ベティ・G・バーニー「ササフラス・スプリングスの七不思議」読了。
「ぼくが言ってるのは、もっと特別なもののことだよ。世界を旅してまで見に行くような、価値のあるもののことさ!」
その夏休み、ミズーリ州ササフラス・スプリングスで暮らす少年エベンは、「世界の七不思議」の本に夢中だった。
エジプトの大ピラミッド、ロードス島の巨人象、オリンピアのゼウス像、アレクサンドリアの大灯台、ハリカルナッソスの霊廟、エフェソスのアルテミス神殿、バビロンの空中庭園。
「ササフラス・スプリングスには何もないや」とつぶやくエベンは、「大人になったら貨物船に乗って世界中を旅して回りたい」と考えていて、父さんも「エベンの人生だ。大人になったら好きにしていいさ」と言ってくれる。
しかし、あまり世界のことばかり考えているエベンに、父さんは「このあたりに一つも<不思議>がないとは思えないよ」「少しがんばれば、おまえにも見つかるかもしれん」と言って、「ササフラス・スプリングスの七不思議」探しを提案する。
「何のために?」「目の前にある驚異が見えないのに、世界へ<不思議>をさがしに行ってもむだなことだと思っただけさ」
そして、エベンの「ササフラス・スプリングスの七不思議」探しの日々が始まる。
期限は一週間。
もしも、七つの不思議を見つけたら、コロラド州シルバー・ピークで暮らすいとこのところへ旅行に行かせてあげようと、父さんは約束してくれた。
エベンがずっと見たいと思っていた、頂に雪をかぶった、本物の高い山があるシルバー・ピークへ。
エベンの七不思議探しは、いつの間にか町中の人々を巻き込みながら、少しずつ進んでいった。
人形、本箱、のこぎり、テーブル、瓶に入った船、織物…
ササフラス・スプリングスの町と同じように平凡でありふれたものなのに、ユニークな驚きに満ちたものを、エベンは次々に見つけていく。
それまでのエベンには見えていなかったものが、町の人々の話を聞くことによって、新しい発見となって姿を現していくのだ。
「不思議」を発見することは、町で生きる人々の人生を垣間見ることでもあった。
「みんな時が経てばわすれるさ。もっと不名誉なことがあったのに、今は何も言われなくなった心正しい人たちを、わたしは幾人も知ってるよ」
どんなに平凡に見える人にも、ドラマチックな過去があり、ロマンチックな夢があった。
エベンと一緒に暮らしている父の妹・プリティおばさんにさえも。
物語の終わりで、エベンは「今までぜんぜん気づかなかった」とつぶやき、「要は、ものの見方しだいさ」と父が笑う。
この物語の主題は、まさに「ものの見方」ということに尽きる。
七つ目の不思議を教えてくれたアルフおじさんは、こんなことを言っている。
エベン、人間には二通りある。自分の居場所に満足しきっている者と、外の世界を見たくてたまらない者だ。もし、きみが行かずにいられない人間ならば、行きなさい。たとえ行かなくても、今ではもう、りっぱに七不思議を見つけ出した。きっと、きみはこれからも、日々新しいことに目を向けながら生きていくだろう。(「八日目 がっかりと、びっくり」)
物語の舞台は1923年(大正12年)で、世界にはまだ多くの神秘が残されている時代だった。
1922年(大正11年)には「王家の谷」でツタンカーメンの墓が発見されるなど、新たな神秘の発見に、誰もが夢見ていた時代だったと言ってもいい。
「謎」や「不思議」といった神秘的な存在が世界中に残されていた時代の夢を、この物語は楽しく思い出させてくれる。
そして、退屈な町で次々と新しい発見をしていく主人公エベンの驚きは、そのまま、現代を生きる僕たちの驚きでなくてはならないだろう。
どんなに平凡な暮らしの中にも、新しい発見は必ずあるということを、この物語が教えてくれたのだから。
書名:ササフラス・スプリングスの七不思議
著者:ベティ・G・バーニー
訳者:清水奈緒子
発行:2009/5/10
出版社:評論社