夏目漱石「坊っちゃん」読了。
社会というのは理不尽なものである。
給料の高い上司が先に帰るし、力ある上司の周りには剣呑な部下が集まる。
要領の良い者が出世し、要領の悪い者は昇進が遅れたり、遠方の地へ飛ばされたりする。
今どきの小学生だって知っていることが、本作の主人公”坊っちゃん”には我慢ならない。
なにしろ、子どもの時分から短気で無鉄砲だった。
嘘やでたらめが大嫌いで、間尺に合わないことを黙って受け入れたりしない。
「坊っちゃん」というのは、子どもの頃から一緒に暮らしていた下女の「清(きよ)」が主人公を呼ぶときの名前だ。
母に死なれ、父に死なれ、自宅を処分して兄と別れたときに、清とも離れることになったが、主人公(坊っちゃん)の心の中では、いつでも清のことが気にかかっている。
坊っちゃんのキャラクターは清の言葉によって語られるし、清の無条件で献身的な愛情が、坊っちゃんの勇気を支えている。
四国の松山にある中学校(現在の高等学校)へ数学教師として赴任したはいいが、田舎の中学生たちのやるいたずらが手に負えない。
天婦羅蕎麦四杯を平らげるところを目撃された翌日、教室の黒板に「天婦羅先生」と書かれていた。
温泉街の団子屋へ行った時には「団子二皿七銭」と書かれた。
小学生のようないたずらだし、おまけに悪意が籠っていると思うから、坊っちゃんは彼らの悪戯を見過ごすことができない。
溜まった不満が爆発したのは宿直当番のときで、布団の中へ大量のイナゴを放り込まれたばかりか、部屋の二階でどんどん騒ぐから、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。
夜を徹した騒動は翌日の職員会議で議題となり、校長の”狸”や教頭の”赤シャツ”や彼らの取り巻きである”野だいこ”なんかは「生徒の寛大な措置」を求める有様で、坊っちゃんはいよいよ教師を辞して東京へ帰ろうと思うが、嫌な奴だとばかり思っていた”山嵐”が敢然と反対意見を述べて坊っちゃんに肩入れをしたところを見て、退職を思い止まる。
こうした坊っちゃんの勇敢とも無謀とも言える行動の根本にあるのは「いつでも辞めてやる」という強い覚悟と無責任な開き直りだ。
特別に教職を目指してきたわけではないから、子どもたちに愛情があるはずもなく、まして養うべき親や妻子があるわけでもないから、いつまでも四国の地に安住するつもりなんかなかったに違いない。
高給取りにこだわることも、職業にプライドを持つこともなかった彼だからこそ、成しえた生き方だと言える。
社会の中の理不尽を見過ごすことができず、必要以上に弱者へ肩入れしてしまう坊っちゃんの「生きにくさ」は、幼少の過去から、この先の将来にまでつながっているものだ。
いつしか彼も「清濁併せ呑む」技術を身につけることができたのだろうかと心配になるが、小説ではそこまで書かれていない。
東京市電の技手に転職したところまでは明らかにされているが、生来の性格に基づく生き方が、簡単に変わることはなかっただろうか。
婚約者を裏切った「不貞無節なるお転婆」のマドンナ
「坊っちゃん」と言って、すぐに思いつくのは”マドンナ”の存在である。
婚約者”うらなり先生”の父親が亡くなって暮らし向きが悪くなると、教頭”赤シャツ”に付け入る隙を与えて、”山嵐”からは「不貞無節なるお転婆」とまで罵倒されてしまう。
格別の美女であったことは坊っちゃんの「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」「まったく美人に相違ない」「何だか水晶の球を香水で暖めて掌で握ってみたような心持ちがした」などの描写から明らかだが、坊っちゃんがマドンナに遭遇したのは、この一夜だけのことで、挨拶さえ交していないのだから、坊っちゃんにマドンナの人となりを知ることはできない。
人々の噂から「婚約者を裏切った不貞の悪女」と信じ込んでいるが、彼女がその後誰と結婚したのか、坊っちゃんは教師を辞めて東京へ帰ってしまうから知らないし、小説の中でも触れられていない。
きっと、重要な部分ではなかったのだろう。
書名:坊っちゃん
著者:夏目漱石
発行:1991/2/25
出版社:集英社文庫