麦畑の迷路を抜けて
著者:ジョイス・メイナード
訳者:野口百合子
発行:2000/02/25
出版社:東京創元社