文学鑑賞

庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」チャールズ・ラムの世界を巡るロンドン日記

庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」チャールズ・ラムの世界を巡るロンドン日記

庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」読了。

本作「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」は、1982年(昭和57年)1月から1983年(昭和58年)8月まで『文學会』に連載された文学紀行である。

連載開始の年、著者は61歳だった。

単行本は、1984年(昭和59年)2月に文藝春秋から刊行されている。

ロンドン文学紀行に必携の書

1980年(昭和55年)5月13日から22日までの10日間、庄野潤三は千壽子夫人とともに、イギリスのロンドンに滞在している。

旅の目的は、英国随筆文学の最高峰と呼ばれる『エリア随筆』の作者チャールズ・ラムの生きた街を、実際に見て回ることだった。

つまり、チャールズ・ラムの世界を歩く文学紀行である。

その文学紀行の結晶として生まれた傑作が、本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』という作品ということになる。

文藝春秋の担当編集者が、当時の思い出を綴っている。

昭和55(1980)年の始めであった。私は抱き続けていた企画の提案をした。「ロンドンへ行ってラムの書いた街を観てみませんか」この誘いに、庄野さんは即答した。「妻を伴って行きます」この年5月の庄野さんの十日間のロンドン滞在記は、次の昭和56(1981)年の晩秋から書き始められ、「文学界」に連載された。(高橋一清「百册百話」)

高橋一清は「編集者の私が、最も多く訪問した作家は庄野潤三さんである」という。

庄野さんはラム縁の街を歩いて情景を描き、ラムの随筆の世界を重ねる。そして、中学生のころラムを語り聞かせてくれた恩師や、同じようにラムを愛読し『チャールズ・ラム伝』を書いた福原麟太郎さんとの思い出を語る。そうした中に、庄野夫人が求めた果実、またレストランの料理の記述がなされ、ロンドン滞在を文字通り味なものにしている。(高橋一清「百册百話」)

この紀行文集の大きな特徴は、ロンドン旅行記とともに、チャールズ・ラムを偲ぶ大量の文献が引用されている、ということだろう。

あとがきには「ラム姉弟の生活を偲ぶ「ロンドン日記」が今まで『エリア随筆』に馴染みの無かった読者へのささやかな橋渡しの役をしてくれるようにと願っている」とある。

1980年(昭和50年)当時、チャールズ・ラムという作家は(『エリア随筆』という作品も含めて)、決して多くの人に知られているという人気文学ではなかった。

それは本国イギリスでも同様で、ロンドン市内の古本屋を訪れたとき、庄野さんは、チャールズ・ラムの本を買うことはできなかった。

その隣りが古本屋で、中へ入って少し本棚を眺めてみる。ここでラムの本に出会えば申し分ないのだが、井内さんの話では、この頃、イギリス人でラムを読む人がよほど少ないそうだから、そんな欲なことは考えない。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

井内さんとあるのは、早稲田大学で英文学の教授を務めた井内雄四郎のことで、庄野夫妻のロンドン旅行を現地でエスコートした案内人でもある。

庄野さんに井内さんを紹介したのは、同じく早稲田大学で英文学の教授をしていた、作家の小沼丹だった。

井内さんに私たちがロンドンへ行くことを知らせてくれたのは、七年ほど前に同じ大学からロンドンに留学して、お嬢さんと二人で半年ほど暮した友人の小沼丹であった。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

小沼丹のロンドン滞在は『椋鳥日記』という作品となっていて、本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』においても、随所で『椋鳥日記』の話が登場する。

しかし、本作において、最も引用が多く、物語の中心となっているのは、チャールズ・ラムの『エリア随筆』である。

庄野夫妻のロンドン旅行は、『エリア随筆』の舞台を巡る旅だったと言って間違いはない。

『エリア随筆』を補完する役割として、ラムが友人たちと交した書簡や、友人たちによるラム回想の文章などが登場している。

そして、夫婦のチャールズ・ラム紀行を強く支えたのは、庄野さんが敬愛する英文学者・福原麟太郎の名作『チャールズ・ラム伝』である。

本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』では、戸川秋骨・訳の『エリア随筆』とともに、福原麟太郎『チャールズ・ラム伝』からの引用が最も多い。

庄野さんにとって、チャールズ・ラムを巡る旅は、すなわち、福原麟太郎を偲ぶ旅でもあったのだろう。

私は沢山のラムを書くことが出来たといったが、みんな福原麟太郎さんの『チャールズ・ラム伝』に出ている話で、そうでないものが混っているにしても落穂拾いに過ぎない。(略)こんな打明け話をしたくとも、もうこの世におられないのだからつまらない。妻を伴ってのロンドン訪問が決まった時は、既にお身体の具合がよくなかった。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

