2000年代の日本で、ちょっとしたボサノヴァ・ブームがあった。
震源地は、オシャレなカフェだったような気がする。
1990年代から続くカフェブームの中、新しいお店へ行くと、大抵の場合、ボサノヴァ音楽が流れていた。
カフェから始まったボサノバ・ブームの時代
当時のボサノヴァ・ブームは、カフェ・カルチャーに派生するブームだったらしい。
多くのコンピレーション・アルバムが発売された。
ボサノヴァをコンピ盤で聴きたい人には、幸せな時代だった。
なかでも、お気に入りだったのは、水着姿の女性がシルエットで描かれている『Bonita! Bossa Nova(ボニータ! ボサノヴァ)』。
ヒットコンピ『The Bossa Nova』に続くユニバーサルの新しいボサノヴァ・コンピ・シリーズがスタート。膨大なユニバーサル・ボサノヴァ音源から初夏にピッタリなボサノヴァの楽曲をコンパイル。夏らしい明るさと清清しさが魅力のボサノヴァ・コンピ。人気イラストレーターの ”カズ三井田” によるオリジナル・イラスト書き下ろしジャケ&ゴンザレス鈴木による解説付、収録曲数も23~25曲…と大目なので、初心者にまずお薦めの入門編コンピです。(商品解説より)
「ヒットコンピ『The Bossa Nova』」とあるのは、2002年(平成14年)にユニバーサルミュージックから発売されたボサノヴァ・コンピのこと。
2006年(平成16年)発売の『Bonita! Bossa Nova』は、『The Bossa Nova』に続くユニバーサルのボサノヴァ・コンピだった。
翌年の2007年(平成17年)には、続編『Bonita!2 Bossa Nova(ボニータ!2 ボサノヴァ)』が発売されて、青と赤の印象的なカップルが完成した。
「何もしないことが、そして自然にいることが、実は一番豊かで、贅沢なことだ」と気づいたときに、人間はとてつもなく癒され、毎日が輝いて見える気がしています。ボサノヴァからみなさんが感じるこの心地よさを、どうぞ人生のスパイスとして、毎日を楽しんでくださいね。(ゴンザレス鈴木『Bonita! Bossa Nova』解説)
それは、バブル崩壊後の「失われた90年代」から続く、「ロスト・ジェネレーション」の時代だった。
「心の癒し」を象徴するものが、カフェであり、ボサノヴァだったのかもしれない。
『Bonita! Bossa Nova』には、曲目解説のほかに、歌詞の和訳が付いている。
金持ちが死んだら
貧乏人がそれを埋める
で 俺は知りたい
金持ちの灰と俺の灰を分けるのは
誰だろう
(ジルベルト・ジル「ホーダ」国安真奈・訳)
全部で25曲のボサノヴァ・スタンダードが収録されていて、歌詞の和訳までついているということで、このコンピは本当にお得な内容だった。
あれから20年近い時間が経つけれど、未だに、このコンビを超えるボサノヴァ・コンピには出会えていない(ような気がする)。
夏が近づく頃、今でも僕は、青いジャケットの『Bonita! Bossa Nova』を取り出して聴き始める。
夏らしい明るさと清清しさが魅力のボサノヴァ・コンピ──。
そこには、今も、2000年代の空気が流れている。
ボサノヴァの教科書『ボサノヴァ』
おしゃれカフェから始まったボサノヴァ・ブームの頃、「ボサノヴァの教科書」を謳った、小さな本が出版された。
2004年(平成14年)にアノマニ・スタジオから発売された『ボサノヴァ』である。
執筆者は「B5 books」で、「サンク」の保里正人と「バールボッサ」の林伸次のコンビによる企画だった。
この本はバーテンダーをしながら密かに作家志望の林伸次と、「ほんとはミュージシャンになりたい」といってはまわりの友人にあきれられているグラフィック・デザイナーの保里正人が結成したB5ブックス(「パール・ボッサ」のBと「サンク」の5です)が作りました。(B5ブックス『ボサノヴァ』あとがき)
「ボサノヴァの教科書」というキャッチフレーズのとおり、ボサノヴァの歴史とアーティスト、名盤を、しっかりと学ぶことができる内容となっている。
ユニバーサルからは、CDまで同時発売されていたから、CDを聴きながら本書を読むというのが、当時の素敵な休日の過ごし方だった。
ボサノヴァには、数知れない伝説(つまり噂話)がある。
ジョアンがアストラッドを口説く時に言った言葉で個人的に好きなのがあります。「ジョアンとアストラッドとチェット・ベイカーでゼアル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユーを永遠に歌い続ける想像上のヴォーカル・トリオを結成しよう」です。(B5ブックス『ボサノヴァ』)
囁くように歌うボサノヴァの若者たちにとって、ウィスパーボイスのチェット・ベイカーは憧れのスターだった。
本作『ボサノヴァ』には、良いエピソードがたくさん紹介されている。
有名なアストラッド・ジルベルト「イパネマの娘」誕生秘話も、そこにはある。
レコーディングの二日目に、当時のジョアンの奥様であるアストラッドが突然、ジョアンとゲッツに「イパネマの娘」を英語で歌わせて欲しいと言い張ります。きっとアストラッドはこのチャンスをずっと狙っていたのです。(B5ブックス『ボサノヴァ』)
スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』については、ブライアン・マッキャン『ゲッツ/ジルベルト 名盤の誕生』(荒井理子・訳)に詳しい。
ボサノヴァは、1950年代に生まれた新しい音楽である。
富裕層のインテリな若者たちが、その立役者だった。
音楽とともに、小さな伝説までが大切にされているというところに、ボサノヴァの魅力はある。
2000年代の日本では、誕生からちょうど半世紀を迎える頃のボサノヴァ音楽が流行していた。
南国の海とビキニ姿の女の子たち。
それは、不景気にあえぐ日本にとって、夢のような景色だった。
あの頃の僕たちは、カフェで流れるボサノヴァに、夢を見ていたのではないだろうか。
バブル時代のリゾート・ミュージックとはちょっと違う、日常の隣にある非日常的な世界のBGMとして。
ボサノヴァを聴いていると、突然、時間の流れがゆったりとするような気がするから不思議だ。
もしかすると、僕たちは、ボサノヴァから特別な時間をもらっていたのかもしれないな。
書名:ボサノヴァ
著者:B5ブックス
発行:2004/08/30
出版社:アノニマ・スタジオ