昭和30年代の野球こけし。
こんなこけしが生まれるなんて、昭和の人たちは、本当に野球が好きだったんだなあ。
昭和時代ほど、野球が日本人に愛された時代はないだろう。
スポーツこけしは、お土産になりにくかった
昭和のレトロこけしを集めていくと、昭和時代のいろいろなことが分かってくる。
例えば、温泉こけしやタワーこけしはたくさんあっても、スポーツこけしは少ないとか、そういったことだ。
昭和のお土産こけしは、主に観光地の土産物屋で売られていたから(お土産なんだから当たり前だ)、地元の名産物がこけしのモチーフになることが多かった。
青森県ならリンゴだし、甲府ならブドウ、和歌山ならミカンといった具合に。
当然、温泉地だったら、裸の女性をモチーフにした風呂こけしが生まれ、東京タワーには謎のタワーこけしが生まれた。
多くのお土産こけしは、昭和の旅行とセットになっていたのだ(とりあえず「お土産こけし」については)。
観光旅行というのは、昭和市民にとってレジャーの中核を成していたから、こうしたお土産こけしの市場というのは、それなりに大きなものがあったのではないだろうか。
小さな箱に入っているから持ち運びしやすいし、値段もお手頃。
可愛いからタンスの上の棚に飾っておくと良いインテリアになる。
こんなこともあって、観光地のお土産こけしは、日本全国で売られることになったのだろう。
ただし、こけしそのものは全国量販だったようで、観光名所の名前だけを書き換える形で、全国各地の観光地でまったく同じこけしが売られていた。
お土産こけしを集めていくと、だから、同じようなこけしがいくつも集まる、ということにもなる。
ところが、スポーツこけしというのは、お土産にはなりにくかったらしい。
プロ野球のスタジアムとか、高校野球の甲子園大会とか、観客の集まる場所も多そうだけれど、どうにも野球のこけしというのは少ない。
それが、長年、昭和のレトロこけしを集めてきた率直な感想である。
昭和30年代の野球こけしに癒される
さて、写真は、手持ちの数少ない野球こけしのひとつ。
日本における野球の歴史はそれなりに古くて、明治初期には、国内にも野球チームが作られ、試合を行なっていたらしい。
俳人の正岡子規は大変な野球好きで、多くの野球用語を日本語に翻訳していることは有名な話。
「夏草やベースボールの人遠し」という句もある。
よく分からないけど、2002年には殿堂入りまでしているから凄い。
ただ、日本中が野球に熱狂した時代といえば、「巨人・大鵬・卵焼き」の言葉が生まれた昭和40年代のことだろう。
昭和40年から48年まで日本シリーズ9連覇を成し遂げた巨人のおかげで、当時の子どもたちはとにかく野球に夢中だった。
男の子の将来の夢はプロ野球選手で、女の子の将来の夢はプロ野球選手のお嫁さん。
学校行くにも遊びに行くにも野球帽が必需品で、あの頃、野球帽被ってない少年なんていなかったのではないだろうか。
帽子のサイドに野球バッジとかつけるのも流行っていたような気がする。
お父さんたちの世間話の最初に出てくるのも、昨夜のナイターの話。
贔屓のプロ野球チームがないなんてことはなかった。
もちろん一番人気は読売ジャイアンツ。
長嶋、堀内、王貞治と、とにかくスターが多かったもんね。
子どもたちの遊びも、やっぱり草野球で、どこの家庭にもグローブとボールくらいはあったと思う。
今みたいにテレビゲームとかないから、キャッチボールでもして遊ぶしかなかったんだろうなあ。
我々バブル世代は『巨人の星』(1966-1971)よりも『ドカベン』(1972-1981)がリアル。
『侍ジャイアンツ』(1971-1974)とか『炎の巨人』(1974-1975)も面白かったけどね。
さて、昭和30年代のものと思われる、この野球こけし。
こけしで野球とか意味が分からないけれど、こういう意味不明のものがナンセンスで楽しい。
個人的に2000年代は、こんなものばかり集めていて、ヘンテコなモノ集めにかけては人に負けない自信があった。
毎週毎週フリマとか骨董市とか駆けずり回って、ダンボールの底ひっくり返したりしてね。
それにしても、この野球こけし、癒されるよなあ。
なんたって、こけしの表情がいいでしょう?
そして、ボールとバットの組み合わせ。意味不明だけど、野球が好きなんだっていう気持ちだけは、何となく伝わってくる。
これぞ昭和の野球観。いかに野球が身近な存在であったかということ。
そして、そんなに人気のあった野球なのに、なぜか野球こけしは、あまり多くは見つからない。
野球好きだから、いっぱいほしかったんだけどなあ。