福原麟太郎は『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』の連載が始まる前年の1981年(昭和56年)1月に亡くなっているから、庄野さんのロンドン日記を読むことはできなかった。

庄野さんとしては、最も読んでほしかった人に読んでもらうことができなかったという残念な気持ちでいっぱいだったに違いない。

友人の小沼丹は、本作について「肩肘張らずにラムの世界に這入って行く仕掛けになつていて、この辺の呼吸と云ふか兼ね合ひと云ふか、洵に具合よく出来ている」と書評を残している。

この他にもエドマンド・ブランデンの話とか、著者の父が昔泊つたロンドンの下宿を訪ねる話とかいろいろあるが、かう云う挿話は何れも著者の描く「エリア随筆」の世界の静かな背景をなしてゐるように思はれる。同時に、著者はロンドンの街の表情とか人間の表情を大事に捉へて書いてゐるが、これは逆にラムの世界の陽気な前景をなしてゐると云へるかもしれない。(小沼丹『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』書評)

現在のロンドン日記と、チャールズ・ラムの生きた19世紀のロンドンが、交互に展開する構成は、庄野潤三の得意とするところで、庄野さんの中では、現代とか19世紀とか、区別の必要のないものだったかもしれない。

そこは、あくまでもロンドンであって、それは、チャールズ・ラムの生きた19世紀から、父・庄野貞一や福原麟太郎の暮らした昭和初期、小沼丹の過ごした1970年代を通って、夫婦で訪れた現在(1980年)まで繋がっている一本の線に過ぎなかった。

庄野潤三という作家の眼を通して見たチャールズ・ラムの世界がそこにはある。

ちなみに、作品タイトルは、『エリア随筆』収録の「法学院の老半士」に出てくる言葉の引用で、チャールズ・ラムは「陽気なクラウン・オフィス・ロオ(私の生れた場所である)」と綴っている(戸川秋骨・訳)。

庄野さんのロンドン紀行は、ストランド・パレス・ホテルを拠点に、ラム姉弟の過ごした陽気なクラウン・オフィス・ロウ、つまり、インナー・テムプル・ガーデンズを中心として展開していく。

本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、小沼丹『椋鳥日記』とともに、ロンドン文学紀行には必携の書である、とお勧めしておこう。

ロンドンの庄野潤三ワールド

本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』の魅力は、チャールズ・ラムに関する豊富な文献の引用とともに、庄野夫妻の見た現代(1980年)ロンドンの情感溢れるスケッチにある。

ロンドン滞在の初日、庄野夫妻は、井内さんの案内で、ジョンソン博士の家を訪れた。

階段の手すりは黒光りしていて、貫禄がある。降りて行く途中に大きな油絵が懸っていた。まわりで人が見ている中でヂョンソン大博士がステッキで身体を支えるようにして佇んでいる。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

「ヂョンソン大博士」という表記は、福原麟太郎への敬意を表するものだろう。

五月十五日 晴。ハムプトン・コートへ行く日だが、昨日に引続いて快晴。風が少しあるらしく、七時半にゲイエティへ行って朝食を食べていると、硝子戸の外の道を出勤する娘さんの髪がうしろに吹かれているのが見えた。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

日記の中にも、書き留めておかなければ忘れてしまうような、些細なことが綴られているが、庄野文学において、こうした些末な描写は、むしろ生命線であると言っていい。

エムバンクメントの公園では、ロンドン市民と一緒になって芝生に座っている。

すぐ左横の若い女はスカートを膝の上まで引き上げて、素足を投げ出したまま(靴も脱いでいる)マフィンにバターを塗って食べている。あとで気が附いたが、私たちのうしろに上半身はほとんどブラジャーひとつの、色白でいい顔をした女が芝生に横になって本を読んでいた。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

五月十六日の日記だが、庄野夫妻滞在中のロンドンは、夏のような気候だったらしい。

翌日の日記にも、暑いロンドンの描写がある。

新聞はどこにも売っていなくて、ホテルに戻ったら、ロビイの売店にあったそうだ。デイリー・メール。一面の右隅に短いパンツで鞄をさげながら街を歩く髪の長い娘さんの写真が大きく出ている。見出しは「75°。太陽鳥」。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

娘さんと思ったのは勘違いで、写真に登場していたのは、二十四歳のドレンツ夫人だったと、その後に訂正の文章が入るところもいい。

毎日、暑い日が続いたためか、小雨が降った五月二十日の日記には「ロンドンらしいロンドンを見られるわけで有難い」と綴られている(これもまた庄野さんらしいが)。

妻が外を見ていると、傘をさした女の人が通るのだが、小さい傘で顔のところだけ雨に当らないようにして歩いて行く娘さんがいる。地味なスーツに黒の傘が金髪によく似合う婦人が行く。コートなしで傘なしの人も多い。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

