『POPEYE』2024年10月号の特集は「僕らのチープシック2024」。
かつて、片岡義男訳の『チープシック』(草思社)で、ファッションの基本を学んだ世代には、懐かしくて新しい提案だ。
チープシックは、果たして、どのようにアップデートされたのか?
新旧「チープシック」を読み比べてみた。
チープシックのコツは、ベーシックとクラシック
『チープシック』は、本国アメリカでは1975年(昭和50年)に出版されたファッション提案書で、日本では、1977年(昭和52年)、片岡義男の翻訳によって、草思社から刊行された。
テーマは「お金をかけないでシックに着こなす法」。
ファッションメーカーに命令されて服を着る時代は終わっていることを踏まえ、「自分のために自分で作り出す服装のスタイル」について書かれたものというのが、本書の基本的なコンセプトだった。
つまり、単に値段の安いものを提案しているのではなく、自分らしいファッションを楽しむことが、その根底にあったわけだ。
大前提となるのは、着ていて気持ちの良くなる服を、数少なくてもいいから揃えること。
しっかりとした主張のある、素敵な装いをしていると、気分が高揚してきます。くだらない服をごちゃごちゃと持つのをやめにすると、生き方まですっきりとしてきます。自分自身をよろこばせるために、服を着てください。(カテリーヌ・ミリネア、キャロル・トロイ「チープシック」片岡義男・訳)
『チープシック』は、ファッションを通して、ライフスタイルを考える哲学書としての機能も有していたらしい。
好きな服を厳選する生き方は、ベストセラー『フランス人は10着しか服を持たない』(2014)にも通じるライフスタイルで、大量生産・大量消費のバブル時代を過ぎて、ミニマルな暮らしは、再び現代へと戻ってきているのだろう。
『チープシック』の基本となっているのは、Tシャツやタートルネック、コットンシャツ、ジーンズなどの「きちんとしたベーシック」と、最高品質のブーツや頑丈なバッグ、素晴らしいジャケットなどの「ほんとうにクラシックなもの」のふたつ。
特に、「ほんとうにクラシックなもの」では、クラシックで品質の高い服に思いきって投資することの大切さを説いている。
人気雑誌『アンド・プレミアム』は、『チープシック』の「ほんとうにクラシックなもの」を洗練させたライフスタイル情報誌なのだ。
Tシャツは、いつの時代も、ベーシックの代表選手。
とても気に入ったTシャツが見つかったら、おなじものを何枚か買うといいのです。賢明なオカネの使い方を身につけてください。完璧なTシャツ5枚と、やはり完璧なジーンズが3本あれば、相当ながいあいだ幸せでいられます。(カテリーヌ・ミリネア、キャロル・トロイ「チープシック」片岡義男・訳)
ブルックス・ブラザーズが登場する「その次にクラシックなもの」では、チープにクラシックを楽しむための方法としてアイビーリーグが提案されている。
ほどよくシックで、ほどよくカジュアルというところが、アイビーリーグの魅力だったらしい。
いかにもチープシックの王道という印象のある「アンティーク」は、第4章になって紹介されており、チープシック=古着ではない、ということが分かる。
つまり、チープシックの基本は、ベーシックとクラシックに尽きるわけで、値段が高くても品質の良いものを選ぶということこそ、チープシックの王道だったと言えるわけだ。
原則を理解すると、あとは、ファッションを楽しむための応用編で、ベーシックとクラシックの延長線上で展開する様々なスタイルを、本書では紹介してくれている(スポーツとか民族衣装とか)。
こうした服装哲学をその土台から支えているのは、馬鹿げたものはいっさい買わないという、徹底したひとつの態度だろう。無数にある商品の中から、本物だけを厳しく選び抜き、その本物をいつまでもながく着つづける、という態度だ。(片岡義男「ぼくがこの本を読んだ感想」)
本当に難しいことは「無数にある商品の中から、本物だけを厳しく選び抜く」という、その行為だ。
多くの消費者は「本物を厳しく選び抜く」ことに疲れ果て、身近にある手頃な商品で妥協するから、「本物しか買わない」という買い物哲学は、神聖な祈りにも似た宗教的な行為とさえ言える。
それだけに「本物」に出会えたときの喜びは、聖人が悟りを開いたときのような、無常の感動にもつながるのだろう。
自分が50代になって思うことは、チープシック最大の敵は、加齢による体型変化である(大抵のおとなは太るから)。
高級な本物を購入しても、体型が変化した瞬間に、その永遠性は失われてしまう。
逆説的に言うと、好きな服を着るためにも、人は、決して太ってはならないということだ。
ファスト・ファッションを使い捨てしているうちは、加齢による体型変化の恐ろしさを知ることはできない。
ファッションとライフスタイルがつながっているということは、つまり、そういうことなのではないだろうか。
