北大祭は、北海道大学の学園祭である。
大学の学園祭なのに、札幌市民への定着度はすごい。
「ライラックまつり」「北大祭」「札幌まつり」は、札幌の初夏を代表するお祭りと言っていい。
ブルーグラス研究会の演奏会
札幌には二つの大学祭シーズンがある。
初夏(6月)と秋(10月)のふたつだ。
6月の大学祭シーズンには、北大祭(北区)のほか、札幌医科大学(中央区)、札幌大学(豊平区西岡)、北海道医療大学(当別町)、東海大学札幌キャンパス(南区)、星槎道都大学(北広島市)、札幌国際大学(清田区)などの大学祭があるが、北大祭ほどの来場者数を誇る大学はない。
なにしろ、北大祭には、例年10万人の来場者があるという。
札幌都心部から近くて、広大な構内にびっしりと(学生が出店する)模擬店が並ぶから、家族連れの来場者も多い。
今や、北大祭は、OB・OGだけではなく、多くの札幌市民に愛されるイベントとして定着しているのだ。
今年(2025年)の北大祭は天候にも恵まれて、多くの来場者で賑わっている。
学生のアイディアに満ちた模擬店は、もちろん楽しいが、より北大らしいのは、南側の国際色豊かなエリアだろう。
留学生だけではなく、講師陣にも外国籍の職員が多い北大らしい出し物だと思う。
メインストリートの南端にブルーグラス研究会の模擬店がある(いももち)。
模擬店の横には、小さなライブ会場があって、期間中ずっと、ブルーグラスの演奏会が行われている。
今の世の中に大学生がブルーグラスを演奏するというだけで驚きだが、廃れるどころか、毎年、活発な活動を見せてくれている。
模擬店巡りと合わせて、ブルーグラスの演奏会を楽しみにしている来場者も少なくないはずだ。
新緑の中、開拓時代の趣きを残す歴史的建造物をバックに、初夏の風に吹かれながら聴くブルーグラスは、いかにも北大にマッチしている。
メインストリートを北から南へと歩いていくと、ハンク・ウィリアムズの「I Saw the Light」が聴こえてきた。
ブルーグラスとは何か?
ブルーグラス・ミュージックは、現在、決してメジャーな音楽ジャンルとは言えない。
と言うよりも、「ブルーグラス」という言葉に馴染みのない人の方が、圧倒的に多いのではないだろうか。
もしかすると、「ブルーグラス」よりも「カントリー&ウエスタン」という言葉に親しみを感じる人が多いかもしれない。
「ブルーグラスの父」と呼ばれるビル・モンローが、初めてブルーグラスを演奏したのは、1945年(昭和20年)のことである。
ブルーグラス・ミュージックはブルーグラスの父、ビル・モンローが懐かしい南部の響きと語るアパラチア伝統音楽の特徴をもっている。ビル・モンローとブルー・グラス・ボーイズが有名なラジオ・バーン・ダンス番組のグランド・オール・オプリで、初めてブルーグラスを演奏したのは一九四五年だった。(ロバート・キャントウェル「風の歌ブルーグラス」木邨和彦・訳)
「グランド・オール・オプリ」は、中部テネシー州の田舎の聴取者向けラジオ番組で、古い田舎音楽、特に南部の音楽に力を注いで放送していた(いわゆる「ヒルビリー・ミュージック」)。
アパラチアを中心とする南部の田舎の音楽にすぎないヒルビリー・ミュージックは、ラジオや蓄音機の普及とともに、多くのファンを獲得した。
古くて田舎臭いヒルビリー・ミュージックを洗練させた音楽が、後に「ブルーグラス・ミュージック」と呼ばれることになる。
モンローがブルーグラスについての見解をまとめていると感じた記者は、「では、ブルーグラスとは何ですか」と注意深く質問する。「ブルーグラスは」とモンローは口を開く。「懐かしい南部の響きであり、未開拓森林地帯のカントリー・ダンスで、はるか昔から響いてきたものなのだ……」(ロバート・キャントウェル「風の歌ブルーグラス」木邨和彦・訳)
このとき、ビル・モンローは「ブルーグラスは古い讃美歌調を世に示している」と付け加えた。
ブルーグラス・ミュージックは、伝統的な民衆音楽である。
それは「白人のブルース」とか「カントリー・ジャズ」などと呼ばれることもある。
アラン・ロマックスはモンローの演奏ぶりを自動車の運転になぞらえて、ブルーグラス・ミュージックをオーバードライブを入れたフォークミュージックと呼んだ。(略)われわれのとびきりのブルーグラス・バンドは、どのようなスラブ・フォーク・オーケストラにもはりあえる芸術上の妙技、火のような輝き、スピードをそなえていることにアメリカ国務省は気づくべきである。(ロバート・キャントウェル「風の歌ブルーグラス」木邨和彦・訳)
ビル・モンローのスタイルは、これまでのどんなカントリー・ミュージックの演奏よりも、攻め打つように激しいと言われる。
アラン・ロマックスも、「ブルーグラスは一九四五年に始まった」と考えていた。
つまり、ブルーグラス・ミュージックは、ビル・モンローとともに始まった、第二次大戦後の音楽だったということである。
日本で、ブルーグラスが本格的に普及したのは、1980年代以降のことだったらしい。
八十年代初頭までは、ブルーグラスを扱っているレコード店は、東京では数えるほどしかなかった。その後、アメリカの大型店がいくつか東京に進出し、はるかに手にいれやすくなった。(略)さらに最近では、アコースティック音楽への関心が高まり、日本でもテレビのアウトドア番組や広告のバックミュージックとして、ブルーグラスもときどき使われるようになった。(木邨和彦「風の歌ブルーグラス」訳者あとがき)
ブルーグラス・ミュージックは、広大なカントリー&ウェスタンの世界において、比較的近年に生まれた新しい伝統音楽である。
そこには、アメリカ南部で生まれた様々な人生のドラマが凝縮されている。
そのため、ブルーグラス・ミュージックの世界観は、明るくてノリノリのリズムやメロディに対して、歌詞はひどく陰鬱で暗いものが多い。
かわいいあの子の夢をみた
ギンガム・チェックのドレスがよく似合う
ああ、懐かしい、あこがれのケンタッキー
ダーリン、もう一度君に会いたい
(ビル・モンロー「懐かしいケンタッキーのバラ」)
1945年(昭和20年)にアメリカで生まれた音楽が、2025年(令和7年)の札幌で、若い男女のグループによって演奏されているということを知ったら、ビル・モンローも驚くだろうか。