こうした街の(あるいは市民の)描写が、読者をチャールズ・ラム『エリア随筆』の世界へと引き込む巧妙な仕掛けとなっていることは、小沼丹が指摘しているとおりだろう。

ロンドン日記とチャールズ・ラム評伝が、自然の形で一体化しているのは、庄野潤三という作家の優れた技術と認めるほかない。

そこには、ラムも愛したというホガースの世界へのオマージュも含まれている。

食料品の売場には高い天井からソーセージやハムがたくさんぶら下っている。パテやペーストが並べてある隣りは、スモークド・サーモンの大きな切身。見るからにうまそうだ。北海の鮭だろうか。羽をむしった七面鳥も逆さに吊されている。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

ナイトブリッジの百貨店ハロッズでは、食料品売場を訪れている(ここで庄野さんは、ダルモアのスコッチ・ウイスキーを三本買った)。

昭和初期に父・庄野貞一が暮らしたというスイス・コテッジには、井内夫人の運転する自動車の案内で行った。

いまの私より二十年近く若かった父のいた部屋は三階で、窓辺に近くうしろの庭の栗の花が咲いていたという。隣りのゲスト・ハウスの裏手へまわってみると、草を生やした庭に猫が一匹、うずくまっていた。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

『椋鳥日記』の小沼丹は、スイス・コテッジから歩いて三十分ほどのところで生活していたようで、「キイツの家に行った帰り、ビールを飲んだのがスイス・コテッジです」と、庄野さん宛ての手紙の中に綴っている。

十日間の滞在の間に顔なじみとなった、素敵なバイプレーヤーたちもいい仕事をしている。

いったん部屋へ戻ってから(略)マスク・バアへ行く。今夜も混んでいて、カウンターの奥の席が一つ空いていた。ルーマニアの娘さんがすぐに見つけて来る。カールスバーグを頼む。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

同僚からマリアンと呼ばれているルーマニア女性は、本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』で、隠れたヒロイン役を担った。

もう一人、エムバンクメントにあるビーフィーターの給仕も忘れてはならない。

いつもの窓際に近い方へ行きかけると、階段を上った左手の部屋から出て来た働き者の親切な給仕が嬉しそうに笑って、ハウ・アー・ユーと声をかけた。(略)髪を三つ編みにしたこの給仕は、実際よく働く。(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

最後の晩、庄野夫妻は、ビーフィーターの「働き者で親切な給仕の女の子」に、妻が持参した風呂敷を進呈する。

それは、十日間を過ごしたロンドンの街に対する感謝の気持ちでもあったのだろう。

名前のない複数の登場人物たちが、庄野夫妻のロンドン日記を、生き生きとした物語へと仕立てあげてくれているのだ。

五月十七日の日記には、後に「夫婦の晩年シリーズ」で重要な登場人物となる清水さんの名前が出てくる。

果物屋の隣りはこれも屋台の花屋で、チューリップ、デイジー、パンジー、それによく清水さんが下さるうす紫の小さな花をいくつも着けたのなどが溢れそうになっていたという。(清水さんというのは私たちの近所にいる花作りの上手な奥さんで、地主から借り受けた三十坪の畑に薔薇を始めとしていろんな草花を植えている方だ)(庄野潤三「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」)

チャールズ・ラムを巡るロンドン紀行『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』も、やはり、隅から隅まで庄野潤三ワールドだったわけだ。

個人的に『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、庄野文学の中で最も愛読している作品の一つである。

文学紀行が好きな上に、次から次へと登場する書籍が、イギリス文学の世界を深めている。

ざっと拾ってみただけで、櫻庭信之『絵画と文学・ホガース論考』、コンスタンブル社『バーナード・ショウ戯曲集』、ボズウェル『ロンドン日記』、クロード・プランス『チャールズ・ラム必携』、ベデカ『ロンドンとその周辺』、案内書『ロンドン・一九三〇』、チャールズ・ラム『英国近代劇詩人名作抄』、エヴリマンズ・ライブラリー『英国随筆百選』、平田禿木『チャールズ・ラム』、ハズリット『ウィンタースロー』、アイザック・ウォルトン『釣魚大全』、福原麟太郎『英国近代散文集』と魅力的なタイトルが並ぶ。

福原麟太郎『チャールズ・ラム伝』や小沼丹『椋鳥日記』、戸川秋骨・訳『エリア随筆』に至っては、繰り返すまでもない。

本作『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を読み終わった後でも、チャールズ・ラムの世界は、ますます深まっていくばかりだ。

書名:陽気なクラウン・オフィス・ロウ
著者:庄野潤三
発行:1984/02/10
出版社:文藝春秋

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。