大切なことは、値段じゃなくて生き方なんだ
『POPEYE』の「僕らのチープシック」は、『チープシック』の2024年アップデート・バージョンである。
『チープシック』にも、多くのファッショニスタが登場したように、「僕らのチープシック」にも30人の業界人が「ベーシックという、とても大事なもの」を紹介している。
クラシックなものを選ぶと長く身につけることができる。元が高価でも、長持ちするから安上がりになり、生活の質も上がるように思います。(尹勝弘/ファッションディレクター)
「僕らのチープシック」でも、「生活の質も上がるように思います」のように、ファッションとライフスタイルを結びつけて考える発想は健在だ。
ファッションは自分の本質や人間性を示すもので、体の一部と言えるほど。(八木佑樹/vowelsデザイナー)
単なる個性の表現という枠を越えて、「自分の本質や人間性を示すもの」と考えると、ファッションほど恐ろしいものはないという気がしてくる。
問題は、ファッションの重要性を理解しようとしないおとなが増えているということなのかもしれない(おじさんほど、廉くて、体型に合った楽なものを選びがち)。
最高の生地や素材を使って仕立てたクラシックなものに思いきってお金を投じることも、ハリのある人生を送るには大事なことである。(『POPEYE』「末永く付き合えるクラシックないいものと出合えたら」)
「ハリのある人生」という良い言葉が出てくるのは、メゾン・マルジェラのダッフルコートとザ・ロウのクルーネックセーター。
大切なことは、それが、本当に自分にとって必要なものか否か?ということだろう。
「自分が何を着ればほんとうの自分になるのか、もっともよく知っているのは、なんと言ったって自分自身です」と、元祖『チープシック』にも書かれている。
妥協している人間に、いい人生なんてやってこない。服を着ることと関係あるのか? と思うかもしれないが、シャツ一枚何を着るかという日々の小さな悩みを乗り越えていくほどに、自分らしい服装ってやつが身につく。それは、自分の生き方を服で表現するとも言い換えられる。(『POPEYE』「末永く付き合えるクラシックないいものと出合えたら」)
ここでも、また、ファッション=ライフスタイル論が展開されている(「自分の生き方を服で表現する」)。
こうなると、ファッションは、もはや「ただの服」では済まされない、信仰的な意味を持つ。
実際、分譲マンションを選ぶ苦しみも、新車を選ぶ苦しみも、新しいTシャツを選ぶ苦しみも、人間が持つ苦悩の本質としては、きっと同質のものなのだろう(値段が安いほど、人間は妥協しやすくなるが)。
高いものを買う際に、これは一生ものだと思い込んで買うことが多い。一生ものは果たしてあるのか? とよく考えるが、シンプルで、ある程度ゆったりと着心地がよくて、趣味のよさがあって、時代に左右されづらいものであれば、長くは着られる。ただ、残念だが必ず飽きはやってくる。(『POPEYE』「末永く付き合えるクラシックないいものと出合えたら」)
一生ものを求めて買い物を探していたら、一生かかってしまいそうな気もする。
むしろ、日割り計算でコスパの良いものを入手するのが、最近のトレンドだということを踏まえて、ある程度の割り切りが必要かもしれない。
ただし、『POPEYE』にもあるように、品質の良いものは、遠い将来まで着ることのできる可能性を担保してくれることは間違いない(流行を超越して、いつまでたっても古くならない)。
「流行を超越して、いつまでたっても古くならない」服を探すということも、また、大変そうではあるけれど(永遠の定番と言われるバーバリーのトレンチコートだってアップデートしている)。
「同じようなシャツを何枚も持っていて、3か月に一回くらいのペースで回していくから破れない。とにかく僕は毎日変わらないように見えたくて、少なくとも50年は同じフレームの中で生きています。だって人に「今日どうしたんですか?」って聞かれるのは面倒」(斉藤久夫/TUBEデザイナー)
ここにも、人生の求道者のような達人がいた(「50年は同じフレームの中で生きている」)。
察するところ、究極のチープシックは、ミニマリズムへと到達することなのかもしれない。
誌面を飾る無数のブランド(商品)は、人生を豊かにするための選択肢であって、マスターピースではない。
一冊の『POPEYE』の中から「本物を厳しく選び抜く」ことが、読者にも求められているのだ。
「僕らのチープシック」は、ファッションは生き方であるということを、嫌でも意識させられる特集だった。
要は、値段じゃなくて生き方なんだよということを、『チープシック』は教えてくれる。
そして、そんな歴史的名著を後世に伝えていくことも、また、『POPEYE』という男性情報誌の持つ役割なのだろう。